
愛情豊かな食文化の実現を目指し、業務用調味料の製造を手掛けるアイン食品株式会社。松岡和彦氏が代表取締役社長に就任したのは、2010年である。就任は、会社が赤字に苦しむ厳しい状況下、予期せぬ突然の承継であった。松岡氏は、先代からの経営理念に基づき、逆境から会社を見事に立て直した。そして、新たな事業の柱を見据えている。本記事では、困難を乗り越えた松岡氏の情熱と、自身の経験から導き出した人材戦略に迫る。
予期せぬ承継で決意した経営者の覚悟
ーー貴社に入社されるまでの経緯をお聞かせください。
松岡和彦:
「いずれは後継者となる」という強い気持ちがあり、大学卒業後、すぐに弊社に入社しました。入社後は、ものづくりの基礎を学ぶため、まず生産工場で雑務から取り組みました。当時はまだ会社も小さく、後継者だからといって特別な仕事をすることはありませんでした。
入社当初は、パートさん一緒にダンボールの箱作りや箱詰め、梱包といった地道な作業が中心でした。「大学を出て、なぜこの仕事をしているのだろう」と自問する時期もありました。しかし、長期的なゴールを考えると、この現場経験は必ず自分の揺るぎない基礎となると確信していました。経営者になるためには必要な経験だと捉え、心の中で覚悟を決めて働きました。生産部門の後も、営業に行くまでの間、さまざまな部署で研鑽を積み、30歳までは徹底した基礎固めをする時期でした。
ーー社長就任時の心境をお聞かせください。
松岡和彦:
社長就任前の2年間で会社が赤字となり、人員整理や事業の縮小を余儀なくされていました。私自身は40代での社長就任を想定していましたが、37歳での就任となりました。
この就任は、厳しい状況下での金融機関などに対する一つのけじめでした。責任の取り方として、世代交代を余儀なくされた形です。突然の打診に驚きはしましたが、いずれ後を継ぐ覚悟はありました。「果たすべき責任」という強い気持ちをもって就任しました。
ーー会社の立て直しに要した期間はどれくらいでしょうか。
松岡和彦:
就任直後、父が急逝しましたが、会社を立て直すという私の決意は揺るぎませんでした。しかし、当時の私は経営者として未熟であり、分からないことやできないことが山積していました。この困難な状況を乗り越えられたのは、当時の幹部の皆様の多大なご支援があったからです。5年ほどかけて立て直しを進めました。
できるできないより、まずやるかどうかの精神で挑戦
ーー事業内容と貴社の強みについてお聞かせください。
松岡和彦:
弊社は、業務用調味料の製造メーカーです。商品の強みは、味や体に影響を及ぼす添加物をできる限り避けている点です。具体的には、弊社の製品は、自社工場で製造しているものに関しては、保存料や合成着色料は基本的に一切使用していません。
長らく外食産業を主要マーケットとしてきましたが、売上増加を目指し、現在は家庭用市場への展開も進めています。
ーー市場転換を決めた際、社内の反応はいかがでしたか。
松岡和彦:
事業転換の方針を打ち出した際、社内には「ノウハウもないし、通用しないだろう」という消極的な見方から生じる反対意見がありました。しかし、私は数字を示して現状の課題を説得しました。「今変えるべき状況です。新しい挑戦を否定するならば、それ以上の代案を出してほしい」と伝えました。
私が現場を知っているという自負も力になりましたが、「できるできないより、まずやるかどうか」という挑戦の精神があったからです。挑戦の結果、上手くいかなかったら、その時点でまた舵を切り直そうと考えていました。
この挑戦を始めたのが2017年で、少しずつ伸びてきたタイミングでコロナ禍に入りました。その結果、外食以外のマーケット、主にスーパーなどの家庭用の売上が一気に増加。以前は1割程度だった比率が、4割程度まで増加しました。
理念実現に向けた未来事業と社会貢献の目標

ーーどのような考え方で採用、人材育成に取り組まれていますか。
松岡和彦:
経営幹部となるうえで、部門ごとの専門知識は不可欠です。たとえば、経理のように高度な知識がないと事業を進められない部門があるように、それぞれの分野の深い理解が求められます。
特に私は、多くの経験を少しずつ積んだ「幅」よりも、「深さ」を重視しています。ある一点の基礎となる確かな深さがあってこそ、初めて本質的な応用力が生まれると考えているからです。
ーーチームの力を高めるために、大切にしていることはありますか。
松岡和彦:
学生時代にサッカーをしていた経験から、組織において「健全な競争」と「利他の精神」が不可欠だと考えています。これらは組織を活性化させ、最終的にチームを動かす力となります。
まず、組織における競争の重要性を理解しています。チーム内で摩擦を生むだけでは問題ですが、優れた人材が切磋琢磨し、競争原理があればチーム力は上がり続けます。これは、先代の父が採用基準として「穴埋めの選手は取るな。かぶってもいいから、優れている選手にしろ」としていたことからも明らかです。
そして、最終的に組織の牽引役となるのは「人のために動ける」人材です。若い頃は自分の目標達成に集中していても、経験を積むと視野が広がり、自分のためだけに尽力することの限界が見えてきます。自分の仕事に真摯に向き合ってきた者が、やがてチームを率いていきます。大きな仕事を成し遂げ、人を巻き込む力を身につけていくのです。
ーー中長期的な事業展開、そして未来の目標についてお聞かせください。
松岡和彦:
弊社は「味を通して多くの人々のより愛情豊かな食文化を実現する」を経営理念として掲げています。この言葉が具体的に何を意味するのかを深く追求してきました。
ある日、ファミリー向けの飲食店で、偶然隣のテーブルにいた子どもが親に対して「お父さん、お母さん、すごく美味しいよ。今日来て良かった」と話しているのを聞き、強い感銘を受けました。その時、この子どもの喜びこそ、理念の示す「愛情豊かな食文化」の本質ではないかと直感したのです。この経験から、ご家庭で食事をする際にも、そのような愛情あふれる雰囲気を実現することこそが、この理念の目指す姿ではないかと気づいたのです。
この理念を実現するため、将来的には一般消費者向け分野への参入を目指しています。特にお子様向けの調味料を開発したいという夢があります。また、地域社会への貢献として、弊社の工場の一部を、地域の子どもたちが社会見学に来られる施設にしたいと考えています。
編集後記
松岡氏は、市場転換を「できるできないより、まずやる」という挑戦の信念で乗り越えた。社内の反対を排し、外食以外の新たな市場を切り拓いたその決断力は、変革期にある経営者に響くだろう。また、同氏の信念は人材戦略にも一貫する。経験の「幅」よりも専門性の「深さ」を重視し、組織に健全な競争原理を持ち込む。この厳しい指針こそが、企業の未来を担うスペシャリストを育てる。経営理念を一般消費者向けの市場と地域社会に繋げようとする同氏の情熱が、同社を力強く牽引していくに違いない。

松岡和彦/1972年大阪生まれ。1996年父が経営するアイン食品株式会社に入社。2010年に同社代表取締役社長に就任。創業当初からの理念「味を通して多くの人々のより愛情豊かな食文化を実現する」ことを掲げ、お客様が安心してお使いいただける製品作りに日々取り組む。また、社会貢献を目的とした地域スポーツの振興にも注力している。