
建設機械のアタッチメント製造・販売、そして日立建機の指定販売店として山梨県を拠点に事業を展開する株式会社日建。同社は、大企業から受け継いだ高い技術力を強みに、顧客の細かな要望に応えるものづくりを徹底している。二代目社長として同社を率いる雨宮誠氏は、「人に生かされている」という信念のもと、業界全体が孤立しがちな現状を変えるため、新たなビジネスモデルの構築に挑戦中だ。今回は、キャリアの道のり、人生観を変えた転機、そして日本の未来を見据えた今後の展望について、詳しく話をうかがった。
風通しの良い組織文化から学んだ自律の精神
ーー社会人として最初のキャリアについてお聞かせいただけますか
雨宮誠:
高校時代まで野球に明け暮れる日々でした。大学卒業後は日立建機に入社。当時は機械にそれほど興味があったわけではありません。しかし、いずれは家業を継ぐという思いがあり、その道を選びました。日立建機では約5年間、営業とサービスを経験しています。
大手企業である日立建機からは、多くのことを学びました。特に印象的だったのは、風通しの良い文化です。上司がメンバーの意見をしっかりと聞き、社員一人ひとりが自律している組織でした。また、当時としては先進的なコンピューター管理を導入しており、スピード感を持って仕事に取り組む姿勢も勉強になりました。
ーー社長に就任されるまでの転機についてお聞かせください。
雨宮誠:
独立という決断が、社長就任前の大きな転機でした。日立建機から山梨に戻った後、日建でもフロントサービスや営業を経験しました。その後、2013年に社長に就任したのですが、その前に大きな出来事があったのです。リーマン・ショック以前、大手企業は儲かる一方で、弊社のような企業は利益率が低く、社員に十分な対価を反映できない状況にありました。
自己中心から他者理解へ 人生観を変えた大きな気づき
ーー社長就任までの道のりで、ターニングポイントとなったエピソードはありますか。
雨宮誠:
社長に就任するまで、社内の人間関係などで苦労はほとんどありませんでした。これは、当時の上司がプロセスよりも結果を重視する方だったため、結果さえ出せば認めてもらえたからです。
私にとって最大の転機は、30代後半で辛い時期があったことです。電話が鳴りやまない状況で精神的に追い詰められ、意図せず涙が出てくるほど深刻な状態でした。その時に気功や瞑想に出会い、約5年間学びを深めました。それまでの私は、「なぜできないのか」と他者を責めてしまうような、自分中心で厳格な人間だったと考えています。
しかし、この経験と子どもの誕生を機に、「誰もが同じようにできるわけではない」「自分にもできないことがたくさんある」と気づきました。できないことを責めるのではなく、「この人はこれが得意ではないから、違うことをお願いしよう」と考えるように変わりました。これが、現在の「人に生かされている」という私の経営の根底にある思いです。
ーーその信念は、組織や社員との関係にどのように反映されていますか。
雨宮誠:
「社長としての孤独感」を一度も感じたことがないくらい、社員とは同じ立場で苦労を分かち合える関係です。この社内の雰囲気は、独立時に会長(先代である父)がある程度年齢の高い社員のセカンドキャリアへの移行を進め、会社が一気に若返ったことが背景にあります。若手社員たちが責任を共有し、一緒に育ってきたという感覚があるため、私だけが悩みを抱えることはありません。また、私は人を思いやれる優しさこそが大切だと考えており、社員一人ひとりの「得意」に目を向けて、適材適所で能力を活かすことを重視しています。
業界連携と社会貢献で目指す次世代への継承

ーー貴社の事業の強みについてどのようにお考えですか。
雨宮誠:
弊社の事業は、建設機械のアタッチメント製造・販売と日立建機の指定販売店という二つの柱で展開しています。強みは、日立グループから学んだ高い技術力と、お客様の思いを形にできる点です。設計から製造、販売までを一貫して行える体制があり、量産品ではできない細かなニーズに応える技術が弊社の最大の武器といえます。これは、昨今注目されるAIなどのデジタル技術に簡単には取って代わられない分野だと考えています。
ーー今後注力される取り組みについてお聞かせください。
雨宮誠:
建設機械業界のディーラー(販売店)は、それぞれが孤立しがちです。この現状を打破するため、日立建機の販売店同士が連携する「ディーラー会」を全国で発足させる計画を進めています。これは、中小企業がまとまることで大企業に匹敵する力を持ち、事業と技術を次世代に継承していくための重要な取り組みです。さらに、災害時の社会貢献として、機械だけでなく修理技術者といった「人」の助け合いも行う災害協定への登録も目指しています。まさに私が大切にする「人」とのつながりを形にする挑戦といえるでしょう。
ーー今後の具体的な展望についてお聞かせください。
雨宮誠:
今後は「グローバル」ではなく「グローカル」(※)をテーマに、地域社会への貢献を重視していきます。その一例として、当社の敷地内で父である先代が「いこいの杜」という場所を作り、Jリーグのヴァンフォーレ甲府のU18チームが練習できる環境を提供しています。これは、お金のあるなしに関係なく、誰もが同じ場所で楽しめる場を提供するという、平等を重んじる先代の思いを形にしたものです。
また、AIを活用した「歴史の可視化」プロジェクトを進行中です。これは、父である先代が何を考えていたのかといった会社の歴史をデータとして残し、次の世代がその理念を深く理解するための道しるべになると考えています。
(※)グローカル:「グローバル(global:地球規模の)」と「ローカル(local:地域的な)」を組み合わせた造語で、地球規模の視野で考え、地域で行動すること。
ーー最後に、貴社が求める人物像についてお聞かせください。
雨宮誠:
求めるのは、技術力や学歴よりも「優しさ」、そして「人を思いやれる資質」です。人を助けられる優しさを持った方に、弊社の仲間になってほしいと願っています。ただし、自分を犠牲にしてまで寄り添うのではなく、自分軸をしっかりと持っている点が大切です。これは、日本人だけでなく、海外の方を含めた高度人材の採用においても変わらない弊社の基本方針といえます。
編集後記
思いがけない病を経験し、「人に生かされている」という確固たる信念に至った雨宮氏。その信念は、同業他社が孤立しがちな業界の常識を破る「ディーラー会」の発足という具体的な行動となって結実した。技術の継承を確実にするためのAI活用や、地域全体を盛り上げようとする「グローカル」の視点から、同氏の温かい思いが強く感じられる。同社の挑戦は、建設機械業界の枠を超え、日本の事業継承と社会貢献の未来を切り拓く道しるべとなるだろう。

雨宮誠/1972年山梨県生まれ。関東学園大学を卒業後、1994年に山梨日建工業株式会社(現・株式会社日建)へ入社。同時に日立建機株式会社に研修のため出向し、5年後に山梨日建工業株式会社へ復帰。2013年より株式会社日建の代表取締役に就任し、現在に至る。