
青森県十和田市に本社を置く有限会社みのる養豚は、40年以上にわたり地域の食を支えている。同社は豚の糞を堆肥にし、その堆肥で育った作物を再び豚の飼料とする「循環型農畜産業」を確立し、持続可能な畜産モデルを追求している。創業者の父から事業を継承した代表取締役の中野渡大氏。当初家業を継ぐ意思はなかった同氏だが、多くの人との関わりの中で芽生えた責任感を胸に、社員との信頼関係構築から組織改革を実行した。業界の未来と地域の発展を見据え、挑戦を続ける同氏に話をうかがう。
家業への反発心から継承を決意するまで
ーーまずは、代表のこれまでのご経歴を教えてください。
中野渡大:
弊社は父が創業した会社で、家も会社の敷地内にあったため、幼い頃から養豚という仕事を身近に感じながら育ちました。しかし、手伝いを通して「臭い」といったマイナスなイメージが先行していたため、当時は家業を継ぐ意思は全くありませんでした。「実家を離れたい」という思いが強く、関東に本校をおく北里大学に進学しました。
ーーそこから家業を継ぐことになったきっかけは何だったのでしょうか。
中野渡大:
実家を離れたいという思いは大学卒業後も変わりませんでしたが、養豚業という仕事自体への興味は持ち続けていました。当時、昔ながらの経営で衛生管理に違和感があった実家に対し、養豚業の企業化を先駆けていた栃木県の関連会社に、最先端のノウハウを学ぶ目的で就職しました。その会社は週休二日制で福利厚生も充実しており、「一生この会社で働いてもいい」と本気で思うほど、素晴らしい環境でした。
転機は、就職して5年目の頃に訪れました。結婚を機に、父の強い希望で地元でも披露宴を行うことになりました。そこに200人もの父の仕事関係者が集まってくださいました。当時、弊社の経営状態は低迷しており、私は父の代で事業が終わるものだと考えていたのです。しかし、これほど多くの人々が父の会社を支えている事実を目の当たりにしました。「この会社を潰してはいけない」という強い責任感が芽生えたのです。それが、家業を継ぐと決意したきっかけです。
信頼関係の構築から始まった組織改革
ーー家業に戻られて、まず何から着手されたのでしょうか。
中野渡大:
当時は、低迷する経営状態に加え、社員の働く士気にも課題があり、皆のやる気を引き出すことが最優先だと感じました。しかし、経営者の息子としていきなり上の立場から指示をしても、誰もついてきてはくれないだろうと考え、皆と同じ目線で一緒に働くことから始めようと決意したのです。まずは一人の平社員として現場に入り、社員の気持ちに寄り添い、どうすれば前を向いてもらえるかを探りながら仕事を進めました。
ーー具体的にはどのような改革を進めていかれたのですか。
中野渡大:
最初に取り組んだのは、徹底的な清掃です。汚いと臭いもきつくなりますし、何より働く環境として良いとはいえません。物が乱雑に置かれているとネズミなども発生し、豚が病気になる原因にもなります。そこで「まずは職場をきれいにしましょう」と皆に呼びかけ、一緒に掃除を始めました。衛生的な環境を整えることで、豚の健康を守り、働く人間の意欲も高まります。
その他、環境整備と並行して生産性を上げるための豚の管理フローも見直すなど、一つひとつ改善していきました。
ーー代表に就任されるまでに、特に印象的な出来事はありましたか。
中野渡大:
2011年の東日本大震災は、非常に大きな出来事でした。震災当時、代表だった父は出張で不在にしており、私が指揮を執らなければならない状況に置かれたのです。インフラが止まる中、社員たちと一丸となってどうにか事業を継続させようと必死でした。
この危機を皆で乗り越えた経験を通じて、社員たちの私を見る目が徐々に変わり、一体感が生まれたように感じます。その様子を見ていた父も「もう任せても大丈夫だ」と感じたようで、以降、徐々に経営に関わる仕事を任されるようになりました。
おいしさを追求する「循環型農畜産業」という強み

ーー貴社の事業内容と強みについてお聞かせください。
中野渡大:
弊社は養豚業を中核としながら、豚の糞から堆肥を再生する関連会社や、自社で豚肉を加工・販売する部門も持っています。最大の強みは、地域に根ざした「循環型農畜産業」を実践している点です。私たちが生産した堆肥を地域の農家の方々に使っていただき、そこで育ったトウモロコシやお米などの作物を、再び豚の飼料として活用しています。生産から消費、そして還元まで、地域の中で資源が循環する仕組みを構築していることが、私たちの誇りです。
ーー「循環型農畜産業」はどのようにして確立されたのでしょうか。
中野渡大:
父の代から堆肥をつくって販売する取り組みは行っていました。ただ、それだけでは一方通行です。良い堆肥をつくっているのですから、それを使って育てた作物を豚に食べさせることができれば、本当の意味での循環になると考えました。そこで、農家の方々と連携し、私たちの堆肥で育った作物を買い取って豚の飼料にするというサイクルを確立したのです。これにより、地域全体で持続可能な農業を実現する一歩を踏み出せたと考えています。

ーー品質について、特にこだわっている点は何ですか。
中野渡大:
おいしい豚肉をつくるには、「餌」「水」「遺伝」「環境」という四つの要素が非常に重要です。私たちは特に、肉質にこだわった品種の豚を育てることに注力しています。自社に品種改良を研究する専門の農場を持っており、どのような品種を掛け合わせれば、よりおいしいお肉になるかを日々研究しています。お客様から「サシが入った豚肉が食べたい」といったご要望をいただくこともあり、そうしたニーズに応えられる体制を整えているのも弊社の特徴です。
人と技術で描く養豚業の未来
ーー今後の展望を教えていただけますか。
中野渡大:
大きく分けて、「社内体制の強化」と「事業規模の拡大」、そして「地域への貢献」という三つの軸で考えています。
まず社内体制については、DXの推進と採用強化が鍵となります。AI技術を活用して豚舎の環境管理を自動化するなど、社員の負担を減らし、より付加価値の高い仕事に集中できる環境を整えるのが狙いです。併せて、事業拡大を見据えて人材採用も強化しています。重視しているのは、特別なスキルよりも「人間力」です。技術は入社後に習得できますので、国籍や経歴を問わず、豚に対して愛情を持って接することができる方と共に成長していきたいと考えています。
こうした基盤を固めたうえで、事業規模としては、父の目標でもあった年間の出荷頭数10万頭の達成を目指します。現在は約6万頭の出荷ですが、残り4万頭分を上乗せしたい考えです。
将来的には自社にとどまらず、地域の生産者と連携した「循環型農畜産業」を広げ、青森県全体の一次産業の価値を高めていくことが私の夢です。青森県は一次産業の大きなポテンシャルを持っています。地域の養豚生産仲間や農業関係者と手を組み、共に力強い産業へと育てていきたいと考えています。
ーー最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
中野渡大:
何事に対しても、目標を持って一生懸命取り組んでほしいと願っています。私はこの「一生懸命」という言葉を非常に大切にしています。由来は「一所懸命」、武士が領地を守るために「一つの場所で命を懸ける」という意味で使われていた言葉です。しかし、私はこれを「一生をかけて懸命に働く」ことだと解釈し、日々の指針としています。自分の得意なことでも、あるいは苦手なことの改善でも構いません。自分磨きのためにひたむきに取り組む姿勢こそが重要であり、そうした姿に人はついてくると信じています。
編集後記
かつては反発さえ感じていた家業。しかし、多くの人々との関わりが事業継承という重い決断を促した。平社員として現場に入り社員との信頼関係を築いた経験、そして未曾有の災害を乗り越えた経験が、同氏の経営の礎となっている。その姿勢は「循環型農畜産業」という形で地域を巻き込み、新たな価値を創造しようとしている。同社の挑戦は、一企業の成長に留まらず、青森ひいては日本の一次産業が持つ可能性を示唆している。

中野渡大/⻘森県出⾝。北⾥⼤学獣医学部卒業。⽗が創業したみのる養豚を継ぐため、20年前にUターン。経営難や豚の病気などによる倒産の危機に直⾯しながらも、「まずは農場をきれいにする」ことから改⾰をスタート。従業員との信頼関係を⼀から築き直し、10年かけて経営を⽴て直す。現在は持続可能な養豚経営をめざし、⻘森県産の飼料を積極的に活⽤するなど地産地消を推進。将来的には「⻘森県産ブランド」の確⽴を⽬指し、県内の養豚農家と連携しながら産業全体の価値向上にも取り組んでいる。