
岐阜県に本社を置き、アパレル製品の企画から製造、販売までを一貫して手がける株式会社GT。同社は、特定のブランドや業態に依存しない多角化経営を推進し、激動のアパレル業界で確固たる地位を築いている。家業である零細アパレル企業に飛び込み、数千万の売上から10億円規模の企業へ成長させた代表取締役社長の若井泰文氏。「すべて自由」という経営スタイルの下、個人の裁量と情熱を引き出す組織づくりで、常識を覆してきた。今回は、同氏が見据える未来と、型破りな経営論について話を聞いた。
独学で切り拓いた新事業と全国行脚の営業
ーー家業に入るまでのご経歴をお聞かせいただけますか。
若井泰文:
高校卒業後は、埼玉県のホテルで働いていました。当時は目立ちたがりでやんちゃな性格でしたが、その物怖じしない姿勢が評価され、勤務先の社長には自宅へ招かれるほど大変可愛がっていただきました。社長の輝かしい姿を間近に見て、「組織の一員としてキャリアを終えるのではなく、自ら舵を取る経営者になりたい」と強く切望したのがすべての原点です。ホテル業界でキャリアを積む道もありましたが、私は自ら事業を動かす側になりたいと考えました。
三男という立場もあり、当初は家業に入る予定はありませんでしたが、最終的にアパレル業を営む実家へ帰ることを決意し、ホテルを退職後、他社のアパレル企業で修行を積みました。その後、父へ真摯に働きかけ、家業への参画を果たしました。当時は経験も人脈もありませんでしたが、経営者になりたい一心で父を説得し、挑戦の機会を得たのです。
ーー自身のブランドを立ち上げた経緯を教えてください。
若井泰文:
入社当時の家業は、シニア層を主要顧客とする、地域に根差した小規模な同族経営企業でした。20代前半だった私にとって、そのビジネスモデルは正直魅力を感じにくく、自分自身がターゲットではない商品を売ることへの違和感もありました。
そこで、もっと自分の年齢や感性に合った会社にしたいと考え、ゼロから新しい事業を立ち上げることを決意しました。当時はネットも普及しておらず、すべてが独学で、寝る間も惜しんで服づくりを学ぶことに没頭しました。「もし失敗して会社が倒産しても、それは自分の実力不足だ」という覚悟で、ハングリー精神と持ち前の想像力を武器に、必死に準備を進めました。
ーー立ち上げ当初、営業活動はどのように行われたのでしょうか。
若井泰文:
キャリーケース一つに自分のデザインした服を詰め込み、全国にある商店街やアパレルショップを回り続けました。しかし、最初の約1年間は、行く先々で門前払いをされ続ける毎日で、今ではもう二度とやりたくないと思うほど過酷な日々でした。それでも諦めずに、岐阜に戻ってはまた新しい服をつくり、再び営業に出るというサイクルを繰り返しました。この原動力となったのは、「失敗したら会社が終わる」という危機感と、「自分の服を認めさせたい」という負けず嫌いな性格でした。恵まれた環境や多くの選択肢があれば、途中で逃げていたかもしれません。行き場のない自分には、この道にしがみつく以外の選択肢がなかったからこそ、最後までやり遂げられたのだと感じています。
その後、独自のデザインが大手商業施設のバイヤーに評価され、店頭販売が開始されました。そこからスタイリストの間で評判が広まり、多くの芸能人がテレビや雑誌で着用してくれるようになったのです。書店に並ぶファッション誌の表紙を自社製品が飾ることも増え、大きな反響を呼びました。この勢いに乗り、30歳を前に目標の売上高10億円を達成したのです。
小売店の集客までを支援する独自の卸売形態

ーーその後は、どのように事業を拡大していったのですか。
若井泰文:
30歳の時、銀行などからは当時流行していたSPA(※1)モデルのように、自社で小売店を展開して垂直統合することを勧められました。しかし、私は流行に乗ることや、単なる規模の拡大にはリスクがあると感じていました。一つの会社が大きくなりすぎると、どこか一部が崩れた時に全体が共倒れになる恐れがあるからです。
そこで私は、あえて横展開を選びました。企画、製造、輸入、小売といった機能ごとに専門特化した会社を次々と設立し、グループとして相乗効果を生み出す体制を構築したのです。40歳までの10年間で約7社まで拡大し、各社が専門性を極めつつ、全体としてアパレルの川上から川下までを一貫してカバーできる強固な基盤をつくり上げました。
(※1)SPA:製造小売業。企画から製造、小売までを一貫して行うビジネスモデル。
ーー貴社ならではの強みはどの点にあるとお考えですか。
若井泰文:
最大の強みは、商品を卸して終わりにする、売りっぱなしの状態にしないことです。多くのメーカーは商品を店舗に納品して完了としますが、弊社はその後の集客まで支援します。
具体的には、SNSマーケティングやイベント企画などをセットで提供し、エンドユーザーが店舗に足を運びたくなる仕掛けを一緒につくります。本来は小売店が行うべき領域までサポートすることで、取引先店舗の売上向上に貢献し、結果として自社商品の継続的な発注にもつなげています。お客様が商品を購入し、喜んでくれる姿までを見届けること。それが私たちの喜びであり、選ばれ続ける理由だと考えています。
熱意を末端まで届けるための組織分散管理
ーー組織づくりにおいて、大切にされていることはありますか。
若井泰文:
「50億の会社を1つ作るよりも、10億の会社を5つ作る」という考え方です。組織が大きくなりすぎると、トップの熱意が末端の社員まで伝わりにくくなると考えています。会社を分けることで、私が各社の社員一人ひとりと直接向き合い、同じ温度感でビジョンを共有できる環境を維持しています。
また、私が社員に絶えず伝えているのは、「すべて自由」というスタンスです。アパレル業界は感性が重要ですから、過度な管理や承認プロセスは排除し、個人の裁量とセンスを最大限に尊重しています。結果を出せばその分を報酬や評価で報いる。その自由さが、社員の成長と自律的な行動を促しています。
ーー事業承継については、どのようにお考えでしょうか。
若井泰文:
アパレル業界では一族経営やM&Aでの売却が多いですが、私はその道を選ばず、今いる社員たちに会社を受け継がせたいと考えています。そのために、私の考えや思いを理解した上で、さらに新しい価値を付加できる優秀な人材を社内から探し、育成している最中です。
また、新たな挑戦をする際は、あえて社内だけにこだわらず、外部の専門家と積極的にパートナーシップを組むようにしています。私自身が外部の方と連携して相乗効果を生み出す姿を見せることで、社員にも広い視野を持ってほしいと考えています。
若者が夢を抱ける魅力ある業界への変革
ーー今後のビジョンをお聞かせください。
若井泰文:
今後は、業界の枠を超えたブランディング支援に注力していきます。私たちが培ってきた企画力やブランディングのノウハウを活かし、異業種の企業様の価値向上に貢献していきたいと考えています。
また、海外展開にも意欲を持っています。インバウンド需要に頼るだけでなく、弊社の日本製品を海外で認知させ、ECなどを通じて世界中の人々が「欲しい」と思えるような商流をつくっていきたいです。
ーー最後に、業界全体に対してどのような思いをお持ちでしょうか。
若井泰文:
現在、AI技術の活用や新しい取り組みにも果敢に挑戦しています。最近ではリカバリーウェア(※2)という機能性衣料が注目されていますが、私たちはアパレル業の使命として、それ以上の価値を提供できないかと模索しています。着ることでリラックスや健康を体感できる服を追求し、超高齢社会の日本に新たな活力を提供することを目指しています。
アパレル業界は厳しいと言われますが、考え方一つで可能性は無限に広がります。ネガティブなイメージを払拭し、「アパレル業界は夢がある」と次世代の若者たちが感じられるよう、私自身が挑戦し続け、業界全体を盛り上げていきたいです。
(※2)リカバリーウェア:着用することで疲労回復や安眠をサポートする機能を持つ衣類。
編集後記
アパレルの川上から川下までを知り尽くした経験が、独自の支援体制を支えている。分社化により各機能の専門性を高めつつ、各社が連携して相乗効果を生み出す仕組みは合理的だ。個人の裁量を重んじる姿勢も、単なる放任ではなく、自律したプロの育成を目的としている。業界全体の地位向上を志し、次世代へ夢を繋ごうとする真摯な姿が印象に残った。伝統ある家業を進化させ、新領域へ挑み続ける企業の歩みをこれからも注目したい。

若井泰文/1974年岐阜県生まれ。高校卒業後に埼玉のホテルで働き、家業を継ぐためにメーカーで経験を積んだ後に株式会社GTに入社。アダルトスーツ中心だった事業内容に将来性の不安を感じ、自分が本当に着たいと思えるブランドへ大胆に舵を切る。結果、そのブランドが大ヒット。売上高数千万円だった家業を10億円規模へと成長を果たす。