※本ページ内の情報は2026年1月時点のものです。

福島県双葉郡広野町にある医療法人社団養高会 高野病院は、東日本大震災の際、福島第一原発から30キロ圏内で唯一診療を継続し、地域住民の命を繋ぎ止めた「最後の砦」として知られている。2023年11月、この歴史ある病院を第三者承継の形で引き継いだのが、理事長の小澤典行氏だ。心臓カテーテルの専門医として数々の病院再建を手がけてきた小澤氏は、なぜ私財を投じてまで地方医療の存続に挑むのか。そこには、利益追求を超えた医療の本質と、前理事長である高野己保氏が守り抜いた志への深い共鳴があった。地域医療を維持し、次世代へと繋ぐために奔走する小澤氏の、情熱に満ちた挑戦の軌跡を追う。

名医としてのキャリアから病院経営の道へ進んだ転機

ーー医師としての歩みと、経営に携わることになった経緯を教えてください。

小澤典行:
私は1989年に大学を卒業後、東京女子医科大学の心臓血圧研究所に入局し、11年間にわたって心臓カテーテル治療と遺伝子の研究に没頭しました。当時は保守的な治療が主流でしたが、私はより積極的に新しい技術を取り入れたいと考え、民間の病院へ移る決断をしたのです。そこでカテーテル治療の指導や論文発表を行い、海外からも治療の依頼をいただくなど、臨床医としての手応えを感じていました。患者様に喜んでいただくことが私の生きがいであり、経営には全く興味がありませんでした。

ーーなぜ病院経営の舵取りを担うようになったのでしょうか。

小澤典行:
40代の頃、所属グループの経営陣から病院長への就任を打診されたことが転機となりました。当初は治療に専念したいと断り続けましたが、「自分の楽しいことばかりやっていてはいけない」と諭され、引き受けることにしたのです。

実際に取り組むと、大赤字だった病院が短期間で黒字に転換。この経験を通じて、病院経営が安定していなければ適切な医療を提供し続けることはできないという事実に改めて気付かされました。それ以来、一病院の再建にとどまらず、日本の医療をどのように守るべきかという視点で活動を広げています。

前理事長の志に共鳴し「最後の砦」を継承する覚悟

ーー福島県広野町の高野病院を承継されるに至った理由をお聞かせください。

小澤典行:
高野病院の存在は、原発事故の過酷な状況下でも地域医療の拠点としての役割を全うした経緯を綴った書籍を通じて知っていました。前理事長の高野己保氏がスタッフと共に孤軍奮闘する姿に感銘を受け、以前からその志を高く敬愛し、同院の在り方に深く共感していました。

2023年夏に高野氏から承継の相談をいただいた際、震災から時間が経っても地域の復興が進まず、病院経営が苦境にある現状を知りました。しかし、この病院は地域住民にとって代わりの利かない存在です。高野氏の熱い思いに応え、地域医療を守る実践の場として、承継を決意しました。

ーー病院名を変更せずに「高野病院」として継続されたのはなぜですか。

小澤典行:
地域で長年親しまれてきた病院名には、住民の方々の安心感と信頼が蓄積されています。歴史的な価値のある看板を変えることにメリットはありません。高野前理事長や地域の患者様たちが大切にしてきた歴史を私が引き継ぎ、この地で医療を担い続けるという覚悟を示すためにも、名称を変えないことは当然の判断でした。現在、高野氏は退職されていますが、理念を共にするパートナーとして交流を続けています。

利益追求を超えた「人」を中心に据える医療の在り方

ーー経営と医療を両立させる上で、最も大切にされている信条は何でしょうか。

小澤典行:
お金を中心に考えてはいけない、ということです。収益を得るために患者様を見るという発想は、医療の本質から外れています。地域の患者様一人ひとりを大切にしていれば、結果として経営は後からついてくるものです。

また、病院経営において最も重要なのは「人」であり、スタッフが誇りを持って働ける組織づくりが欠かせません。私は業者の方も含めて分け隔てなく接することを心がけており、そうした人間関係や信用の積み重ねこそが、組織を永続させる強固な礎になると確信しています。

ーー現在、具体的にどのような改革に取り組まれていますか。

小澤典行:
高野病院は地域を維持するための病院であり、無理に利益を伸ばすことは目的としていません。しかし、地域医療を継続するためには、病院が赤字にならないための努力が必要です。そこで、従来の療養病棟の運営に加え、救急対応の再開や訪問診療、訪問リハビリテーションを開始しました。

人口の少ない地域ゆえに都会のような大きな収益は望めませんが、地域のニーズに応えることで経営の安定化を図っています。また、M&Aによって経営基盤を固め、協力し合えるネットワークを構築することも重要な戦略の一つです。

地域医療の崩壊を防ぎ次世代へ繋ぐための未来図

ーー地域医療の将来をどのように展望されていますか。

小澤典行:
地方の病院やクリニックでは、後継者が不在という場所が全国で約6割にものぼります。このままでは、地域の医療体制が根底から崩壊してしまうという強い危機感を抱いてきました。

私はかつて臨床医として心臓治療に没頭してきましたが、病院経営に携わったことで、経営の安定こそが命を救う基盤であると気づきました。周囲からは「経営の才能がある」と背中を押された経験もあります。誰もが二の足を踏むような困難な再建であっても、これまでの経験を活かせる私のような人間が動かなければ、日本の医療は守れません。だからこそ、閉院の危機にある病院を一つでも減らすことが、私のような経営の経験を持つ医師が果たすべき使命だと考えております。

そのためには、病院同士がネットワークをつくることで、災害時の物資共有や人材派遣を行える助け合いの仕組みが必要です。これは大きな組織だからこそできることです。だからこそ私は、一つでも多くの医院を支えられるよう、組織の規模を拡大し、基盤を固める必要があると考えております。

私たちは、自分たちのグループ傘下に入ることだけを求めているわけではありません。共に並んで支え合い、地域から医療の灯を絶やさないことが最大の願いです。

ーー最後に、これから医療の道を歩む若者や求職者へのメッセージをお願いします。

小澤典行:
地方の医療現場には、東北の方々の温かな人情や、困難を乗り越えたからこその優しさがあふれています。現在、この地域の医療体制は未だ十分とは言えず、改善すべき課題が多く残されています。だからこそ、ここで働くことには大きな意義があります。

私たちは、特定の肩書きやポジションにこだわりません。大切なのは能力の高さよりも、地域医療を守りたいという「情熱」があるかどうかです。実際に現在、私たちの理念に共感したかつての仲間や若者たちが、全国から続々と集まってくれています。

あなたが興味のある分野を尊重し、挑戦は組織全体で全力でサポートいたします。地域医療の未来を切り拓く仲間として、私たちと一緒に楽しみながら働いてみませんか。医療の本質と真摯に向き合いたいという、熱い志を持った方をお待ちしております。

編集後記

高野病院の経営を引き継ぎ、あえて困難な道を選んだ小澤氏。その言葉からは、自らの人生をかけて地域医療を守り抜こうとする、圧倒的な使命感が伝わってきた。その根底にあるのは「周りに生かされている」という謙虚な思いだ。震災という苦難を乗り越え、命をつないできた高野前理事長のバトンを、感謝とともに受け継ぐ。覚悟を胸に新たな挑戦を続ける姿は、日本の医療が抱える構造的な課題に対する一つの希望を示している。利益よりも「人」と「地域」を優先する同氏の経営スタイルが、福島県広野町から全国へとひろがり、地方医療の未来を照らす光となることを期待したい。

小澤典行/1963年、愛知県に生まれる。1989年、富山医科薬科大学(現・富山大学医学部)卒業後、東京女子医科大学 日本心臓血圧研究所 循環器内科に入局。その後、1999年に大和徳洲会病院 循環器センター長、2001年に医療法人社団明芳会 横浜旭中央総合病院 循環器科部長、2009年、医療法人康心会 湘南東部総合病院 副院長兼循環器センター長、2014年、湘南厚木病院 院長に就任。以降、複数の医療機関において院長職や経営層を歴任する。2023年、医療法人社団養高会 高野病院の理事長に就任。2024年、長野県・長田内科循環器科の理事長を兼任。