※本ページ内の情報は2026年2月時点のものです。

線虫(せんちゅう)という微小生物が持つ驚異的な嗅覚を活用し、尿一滴で全身のがんリスクを判定する。そんな世界初の生物を用いたがん検査技術「N-NOSE(エヌノーズ)」を開発・実用化したのが、株式会社HIROTSUバイオサイエンスだ。「安価・簡便・高精度」という三拍子が揃ったこの革新的な技術は、既存の医療検査の常識を覆し、国内外から熱い視線が注がれている。この唯一無二の事業を牽引するのは、九州大学発のベンチャーとして自ら起業した"科学者CEO"、広津崇亮氏。「大学の優れた技術を社会実装する」という揺るぎない使命感を胸に、前例のない荒野を切り拓いてきた。その開発秘話と経営哲学、そして世界を見据える壮大なビジョンに迫る。

科学者から経営者へ 社会実装への強い使命感

ーー研究者から経営者へと転身された原動力は何だったのでしょうか。

広津崇亮:
日本の大学には、世の中を変えうる素晴らしい技術が多く眠っています。しかし、その多くが論文発表だけで終わってしまっているのが現状です。私が線虫の嗅覚技術を発明した際、「これを論文で終わらせてはいけない、社会に届けることこそ科学者の使命だ」と痛感し、「自分でやるしかない」と起業を決意しました。

当初は大学教員との兼業で社長を務めていましたが、ビジネスの世界は甘くありません。「リスクゼロでは成功もゼロ」です。本気でこの技術を実用化し、世の中の当たり前にするためには、誰かがすべてを背負うリスクを取らなければならない。それは開発者である私しかいないと腹を括り、大学を辞めて経営に専念しました。「やるしかない」という一心でしたね。

ーーどのようなきっかけで「線虫」に着目されたのですか。

広津崇亮:
大学で自身の研究室を持った際、研究費獲得のために独自性のあるテーマを模索していました。線虫は本来、基礎研究に使われるモデル生物であり、実用化という発想は当時の研究者間には皆無でした。しかし、ある時「がん患者の尿には特有の匂いがある」という知見に触れ、線虫の優れた嗅覚であればそれを検知できるのではないかと着想を得たのが全ての始まりです。

半信半疑で実験を進めるうちに、データは驚くべき精度を示し、「これはうまくいきそうだ」という確信へと変わりました。その後、論文がメディアに取り上げられ、社会から大きな反響をいただいたことで、初めて客観的な社会的価値を認識しました。既存のがん検査における課題、見逃されているがんの多さを知るにつれ、「この技術で多くの命を救いたい」という思いが明確なミッションへと昇華されたのです。

独自の市場を創造する"科学者CEO"の経営論

ーー科学者から経営者になるにあたって、考え方の転換や苦労はありましたか。

広津崇亮:
実は、私の中では研究者と経営者は非常に近い存在です。研究者は自身の発見を論文で発表し、「世界中の人に知ってほしい」と願います。ビジネスも同様で、素晴らしいサービスを世に広め、実際に使ってもらわなければ意味がありません。難解な事象をいかに分かりやすく伝え、価値を認めてもらうか。分野が違うだけで、本質は共通しているのです。

もちろん、創業期は苦難の連続でした。特に最初の4年間は売上がゼロのまま、研究開発と資金集めに奔走しました。「線虫の嗅覚でがんが分かる」という前例のない技術は、当初、医師の方々からも「できるわけがない」と懐疑的な目を向けられました。しかし、諦めずにデータを積み上げ、科学的な説明を続けた結果、徐々に理解者が増えていきました。私が科学者であったからこそ、医学界の方々と対等な立場で議論ができ、信頼を勝ち得ることができたのだと思います。

ーー経営において、最も大切にされている信念をお聞かせください。

広津崇亮:
「科学的に間違ったことは絶対にしない」ということです。企業として利益を追求することは重要ですが、バイオベンチャーである以上、科学的な正しさを何よりも重視しています。社員にもスピード感は求めますが、論理や証明が甘ければ厳しく指摘します。この妥協なき姿勢こそが、医療にかかわるサービスの信頼性を支える根幹だからです。

ーー既存の検査とは異なるこの技術の価値を、どのように市場へ伝えていったのですか。

広津崇亮:
まさにその点が大きな課題でした。当初は、既存の精密検査と比較され、技術の強みが伝わりにくい状況でした。そこで私たちは発想を転換し、がん検査の役割そのものを再定義しました。それが「一次スクリーニング(入り口の検査)」という新しい概念です。N-NOSEを「誰もが最初に受けるべき入り口の検査」と位置づけることにしたのです。

全身のがんリスクを一度に網羅でき、かつ安価で苦痛もない。この条件を満たす「入り口の検査」は、これまで世の中に存在しませんでした。このポジションを確立したことで、N-NOSEは競合のいない唯一無二のサービスとなり、健康な方を含むすべての人々へと市場が一気に広がりました。

また、私が技術と経営の両方を理解していたことで、こうした戦略転換や意思決定のスピードを最速化できたことも奏功しました。創業時に掲げた「2020年実用化」という目標を実現できたのも、研究とビジネスの両輪がかみ合ったからこそだと自負しています。

"がんが怖くなくなる未来"へ N-NOSEの圧倒的優位性

ーー他にはない「N-NOSE」の最大の強みとは何でしょうか。

広津崇亮:
最大の強みは生物である「線虫」の能力を活用している点です。通常、機械による検査は高精度化するほどコストが跳ね上がります。しかし、線虫は育成コストが非常に安価である上、その嗅覚感度は最新鋭の機械センサーをも凌駕します。麻薬探知犬が機械以上に微量な匂いを嗅ぎ分けるように、生物のセンサー能力は圧倒的です。「高精度」でありながら「安価」。この相反する要素を両立できたのは、私たちが生物学の視点を持っていたからこそです。

ーーユーザーにとってのメリットについてもお聞かせください。

広津崇亮:
わずか一滴の尿で検査できる手軽さに加え、利便性の向上に力を入れています。独自開発した保存液により、常温での検体輸送が可能になり、自宅で採尿してポストに投函するだけで検査が完結する仕組みを構築しました。これにより、医療機関が近くにない地域の方でも、等しく高精度な検査を受けることができます。誰もが当たり前に検査を受ける社会にするためには、この「徹底した手軽さ」が不可欠なのです。

日本の技術で世界へ挑む 未来への展望と求める人材

ーー今後の成長戦略について教えてください。

広津崇亮:
次なるステージは、本格的な海外展開です。日本国内での事業基盤は固まりつつあります。これからは、経済成長と共に寿命が延び、がん患者が増加傾向にある新興国や途上国への展開を加速させます。高額な医療機器を必要としないN-NOSEは、医療インフラが整っていない国でこそ真価を発揮します。既に来年には3カ国での事業開始を予定しており、3〜5年以内には10カ国以上への展開を目指しています。

ーーどのような人材と共に、この挑戦を続けたいとお考えですか。

広津崇亮:
「日本の技術で世界と勝負したい」という熱い志を持った方です。海外でゼロから市場を切り拓くには、マニュアル通りに動くのではなく、自ら考え能動的に行動するベンチャーマインドが不可欠です。そして何より、私たちのサービスを愛し、その社会的意義を信じていること。将来的には経営の一翼を担うような、高い視座を持った方と出会えることを楽しみにしています。

ーー最後に、未来の仲間に向けてメッセージをお願いします。

広津崇亮:
私たちが目指すのは、「がんが怖くなくなる未来」です。がんは早期発見できれば、治る可能性が高い病気です。実際にN-NOSEでリスク判定が出た方の多くが早期がんであり、「見つかってよかった」という声をいただいています。早期発見が当たり前になれば、がんへの恐怖心はなくなり、人々の健康寿命は確実に延びます。この日本発の技術を世界のスタンダードにし、人類の課題解決に挑む。そんな壮大な冒険を、ぜひ私たちと共に楽しみましょう。

編集後記

科学者としての緻密な論理と、経営者としての大胆な決断力。広津氏の言葉の端々からは、二つの顔を併せ持つ者だけが描ける明確な未来図が垣間見えた。「科学的に正しいことを追求する」という揺るぎない信念と、「リスクゼロは成功ゼロ」という果敢な挑戦心。大学の研究室から生まれた一つのアイデアが今、世界中の人々の"命の番人"になろうとしている。日本の技術力を武器に世界へ挑む同社の姿は、これからの産業界を担う若者たちに、強烈な希望とインスピレーションを与えるに違いない。

広津崇亮/1972年山口県生まれ、京都府育ち。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。線虫の嗅覚研究で英科学誌『ネイチャー』に論文掲載。九州大学助教などを経て、2016年に株式会社HIROTSUバイオサイエンスを創業。線虫の嗅覚を用いた世界初のがん検査「N-NOSE」を実用化し、科学者CEOとして医療の革新に挑む。