
期日前投票管理システムで国内人口の50%以上をカバーし、選挙システムのトップランナーとして知られる株式会社ムサシ。1946年に紙の商社として創業した同社は、現場のニーズに応えて機器開発やシステム化を推し進め、今や日本の民主主義を支える選挙においてはなくてはならない企業となった。
特定の顧客への売上依存度を抑える安定した経営基盤を強みに、現在はクラウド技術を活用した自治体DXや防災・減災事業など、ITソリューション企業への変革を迅速に遂げている。入社以来40年間、現場の最前線を歩んできた代表取締役社長の小野貢市氏に、デジタルとアナログを融合させた「第二の創業期」の展望と求める人物像について話を聞いた。
顧客との信頼を築いた40年 現場で貫いた価値提供の本質
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
小野貢市:
私の原点は、入社後に配属されたメーカー部門での経験にあります。当時は既製品を販売することが中心でしたが、私は次第に「顧客ニーズをくみ取り、自ら新しい仕組みをつくって提供したい」という熱い思いを抱くようになりました。
特に印象深いのは、成田空港でのプロジェクトです。当時、空港内で使用されていたシステムや機器は購入して使用するのが一般的でした。しかし私は、メンテナンスや更新の効率、定期的な店舗の引っ越し対応などを考え、仕組みを「レンタル方式」へと切り替える新たな運用スキームを提案したのです。
単にモノを売るのではなく、空港という公共性の高い現場で、より合理的な運用ができるよう「仕組み」そのものを設計し直しました。その仕様は、30年以上が経過した現在も現場で生き続けています。自分の考えを具現化できるチャンスが弊社にはあるのだと、20代の早い段階で実体験できたことは、私にとって極めて大きな成功体験となりました。
ーー若手時代に、特に印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
小野貢市:
入社2、3年目の頃、あるお客様との出会いが、私の営業スタイルの原点となりました。ある信用金庫を担当していたのですが、担当の部長さんとは当初は全く会ってもらえず、指定された時間に伺っても1時間待たされた揚げ句に「今日はもう帰れ」と追い返されるほど厳しい状況でした。それでも諦めずに手紙や趣向を凝らした提案書を届け続けました。そうした粘り強い訪問を繰り返すうち、ある日突然、部長から「お前からすべて買う。何を買えばいいかはお前が提案しろ」と言っていただけたのです。私の「熱量」が、ようやくお客様の心に届いた瞬間でした。
その部長とは、プライベートでも親交を深めるほど深い信頼関係を築きました。ご自宅へ泊まりがけで遊びに伺った際、システム部ご出身の部長が自作されたパソコンのミサイルゲームで夜中まで対戦したこともあります。私が撃ち落とされると「へたくそ!」と笑いながら怒られるような、家族ぐるみの付き合いでした。
単にモノを売るだけでなく、人として向き合い、楽しさも苦労も共有する。営業現場でしか味わえないこうした「人と人のつながり」こそが、弊社の強みである一体感や信頼関係の礎になっているのだと確信しています。
創造とスピードがもたらす社会貢献
ーーこれまでの歩みの中で、失敗から学んだことは何でしょうか。
小野貢市:
若手の頃、任された価格決定で安易な値引きをしてしまい、上司に厳しく諭されたことがあります。この猛省から、単なる価格競争ではなく「弊社にしかできない付加価値」を追求するようになりました。
先ほどの信用金庫のお客様に対しては、機器の販売だけでなく、運用のすべてをサポートする体制を整えました。たとえば、店舗のレイアウトを頭に叩き込み、「この支店のここに、この機器は入るか」という相談に、図面を見ずともその場で即答できるようにしたのです。スペースの制約まで考慮した運用提案は、他社には真似できない独自のサービスとなり、結果として値引きなしでも選んでいただける強い信頼につながりました。
また、最近の大きな反省としては「スピード感」が挙げられます。昨年、選挙ノウハウを活かした災害対応システム「避難者情報把握システム」をリリースしたのですが、その原型となる実証実験を、私は10年前に支店長として船橋市で行っていました。当時は会社への報告で満足してしまい、商品化まで押し切ることができませんでした。結局、自分が経営本部長になってからその案件を拾い上げ、自ら商品化したのです。
現場からの報告書提出で終わらせ、商品化が10年遅れてしまった反省から、現在は「スピーディーに動いて早く結論を出す」ことを何より大切にしています。
ーー貴社が持つ独自の強みはどこにあるとお考えですか。
小野貢市:
大きく分けて2つの強みがあります。1つは、特定の得意先に依存しない安定した経営基盤です。特定の1社による売上依存度が5%を超えることはなく、全国の自治体様をはじめとする数多くのお客様に支えられています。このため、急激な業績の落ち込みがなく、安定して収益を確保できる土壌が整っているのです。
もう1つは、全社員が「ワンチーム」になれる文化です。弊社の事業には、国政選挙という巨大なミッションが定期的に訪れます。このときばかりは部署の垣根を越え、全国の事業所が一体となってプロジェクトを完遂しなければなりません。1つのボールを全員で追いかけるようなこの経験が、社員同士の強い連帯感を生んでいます。
弊社は商社でありながらメーカー機能も持ち、さらに保守専門の子会社も含めたグループ全体が強固につながっています。この「ムサシ愛」とも呼ぶべき一体感こそが、自治体DXのような新しい挑戦を支える原動力であり、抜群な定着率にもつながっているのだと自負しています。
家族に誇れる環境で挑む第二の創業期

ーー経営者として、組織運営において大切にされている価値観を教えてください。
小野貢市:
私は「一番大切なステークホルダーは社員である」と考えており、社員が家族に誇れる会社づくりを重視しています。私たちが手がける選挙インフラや防災事業は、社会の根幹を支える嘘のない仕事です。社員の子どもたちに「お父さん(お母さん)の仕事はすごいね」と胸を張れるような、社会の役に立つ事業を展開することが私の使命だと考えています。
その価値観の根底にあるのは、創業時の社章に込められた「3M精神」です。これは「Minasama:お得意様」「Maker:協力メーカー」「Musashi:弊社社員」の3者が等しく幸せになるという指針です。私は40年前、この精神に共感して入社しました。社長となった今、改めてこの原点に立ち返り、社員の雇用を守り、一人ひとりが自己実現できる組織づくりに注力しています。
ーー貴社の今後の展望をお聞かせください。
小野貢市:
2026年12月に創業80年を迎えるにあたり、私はこの歴史ある会社を磨き上げたいと考えています。そのための大きな柱が、国政選挙の有無といった外部要因に左右されない「継続収益型ビジネス」への転換です。
現在は、自治体システムの標準化という大きな変化の波に挑んでいます。一時はエンジニアの確保も危ぶまれるほどの困難な挑戦でしたが、これを乗り越えることで、年間を通じて安定したサービスを提供できる基盤が整いつつあります。この基盤を土台に、今後は避難者の情報把握システムなど、防災・減災分野にもさらに力を注いでいく方針です。
紙のアナログな強みと最新のIT技術を融合させ、社会に不可欠な新しい価値をつくる。そのために、自社開発体制の強化や、同じ志を持つ新しい仲間の採用にも積極的に投資しています。伝統に安住することなく、常に「社会の役に立つこと」を軸に進化し続ける組織でありたいと願っています。
ーーこれから入社される未来の仲間へ、メッセージをお願いします。
小野貢市:
スキル以上に「人を楽しませたい」「人を喜ばせたい」という情熱を持った方と一緒に働きたいと考えています。安心して働ける環境は私が用意します。自分の能力を磨き、仕事そのものを心から楽しんでください。私自身、この40年間は忙しいながらも本当に楽しいものでした。全国の自治体というフィールドで、自分が開発した仕組みが即座に社会実装される喜びは格別です。熱意ある皆さんと、新たな社会のインフラを構築できる日を楽しみにしています。
編集後記
小野氏の言葉から端々に感じられたのは、社員に対する深い愛情と、自らの仕事が民主主義を支えているという強烈な自負だ。40年という長いキャリアを「本当に楽しかった」と振り返る姿に、理想のリーダー像を見た気がした。同社が今、クラウド技術の導入や開発の内製化といった未知の領域へ果敢に挑めるのは、長年現場で磨き上げてきた「顧客の声を形にする力」があるからにほかならない。伝統に縛られるのではなく、積み上げてきた信頼と技術を土台に、自らをアップデートし続ける姿勢にこそ同社の真価がある。「社員を第一のステークホルダー」と定める同氏のもと、アナログとITを融合させ、どのように社会の安全・安心をアップデートしていくのか、今後の飛躍が楽しみだ。

小野貢市/1961年群馬県出身。1985年中央大学法学部卒業後、株式会社ムサシに入社。取締役東京第一支店副支店長、取締役経営企画本部長、取締役副社長などを経て、2025年6月代表取締役社長に就任。