※本ページ内の情報は2026年2月時点のものです。

牛骨ラーメン専門店「ラーメンまこと屋」を主力ブランドとして、国内外に105店舗を展開する株式会社マコトフードサービス。同社は、牛骨をベースにした独創的なラーメンを強みに、着実な成長を続けている。工業高校を卒業後、タイヤ工場勤務を経て飲食業界へ転身し、25歳で起業した経歴を持つ代表取締役社長の笠井政志氏。事業拡大を導いたターニングポイント、社員が「会社のことが大好き」と思える組織づくりへの情熱、そして世界市場を見据えた今後の展望についてうかがった。

経営者を志した原点 世界人名事典が示した新たな道

ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。

笠井政志:
工業高校卒業後は大手タイヤメーカーへ就職し、製造現場で働いていました。しかし、工場で黙々と作業を続ける環境が私には合わず、1年半ほどで退職しました。

その後、友人の酒屋でアルバイトをしていたときに、牛丼チェーンを経営する社長と出会いました。その人柄や考え方に強く惹かれ、「この方の下で勉強したい」と19歳で入社を決めたことが、私の商売における原点です。

ーー起業に至った経緯をお聞かせください。

笠井政志:
牛丼チェーンには約5年半在籍し、店長やスーパーバイザーとして現場を統括しながら、将来を模索していました。その中で思い出したのが、小学校の担任から贈られた「世界人名事典」です。改めてページをめくると松下幸之助氏をはじめとする成功者の姿があり、そこで初めて「経営者になる」という夢が選択肢として現れたのです。

この一冊が大きな動機となり、周囲に「いつか自分で商売をしたい」と語っていたところ、ある知人から「挑戦してみないか」と資金援助の申し出をいただいたのです。そして、25歳で起業に至りました。当時はまだ飲食業で生涯を歩むとは決めていませんでしたが、この決断が人生の大きな転換期となりました。

飛躍のきっかけとなった2つのターニングポイント

ーー事業を成長させる上で、どんな転機がありましたか。

笠井政志:
最大の転機は、駐車場を完備した郊外のロードサイド店への出店戦略へ切り替えたことです。当時、急成長していた他社の社長から直接アドバイスをいただく機会があり、その際に学んだ「看板の大きさは信用の大きさだ」という考え方は今も徹底しています。お客様の信頼を得るために、コストを惜しまず立派な看板を掲げることは、私たちの成長を加速させる大きな要因となりました。

また、社員の意欲を引き出す仕組みについても、この時期に多くを学びました。経営者が一方的に与える制度ではなく、社員自身が行動したくなるような魅力的な目標や制度を整えることの大切さを教わったのです。これらの学びは、現在の組織づくりと成長を支える根幹になっています。

ーーその他にも、ターニングポイントとなったできごとがあれば教えてください。

笠井政志:
28歳のときに、前職時代にも触れていた「チェーンストア理論」の本を買い直したことが大きな転換点となりました。当時は昇格試験のために受け身で学んでいた理論でしたが、経営者の立場で読み直すと、その深い意義がすっと頭に入ってきたのです。「これなら100店舗、200店舗つくれる」と確信し、それ以来、私にとって経営のバイブルとなりました。

特に「ペガサスクラブ」というチェーンストアの勉強会での経験は大きな刺激を与えてくれました。会場では、数多くの店舗を展開する名だたる経営者の方々が、一生懸命に勉強されていたのです。大企業のトップが今なお学び続けている姿を目の当たりにし、「自分も正しく学べばあの人たちに近づけるかもしれない」と、強い希望を抱きました。

創業当時は、経営の正しいやり方がわからず、いわば「無免許」で運転しているような不安が常にありました。しかし、チェーンストア理論という指針を体系的に学んだことで、多店舗展開を成功させるための確かな「免許証」を手にしたような、揺るぎない確信を得ることができたのです。

牛骨ラーメンで世界へ 縁がつなぐグローバル展開

ーー貴社の事業内容についてお聞かせください。

笠井政志:
私たちは牛骨ラーメンを主力商品とするラーメンチェーン「ラーメンまこと屋」を展開しています。牛骨にこだわったのは、前職の牛丼チェーンでの経験から、他社とは違う独自性のある商品をつくりたいと考えたからです。現在、国内で約90店舗、海外ではモンゴルやスリランカなど6カ国で15店舗を運営しています。スープとチャーシューは、手間がかかっても全店舗で手づくりすることにこだわっています。

ーー海外進出は、どのような経緯で始まったのでしょうか。

笠井政志:
実は、自分たちから進出先を決めて展開したことは一度もありません。すべてご縁から始まっています。たとえばモンゴルでの出店は、10年前に日本に留学していた方からの連絡がきっかけでした。留学時代に私たちのラーメンのファンになり、母国で事業を成功させたその方が、当時の味を忘れられず「ぜひモンゴルで広めたい」と自ら手を挙げてくださったのです。10年前の記憶を頼りに連絡をくださるほどの熱意が、今の多店舗展開、そしてグローバルな広がりへとつながっています。

目指すは日本一のホワイト企業 社員が会社を大好きになる組織とは

ーー組織運営において、どのような環境づくりを大切にされていますか。

笠井政志:
働いている仲間たちが自分が働く会社を大好きだと思える、「業界No.1のホワイト企業」であることを何より大切にしています。私たちが理想とするホワイト企業とは、単に法令を遵守するだけではありません。一番重要なのは、社員一人ひとりが自社に誇りを持ち、活き活きと働ける環境をつくることです。やらされるのではなく、自発的に仕事を楽しめる状態こそが理想の姿だと考えています。そのための具体的な手段として、残業時間の削減や福利厚生の充実などを推進しています。

ーー接客面で意識されていることはありますか。

笠井政志:
上手な接客よりも「一生懸命な接客」が一番大切だと伝えています。マニュアル通りの洗練されたサービスより、たとえ不慣れでもお客様のために一生懸命な姿勢は必ず伝わります。会社がどんなに大きくなっても、この「心」の部分を大切にし続ける、「変わった会社」だと言われ続ける存在でありたいです。

2028年度に200店舗へ 世界で戦える会社をつくるための次なる一手

ーー最後に今後の事業展開について、具体的な目標をお聞かせいただけますか。

笠井政志:
2028年度末までに200店舗、売上高150億円を達成するという明確な目標を掲げています。現在は道半ばですが、目標を確実に達成するため、経営の抜本的な変革に取り組んでいます。

その具体的な戦略の一つが、海外市場の開拓です。特に世界に20億人いるといわれるムスリムの方々に向け、私たちの強みである「牛骨」を武器に、世界一のラーメンチェーンを目指す考えです。

一方で、こうした規模拡大を支える最大の鍵は「人材」にあると考えています。現状、アルバイトから正社員への登用率は1割強ですが、将来的に半数まで引き上げる目標を掲げました。

現場を熟知し、会社を好きでいてくれる仲間が「ここで社員になりたい」と思える組織こそ、真に良い会社であると確信しているからです。今までの延長線上ではない思い切った改革を進め、200店舗体制を必ず実現させたいです。

編集後記

工業高校を卒業し、タイヤ工場からキャリアをスタートさせた笠井氏。その後の人生を大きく変えたのは、一冊の「世界人名事典」との出会いであった。経営者という道を歩み始めてからも、人との出会いや理論との再会を成長の糧とし、着実に事業を拡大させてきた。その根底には、学びを実践へと転換する強い意志と、常に現状に満足せず、より良い形を模索し続ける探究心がうかがえる。社員が心から大好きだと思える会社を目指すという言葉に、同氏の経営信念が集約されている。世界を見据える同社の飽くなき挑戦は、これからも続く。

笠井政志/1973年神戸市生まれ。1991年神戸市立御影工業高校卒業。翌年、住友ゴム工業株式会社に入社。1994年株式会社珍丼亭に入社。1999年「鱶鰭(ふかひれ)屋」を創業。2003年、有限会社マコトフードサービスを設立。2005年株式会社に組織変更。現在に至る。