
大阪府松原市に本社を構え、米の卸売からレトルト食品、ギフト事業へと領域を広げ、躍進を続ける幸南食糧株式会社。同社を率いるのは、29歳という若さで事業を承継した2代目社長の川西孝彦氏だ。市場縮小が続く米穀業界において、危機感を原動力に、組織改革から海外展開まで次々と戦略を実行してきた。挑戦の裏には、先代から受け継いだ強固な経営信念と、緻密な人づくりの仕組みがある。業界の常識を変え、「提供価値No.1」を目指すその経営手腕に迫った。
競合でなく時代を捉えた創業者の決断
ーーまずは、代表取締役に就任された経緯をお聞かせください。
川西孝彦:
大学卒業後は金融機関に勤務し、2006年に家業である幸南食糧株式会社に入社しました。それまで家業を手伝った経験はなく、精米工場の現場作業からのゼロスタートでした。仕入れや営業を経て、東日本大震災があった2011年、私が29歳の時に代表取締役に就任しました。
当時、創業者である父はまだ65歳で、経営者としては十分現役で活躍できる年齢でした。ですので、社長交代は周囲からも驚かれましたが、父は「時代の変化」を敏感に感じ取っていました。
取引先であるスーパーマーケットなどの経営者が次々と40代、50代へ若返りを図っていました。そして父は「自分の世代では、若い経営者の本音を聞き出せないかもしれない」と危惧していたようです。そこで、20代の私にバトンを渡すことで、お客様から可愛がってもらいながら、本音で議論できる関係性を築かせようとしたのでしょう。「ライバルは競合他社ではなく、時代の変化だ」と父は常々語っていました。私の社長就任は、まさにその信念を体現した決断だったのだと、今になって痛感しています。
違和感を発信し、業界の課題から生まれた三本柱
ーー社長就任後、業界はどのような状況でしたか。
川西孝彦:
入社して数年が経ち、業界全体が見えてくるにつれ、数々の違和感を覚えるようになりました。お米の消費量はピーク時の半分以下になり、生産者の平均年齢は70歳を超え、後継者もいません。消費が減れば供給も減り、儲からなくなり、誰も事業を継がなくなります。
この負のスパイラルに対し、「業界の常識だから」で済ませていいのかと、私は強い疑問を感じました。そこで、この違和感を社内外に発信し続けると、次第に「そうだよね」と共感してくれる仲間が増えていったのです。
そうした共感の輪が広がったことで、仲間や顧客の声から自然と新しい事業が生まれていきました。たとえば、お米を買わない層でも「ギフトなら貰って嬉しい」という点に着目し、2012年にはギフト・ノベルティ事業を立ち上げました。さらに、「お米を炊く時間がない」という共働き世帯の声に応え、2016年にはレンジで温めるだけのレトルトご飯やお粥の事業を本格化させました。
現在では、米穀卸売、加工食品、ギフト・ノベルティの三本柱が互いの強み・弱みを補完し合い、多様化するライフスタイルに応える体制が整っています。社員のアイデアから生まれた「1合ごとの真空パックギフト」など、現場の声を形にできたのも、違和感を共有し合える土壌があったからこそです。
信頼を生む「小さな一流企業」のビジョン

ーー組織づくりにおいて、創業以来大切にされている精神や価値観について教えてください。
川西孝彦:
私たちは「小さな一流企業」というビジョンを掲げています。これは創業者が掲げたもので、具体的には「あいさつ」「きれい」「元気」「身だしなみ」「報連相」の5つにおいて一流を目指すというものです。
実は創業当初、挨拶がおろそかだったことが原因で、大切な取引を失った苦い経験があります。その経験から創業者は、「難しい技術や戦略は、やろうとしてもすぐには出来ないかもしれない。しかし、挨拶のような当たり前のことなら、意識を変えれば誰でも今すぐできる」という考えに至りました。
ただ、誰でもできることを継続することこそが、実は一番難しい課題です。そこで私たちは、「当たり前」という言葉を「小さな」と言い換えました。「当たり前のことを徹底して継続できる集団」こそが「小さな一流企業」であると考えたのです。ここには、規模の大小ではなく、そうした本質を大切にしたいという想いが込められています。地道な継続こそが、最も信頼を生むと信じているからです。
ーー社長就任後、ビジョンを浸透させるためにどのような改革を行いましたか。
川西孝彦:
私は「不易流行」という言葉を一番大切にしており、先代が築いた土台は守りつつ、新しい風を入れることを意識しました。
ただ、その考え方を浸透させるためには伝え方や仕組みを、時代に合わせて変えなければならないと考えたのです。そこで、理念を具体的な行動に落とし込むための独自の評価制度を導入しました。弊社ではこれを「大きな評価賞」と呼んでいます。これは、お客様からお褒めいただいた社員や、素晴らしい行動をした社員を、周囲のスタッフ10名の承認をもって推薦し、表彰する制度です。推薦する側にとっても「人の良いところ」を探す訓練になります。この制度により、理念が単なるお題目ではなく、自分たちの行動指針として自走し始めました。
ーー採用や教育の面では、どのようなことを意識されていますか。
川西孝彦:
以前は採用でのミスマッチもありましたが、現在は「考え方×熱意×能力」を基準にしています。特に重視するのは「考え方」と「熱意」です。自らやる気を生み出せる「自燃性」、火をつければ燃える「他燃性」の人材を積極的に採用しています。能力は入社後の教育で伸ばせますが、考え方や熱意はなかなか変えられないからです。
ただ、良い人を採用して終わりではありません。「採用(入り口)」で自社に合う人を招き、「教育(中身)」で理念やスキルを磨き、その頑張りを「評価(出口)」で正当に報いる。このサイクルを回すことが重要だと考えています。
具体的には、新入社員向けの「新米研修」などで理念を浸透させ、自走できる人材を育てます。そして、せっかく育った人材が会社を「卒業」してしまわないよう、評価制度も刷新しました。個人の採算だけでなく、現場での実際の行動やプロセスを評価基準にし、上司との面談を通じて納得感を高める。このサイクルが機能することで、社員が迷わず成長し続けられる環境を整えています。
加工技術を活かした海外挑戦と市場開拓
ーー今後の展望についてお聞かせください。
川西孝彦:
国内市場が縮小する中、海外への挑戦は必須です。ただ、日本のお米をそのまま輸出しても、現地の炊飯事情などの壁があります。そこで、弊社の強みである加工技術を活かし、レンジアップご飯や冷凍米飯として輸出することに注力しています。特にアメリカ市場を開拓し、2030年に向けて、輸出事業を会社の新たな柱として大きく成長させることを目指しています。
また、生産現場への支援も差し迫った課題です。社内に「地域活性化研究所」を設け、生産から加工・販売までを繋ぐ6次産業化を支援しています。さらに、NPO法人農産物加工協会を通じた生産者と加工メーカーのマッチングや、若手生産者を育成する「KOHNAN COLLEGE」の運営など、儲かる農業の仕組みづくりにも奔走しています。
ーー最後に、2030年に向けて目指す姿を教えてください。
川西孝彦:
目指すのは、お米業界における「提供価値No.1」の企業です。「お米は主食」という言葉に業界全体がとらわれ、革新的な商品が生まれにくい状況があります。
そこで、この固定観念を壊し、パンや麺に負けない革新的な商品を次々と生み出していきたいと考えています。パンや麺の業界が多様な商品を生み出し、消費量が落ちていないのに対し、お米の消費量は落ち続けているからです。
私たちがポジティブな情報を発信し続けることで、「お米業界って面白そうだ」と人が集まり、生産者が未来に希望を持てるようにする。未来の子供たちが、当たり前においしいご飯を食べられる環境をつくることこそが、私たちの使命です。
編集後記
同社の強みは、多角的な事業展開の足元に「凡事徹底」の精神が根付いている点にある。「当たり前のことを、誰よりも継続する」。この地道な実践こそが、顧客との揺るぎない信頼を築く礎となっているのだ。また、「未来の食卓においしいご飯をつくる」という使命感は、経営者だけの思いではない。その熱意が「共感」となって社内に広がり、社員一人ひとりが自ら考え行動する「自走する組織」の原動力となっている。伝統を守りながら革新を恐れないその姿勢は、日本の食文化に新たな希望の光を灯している。

川西孝彦/1981年、大阪府出身。京都産業大学卒業後、金融機関を経て、2006年に幸南食糧株式会社に入社。2011年9月、同社代表取締役に就任。お米の価値と魅力を次世代へ伝えるべく、多角的な事業を展開中。