
石油製品の販売から事業継続計画(BCP)のコンサルティングまで、エネルギーを軸に顧客の課題解決を支援する平野石油株式会社。三菱信託銀行でグローバルなキャリアを積んだ平野賢一郎氏は、2013年に家業である同社へ入社。ワンマン経営の影響が残る組織を、「失敗を恐れず挑戦する文化」へと導いてきた。「最大の強みは社員」と断言する同氏に、組織変革の軌跡と、「脱炭素」「BCP」を軸とした未来戦略について話を聞いた。
グローバルな視座を育んだ金融機関でのキャリア
ーーこれまでのご経歴をおうかがいできますか。
平野賢一郎:
青山学院大学の国際政治経済学部に進学し、卒業後は三菱信託銀行(当時)に入行しました。これらのキャリア選択の原点には、高校時代の経験が深く影響しています。高校時に経験したイギリスへの短期留学では、多国籍な学生たちとの英語による交流を通じ、グローバルビジネスのフィールドに対する強い関心を抱きました。この体験は、将来的に海外のビジネスに携わるという、私のキャリアの方向性を明確に定める契機となったと確信しています。
一方で、祖父が創業した家業のガソリンスタンドを将来的に継承する可能性は多少なりとも念頭にありました。グローバルな仕事への志向と、家業の継承という2つのテーマを両立させるため、私は、その両方の要求を満たすキャリアとして金融機関を選定しました。家業を経営していく可能性を見据え、将来不可欠となるファイナンスの専門知識を習得できる点に、キャリアとしての大きな価値を見出したためです。また、入行した三菱信託銀行では、海外の証券や投資に関わる業務にも従事する機会を得ることができ、当初抱いていたグローバルビジネスへの貢献という目標も実現することができました。
ーー銀行でのキャリアで、印象に残っている出来事について教えてください。
平野賢一郎:
ニューヨークで現地の社員をメンバーに持ち管理者として働いた時期があり、そこで日本とアメリカの労働観の違いを痛感しました。特に、職務内容によって給与が決まる「ジョブ型」の雇用形態に触れ、自分がどれだけのバリューを提供しているかを常に意識するようになりました。また、日本的な「阿吽の呼吸」は一切通じません。明確に言葉で伝え、相手が深く納得するまで対話することの重要性も学びました。これは価値観が変わる大きなきっかけとなりました。
ーー当時から大切にしていた考え方はありますか。
平野賢一郎:
常に仕事を通じた自己成長を意識していました。社内だけでなく、「マーケットに出ても評価される人になりたい」という思いが強かったです。また、「5:3:2の定理」という考え方も意識していました。5割は自分の目線、3割は一つ上の上司の目線、2割は二つ上の上司、つまり経営者の目線でものを考えるように努めていたのです。
「挑戦する文化」の醸成 ワンマン経営からの脱却
ーー貴社へ入社された経緯をお聞かせください。
平野賢一郎:
銀行での仕事は充実していましたが、当時父が70代に入り、会社の今後について話す機会が増えました。社員が70人ほどいると聞き、自分を育ててくれた家業と、そこで働く社員たちの生活を思い、自分の思いだけで銀行に残り続けてよいのかと考えるようになりました。規模の大小にかかわらず「経営」という職務に携われる機会は恵まれていると考え直し、入社を決意しました。
ーー入社当時、組織に対してどのような印象を持たれましたか。
平野賢一郎:
一言でいえば「規律がない」状態でした。先代である父は第二の創業者ともいえる存在で、非常にワンマンな経営スタイルでした。「社長が右と言えば右」という風土が根付いており、社員は「言われた通りにやればいい」と自分で考える習慣を放棄してしまっていたのです。
ーーその状況から、どのように組織変革に着手されたのですか。
平野賢一郎:
まずは結果を残して社員に認めてもらうしかないと考えました。「この人が入って会社がいい意味で変わった」と、利益や働く環境の改善などで実感してもらうことが急務だったのです。幸い、改善すべき点は多く、世の中で当たり前とされていることを一つひとつ導入するだけでも、社員にとっては大きな変化として映りました。
ーー組織の変化を感じたターニングポイントはどこでしたか。
平野賢一郎:
社員たちが「仕事の楽しさ」に気づいてくれたことです。私は入社当初から、「失敗していいから挑戦してほしい」「まずやってみよう」と伝え続けました。言われたことをそのままやるのは「作業」です。そうではなく、自分で仮説を立て、失敗を恐れずに挑戦し、達成感を得ることが本当の「仕事」なのだと伝え続けました。この思いが浸透し、自ら考えて動く社員が続々と増えていったとき、会社が変わり始めたと実感しました。
「社員こそ最大の強み」自己成長を促す教育体制

ーー貴社の最大の強みは何でしょうか。
平野賢一郎:
間違いなく「社員」です。私たちはメーカーではないので、技術力やハード面での比較優位性はありません。石油製品という同じ商材を扱っていても、お客様の困りごとをどう解決するかは、結局「人」のアイデアや提案力にかかっています。だからこそ、社員の教育には何よりも力を入れています。
変化の激しい時代に世の中で勝てるように、社員自身が「自分で武装する」ための機会を提供したいと考えています。その一つが自己啓発プログラムで、当初は手づくりで5個ほどでしたが、今では59もの研修プログラムを揃えています。この会社を離れることがあったとしても、「この会社にいて成長できた」と思ってもらえる。そんな会社でありたいと思っています。
「脱炭素」と「BCP」を軸とした次世代への事業展開
ーー現在、特に注力されている事業テーマについて教えてください。
平野賢一郎:
大きな軸は「脱炭素」と「事業継続計画(BCP)」です。脱炭素については、再生可能資源から作られるバイオ燃料「サステオ」をはじめ、現在10種類のバイオ燃料を取り扱っています。これらを全国にいつでもどこでも供給できる体制の構築を進めています。
また、BCPの分野でも、新たな取り組みを開始しています。これまでエネルギー供給の側面から災害に対する支援をしてきました。しかし、過去の災害経験から「水」、特に「生活用水」の確保が大きな課題であることを学びました。そこで、単に水を運ぶのではなく、井戸を掘る会社や水を濾過(ろか)する会社と連携。私たちがエネルギーを供給しながら、現地で生活用水を確保できるソリューションの開発を進めています。
さらに、「ヨボウサイン」というBCPシステムも開発・販売しています。これまでは食料や備蓄品の期日管理が中心でした。しかしこのシステムは、発電機のメンテナンス時期や消火器の交換時期など、ハード面の法定管理も一括でパッケージ化できます。こうしたことも含め、今後もさまざまな挑戦を続けていきます。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
平野賢一郎:
伝えたいことは2つあり、1つは経営理念にも通じることですが、「失敗していいから挑戦してほしい」ということです。挑戦しない限り成功はなく、現状維持は退化だと私は考えます。給与では感じられない「自己報酬」と呼べるような達成感を、仕事を通じて得ることができると信じています。
もう1つは、「闘争心」を持つことです。これは私自身が大切にし、社員にも伝えていることですが、読者の皆さん、特にこれからキャリアを築く方々にもお伝えしたいです。自分やライバルに「負けない」という強い気持ち、ファイティングスピリッツを持って仕事に取り組んでほしいと思います。
編集後記
グローバルな金融の世界から、規律のなかった70人の家業へ。平野氏が挑んだ組織変革は、まさに異文化への挑戦そのものだった。その原動力は、ニューヨークで培った個の価値を重んじる視点と、常に経営目線を持つ「5:3:2の定理」にある。「最大の強みは社員である」と語り、挑戦を促す文化づくりに邁進する姿。その信念は、脱炭素やBCPといった未来への事業戦略にも確かに貫かれている。失敗を許容し挑戦から学ぶ。その文化こそが、同社の成長を支える確かな基盤なのだろう。

平野賢一郎/1975年東京都生まれ。1998年青山学院大学国際政治経済学部卒業後、三菱UFJ信託銀行(旧・三菱信託銀行)へ入社し、主に証券受託部門に在籍。2006年から2011年までニューヨークにて証券ビジネスに従事。2013年に平野石油株式会社へ入社。2016年代表取締役に就任。燃料配送事業と併せて、工事現場向けの資材販売事業や企業、自治体向けのBCP対策事業をスタート。平時における現場の「欲しい」を届けると共に、有事における被災地へのエネルギーサポートを行っている。