※本ページ内の情報は2026年3月時点のものです。

1951年の創業以来、鉄スクラップ事業を祖業とし、時代の変化とともに総合リサイクル企業へと変貌を遂げてきた株式会社こっこー。現在、同社は「当社に関わる全ての人を幸せにする」という長期ビジョンを掲げ、循環型経済(サーキュラーエコノミー)の実現に向けた多角的な事業展開を進めている。家業を継ぐ意思のなかった代表取締役社長の槙岡達也氏は、いかにして老舗企業の改革に乗り出したのか。その背景には、自身の挫折経験と、厳格な先代への反発から生まれた「社員への深い愛情」、そして亡き社員への後悔があった。老舗企業の風土を「ボトムアップ」へと刷新し、未来へ挑む同氏に話を聞いた。

「逃げるように帰ってきた」家業と太陽光バブルでの原体験

ーーまずは、槙岡社長のキャリアの始まりからお聞かせいただけますか。

槙岡達也:
当初、家業を継ぐ意思は全くありませんでした。そのため大学卒業後は、採用という仕事を通じて多様な業界を見られる点に惹かれ、株式会社毎日コミュニケーションズ(現・株式会社マイナビ)に入社しました。しかし、そこで待っていたのは深い挫折でした。なかなか思うような成果が出せずに自身の力不足を痛感し、今後のキャリアについて思い悩む日々が続いていました。そんな矢先、叔父から「帰ってこないか」と声をかけられたのです。その言葉に背中を押される形で帰郷を決意しました。

ーー帰郷後は、すぐに家業へ入られたのでしょうか。

槙岡達也:
すぐに家業には入らずに、まずは5年間の修業期間として、主要取引先である日新総合建材(現・日鉄鋼板)に入社しました。そこで私の人生を変える大きな転機が訪れたのです。

東日本大震災後、国内のエネルギー政策は大きく変化しました。原発停止の影響で太陽光発電への需要が急増。2012年に「再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)」が導入されたことで急速に拡大したのです。

私たちが扱う鋼材加工品も、発電パネルを支える「架台」としてかつてないほどの注文をいただき、業界全体が一種の活況を呈する状況となりました。前職ではなかなか自身の成果を実感しづらい面もありましたが、この時は違いました。自分の仕事が会社の利益を生み、会社が潤っていく。「自分も利益に貢献できている」という確かな手応えを、初めて肌で感じることができたのです。この時に味わった「商売の手触り感」と成功体験は、自信を失っていた私にとって、何物にも代えがたい財産となりました。

「父のようにはなれない」トップダウンからの脱却と覚悟

ーー5年間の修業を経て家業に戻られた際、社内の雰囲気はいかがでしたか。

槙岡達也:
太陽光ブームの対応に追われ、営業として無我夢中で働いているうちに5年の期間が満了し、戻ることになりました。しかし、戻ってすぐに衝撃を受けたのが、社内に染み付いた根深いトップダウン体質です。厳格な父に対して誰も意見できず、ただ指示に従うだけの組織になっていました。

当時の私はマネジメント経験もなければ、業界の専門知識もありません。父のように振る舞おうとしても、誰もついてこないことは明白でした。だからこそ、私は父とは真逆のやり方、つまり「トップダウン」から「ボトムアップ」へ変革せねばならないと固く決意したのです。

ーーその後、どのような経緯で社長に就任されたのでしょうか。

槙岡達也:
弊社に戻ってわずか1年半後、32歳になる年の4月に社長へ就任することになります。父がかねてから「65歳で引退する」と周りに公言しており、ちょうどその時期が到来したのです。

ただ、その決断には「自分は40代で社長になったが、一番脂が乗っている30代に決定権がなく、何もできなかったのが悔しかった。お前にはそういう思いをさせたくない」という父なりの親心もありました。まだ早いとは感じましたが、早期に決定権を持たせてくれたことには深く感謝しています。

ーー社長就任後、組織変革のためにどういった役割をご自身に課しましたか。

槙岡達也:
トップダウンから脱却するためには、社員が委縮せずに済む環境を作ることが、業界未経験の私にもできる仕事だと考えました。

その上で、社員が主体的に動くための指針として掲げたのが、「当社に関わる全ての人を幸せにする」という長期ビジョンです。全員のベクトルを合わせるべく中期経営計画の策定にも着手し、「私は素人だから、皆さんの経験や知識で力を貸してほしい」と、自ら各営業所を回って協力を仰ぎ続けました。

さらに、精神論だけでなく待遇面などの環境を変える必要性も痛感し、年間休日を大幅に拡充しました。また、「老後2000万円問題」が話題になった際には、将来への不安なく働けるよう、確定拠出年金による退職金の上乗せ制度も導入しました。社員が自律的に動く組織にするためには、まず会社側が「本気で社員の幸せを考えている」という事実を、行動で示す必要があったのです。

ーー改革を進める中で、特に大きな危機や困難はなかったのでしょうか。

槙岡達也:
実は2020年に、主要取引先であった製鉄所の閉鎖が発表されるという最大の危機がありました。当時、構内作業に従事していた約130名の社員の雇用が危ぶまれる事態となりましたが、私の基本方針は「社員の幸せ」ですので、リストラは絶対にしないと腹を括りました。

そこで、逆転の発想で人手が余ることを武器にしようと考えたのです。閉鎖情報が出た直後から動き出し、土木事業を行う企業のM&Aによる新規参入や、解体事業の強化など、多角化を一気に進めました。世の中が人手不足で苦しむ中、我々には豊富な人材がいる。これを強みとし、ピンチを好機に変えて挑戦した結果が、現在の強固な事業ポートフォリオにつながっています。

「解体から創造まで」循環の輪をつなぐ新たなビジネスモデル

ーー改めて、貴社の事業内容について教えていただけますでしょうか。

槙岡達也:
私たちのビジネスの根幹は「循環」にあります。創業時はリヤカーでスクラップを集める仕事から始まりましたが、現在目指しているのは、鉄に限らずあらゆるモノの循環を実現する「総合リサイクル企業」です。

近年、特に注力しているのが、不動産と解体を組み合わせた循環ビジネスです。たとえば、空き家付きの土地を買い取り、我々の手で解体し、更地にして再生する。さらに、そこに新しい建物を建てるための資材も供給する。単に壊して終わりではなく、新たな価値を生み出し販売するところまで包括的に手掛ける。これが我々独自の付加価値になると確信しています。

ーー循環型社会の実現に向けて、他にはどのような取り組みをされていますか。

槙岡達也:
自社だけでなく、国や他社と連携した動きも加速させています。たとえば、経済産業省が主導する「サーキュラーパートナーズ(※1)」への参画です。中でも具体的な事例として進めているのが、富山のアルミメーカーである三協立山株式会社との連携プロジェクトです。これは、解体現場から回収したアルミサッシを富山へ送り、再び高品質なアルミ製品として蘇らせるというものです。質の低い素材としての再利用ではなく、アルミを再びアルミに戻す「水平リサイクル」を実現する。こうした高度な循環スキームを、中国・四国エリアの担当として推進しています。

(※1)サーキュラーパートナーズ:2023年に経済産業省、環境省、日本経済団体連合会が創設した「サーキュラーエコノミー(循環経済)に関する産官学のパートナーシップ」のこと。循環経済の実現に向けた関係者の連携強化を目的としている。

「8000歩で3000円」お節介が作る社員の健康

ーー社員の幸せを実現するために、特に力を入れていることはありますか。

槙岡達也:
「健康経営」には特に力を入れています。実は数年前、定年退職を1ヶ月後に控えた社員が病気で急逝するという悲しい出来事がありました。志半ばで亡くなられたご本人、そしてご家族の姿を見て、「会社としてもっとできることがあったのではないか」と強く後悔しました。心身の健康なくして幸せはありません。だからこそ、会社としてできる「お節介」を焼こうと決め、社員の健康づくりに本腰を入れています。

主な取り組みとしては、アプリを使った「ウォーキングキャンペーン」があります。たとえば「1ヶ月間、平均8000歩以上歩いたら現金3000円支給、7000歩なら2000円」といった具合に、ゲーム性のあるインセンティブを用意しており、多くの社員が楽しみながら参加してくれています。

他にも、「禁煙デーにはガムや紅茶を配る」といった、一見すると些細な啓蒙活動も行っています。「会社から言われる筋合いはない」と思われるかもしれませんが、これらは全て私なりの愛情とお節介です。また、呉市内で「スポGOMI in 呉」というイベントも開催し、地域の方や社員と共に楽しみながら健康づくりと環境美化に取り組んでいます。社員には、心身ともに健康で、長く幸せに働いてほしい。そしていつか、「自分の子供もこっこーに入れたい」と思ってもらえる会社にする。それが私の夢であり、究極の目標です。

AI活用と「夢」を叶える人事制度

ーー今後のビジョンについてお聞かせください。

槙岡達也:
現在、2030年に向けた中期経営計画とともに、人事制度の抜本的な改革を進めています。パッケージの導入ではなく、ゼロから自分たちでつくっているのですが、目指すのは「個人の夢」と「会社の成長」の完全なリンクです。

たとえば、「30歳までにマイホームを建てて結婚したい」という夢を持つ社員がいるとします。その地域の相場から逆算すると、必要な年収が見えてきますよね。そうしたら、会社の賃金テーブルと照らし合わせ、「その年収に届くためには、いつまでにどの等級に上がり、どんなスキルを身につける必要があるのか」を具体的に落とし込むのです。会社で頑張ることが、自分の夢の実現に直結する。そう実感できれば、モチベーションは自然と生まれます。設計は難しいですが、これが実現できれば最強のボトムアップ組織になると信じています。

ーーマーケティング面での強化ポイントはありますか。

槙岡達也:
これまでは「つくって売る」という発想でしたが、今後は「市場が求めるものを提供する(マーケットイン)」顧客起点の考え方を徹底します。その武器として、全社員に向けたAI研修を計画しています。AIという便利なツールを活用し、顧客の潜在ニーズを掘り起こすソリューション営業へと転換を図ります。

また、ブランディング強化として、SBT認証(温室効果ガス削減目標の国際認定)の取得や公式マスコットの企画、SNSでの発信、社内報の発行頻度アップなど、内外への発信力を高めています。

ーー最後に、読者へのメッセージをお願いできますでしょうか。

槙岡達也:
私は今、2030年の中期計画をつくっているのですが、視線の先にはさらにその先、カーボンニュートラルの達成目標年でもある2050年があります。また、翌年2051年は弊社が設立100周年を迎えます。

これからの時代、変化のスピードはますます加速し、想像もつかない未来が待っているでしょう。だからこそ、若い方には「今」だけでなく、遠い未来を見据えて動いてほしい。そして、社会的な課題や使命を「自分ごと」として捉えてほしいと願います。私自身、何も分からないまま社長になり、自分がやらなければという使命感だけで走ってきました。未来を先読みし、社会のために何ができるかを考え、行動する。そうした視座を持つことで、人生はより豊かで楽しいものになるはずです。私たちも、地域社会、ひいては地球全体の持続可能な未来のために、変化を恐れず挑戦し続けます。

編集後記

「定年直前の社員を亡くした時、会社としてもっとお節介を焼くべきだったと痛感したんです」。そう語る槙岡氏の言葉には、トップダウン経営から脱却し、社員一人ひとりの人生と向き合おうとする覚悟が滲んでいた。「8000歩で3000円」というユニークな施策も、単なるイベントではなく、亡き社員への深い後悔と愛情から生まれたものだと知り、その温かさに胸を打たれる。解体から創造までを担う循環ビジネスと、社員の個人の夢を応援する人事制度。この二つの両輪が噛み合ったとき、同社は地域になくてはならない真のインフラ企業として、その存在価値を不動のものにするだろう。

槙岡達也/1985年広島県生まれ、武蔵大学経済学部卒業。株式会社毎日コミュニケーションズ(現・株式会社マイナビ)や日新総合建材株式会社(現・日鉄鋼板株式会社)に勤めた後、2015年に株式会社こっこー入社。生活環境事業部長などを経て、2016年5月から取締役常務執行役員、2017年4月に同社代表取締役社長に就任。