
兵庫県丹波篠山市に拠点を構え、名物「ぼたん鍋」で知られる株式会社おゝみや。代表取締役社長の大見春樹氏は、一度は故郷を離れて大阪で事業を拡大させた実業家だ。家業を継ぐために故郷へ戻った後、今や地域の定番となった「黒豆ソフトクリーム」の開発や観光まちづくりに尽力した。さらに、本業では特産の猪肉の価値を最大化する独自戦略で、業界内で確固たる地位を築き上げた。同氏が目指す丹波篠山の未来とは。その壮大なビジョンと軌跡に迫る。
時代の変化を捉えた独立と物流革命という好機
ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。
大見春樹:
関西大学社会学部を卒業後、現在の三菱食品の前身にあたる株式会社菱食に入社し、お酒の営業を担当しました。そして27歳の時、大阪で独立するという転機を迎えます。自身の事業を立ち上げる傍ら、まずは家業であるおゝみやの地方発送を手伝うことから始めました。
家業を手伝い始めた頃、国鉄が民営化しJRへと移行する、まさに変革の時代。おゝみやではそれまで夜間貨物で荷物を送っていましたが、民営化で便が減り発送に支障が出始めました。その状況を一変させたのが、ヤマト運輸の宅急便です。小口での全国発送を可能にしたこの物流革命が、事業を始める大きなきっかけになりました。
ーー創業当初は、どのような事業を展開されたのでしょうか。
大見春樹:
1970年の大阪万博を機に第一次ジビエブームが到来すると、私はこの好機を捉えて「ヤマト食品」を設立しました。宅急便という新たな物流網を駆使し、時代の需要に合った食材を全国の旅館へ供給しました。さらに商社との連携で台湾からの鴨肉輸入も手掛け、ピーク時には年間1000トンを扱う規模にまで成長したのです。
行政に先駆けた観光まちづくりの礎と名物開発
ーー丹波篠山に戻られた経緯を教えてください。
大見春樹:
鴨肉事業の主要な輸入元だった中国で鳥インフルエンザが発生し、原料の供給が完全に止まってしまいました。それが大きなきっかけとなり、M&Aで大阪の会社を売却することを決意しました。一人息子ということもあり、家業を本格的に手がけるため故郷に戻ったのです。
帰郷してからまず、丹波篠山の名産である黒豆を使ったソフトクリームを考案しました。今では地域の定番になっています。それから、観光にも力を入れようと考えました。20〜30年前に第三セクター(※)「街づくり篠山」の社長を務め、阪神間に向けて丹波篠山の情報を積極的に発信していきました。
(※)第三セクター:国や地方自治体(第一セクター)と民間企業(第二セクター)が共同で出資して設立する法人のこと。
ーー当時、観光に対する地域や行政の反応はいかがでしたか。
大見春樹:
当時は行政も農業や企業誘致が中心でした。観光にはまだあまり力を入れていなかったのです。商店街からも「観光客が増えると地元の人が買い物しづらくなる」と反対の声があったほどです。しかし、粘り強く取り組みを続けた結果、約15年前から完全に観光へ舵を切りました。今では10月の繁忙期に70〜80万人もの人々が訪れるようになりました。
「安く売らない」逆転の発想から生まれた独自性

ーー貴社の事業を、どのように成長させてこられたのでしょうか。
大見春樹:
イノシシ肉という特殊な商材は、仕入れが全てです。売上を伸ばすには安定した供給が不可欠ですが、それが非常に難しいのが現状です。そこで、供給量が限られている冬場のぼたん鍋シーズンに、無理に安く売る必要はないと考えました。高品質な商品に見合った価格で販売する方針に切り替えたのです。
ロースや肩ロースといった美味しい高級部位は、非常に高く売れます。そこで、部位別の販売を徹底する供給体制を整えました。これは、十分な供給量を確保できない他社には真似のできない戦略です。この取り組みが実を結び、業界内での地位を確立できました。今では一冬で数千万円分を仕入れてくださる料理店も増えています。
ーー部位別販売で残った部分については、どのように活用されていますか。
大見春樹:
従来から手掛けていた加工品を強化しました。常温で楽しめるお酒の肴としてジャーキーを開発したところ、これがヒット商品になったのです。また、フレンチやイタリアンといった業態では、調理方法によってあらゆる部位を余すことなく価値に変えることができます。こうした販路の開拓には、大阪時代の元社員など、当時培った人脈が生きています。
丹波篠山を「猪肉と黒豆の街」へ導く未来への構想
ーー今後の事業展開について、どのようにお考えですか。
大見春樹:
弊社は、「ぼたん鍋」をはじめとするジビエ料理が主力商品ですが、ジビエを使ったジャーキーやドッグフードなどが次の柱です。この加工品事業で1億円規模の売上を目指します。実現すればグループ全体の売上は7億から8億円になる見込みです。もちろん、そのためには原料の安定調達と、良いものをつくり続けるという課題をクリアせねばなりません。
ーー事業を通して、丹波篠山という地域をどのようにしていきたいですか。
大見春樹:
以前、東日本大震災の際に仙台を訪れたとき、街中が牛タンの店であふれている光景を目にしました。それを見て、「丹波篠山も『猪肉と黒豆の街』にしたい」と強く思うようになりました。弊社だけでなく、様々な店が猪肉料理を提供し、地域全体で観光バスを呼び込む。そんな魅力ある街づくりに貢献していくことが、今後の目標です。
編集後記
大阪での成功と挫折を経て、故郷・丹波篠山に新たな価値を創造する大見氏。物流革命の波に乗り、行政に先駆けて観光の礎を築いたその先見性には驚かされた。その力は今、イノシシ肉の高付加価値化という形で発揮されている。単なる家業の発展に留まらず、地域全体を「猪肉と黒豆の街」へと昇華させようという壮大なビジョン。その挑戦は、地方創生の新たなモデルケースとなるだろう。

大見春樹/1952年兵庫県に生まれ、関西大学社会学部を卒業。株式会社祭原(現・三菱食品株式会社)に入社し、社会人としてのキャリアをスタートさせる。その後、1979年にヤマト食品を設立。1989年には株式会社おゝみやに入社し、1997年10月には同社の代表取締役に就任。地域経済や産業の振興にも尽力しており、丹波篠山市企業懇談会代表幹事や神戸経済同友会北播丹波支部会員を務める。また、兵庫県指定観光名産品協会副会長として地域の名産品の発展にも貢献している。これらの功績が認められ、平成29年(2017年)5月3日には兵庫県産業振興功労賞を受賞。篠山ロータリークラブ会員でもある。