
「からだのことを考えながら、ちゃんとおいしい。」をコンセプトに掲げ、「おいしい健康食」を追求し続ける株式会社おいしいプラス。保存料・化学調味料不使用の「無添加」と徹底した「低糖質」にこだわり、伊勢丹や東京駅「グランスタ東京」などの激戦区で行列を作る人気店だ。同社の代表取締役会長の江﨑新太郎氏は、料理人として30年~40年のキャリアを持ち、三つ星シェフとしての技術で糖尿病予備軍から健康を志す人まで、幅広い層を支えている。赤坂の料亭で修行先をつかみ取った原体験から、金融のプロである社長との二人三脚で挑む医療食の革新まで。職人の技術と科学で社会課題に挑む、「闘う料理人」の覚悟に迫った。
履歴書を握りしめ赤坂の料亭を巡った日
ーーまずは、料理の道に進まれた原点からお聞かせください。
江﨑新太郎:
きっかけは中学生のときです。母に連れて行ってもらった喫茶店で、マスターがサイフォンでコーヒーを淹れる姿を見て「かっこいいな」と憧れを抱きました。どうしても働きたくて、高校生と偽ってアルバイトを始めたのが私の原点です。そのマスターが私にコーヒーのいろはを丁寧に教えてくれ、中学3年生の頃にはドリップやサイフォンを扱えるようになりました。その後も他のアルバイトには目もくれず、原宿のカフェや洋食屋、レストランで働き、厨房で洗い物から調理までを経験しました。
ーーフランス料理店で働いていたのに、日本料理へ転向されたのはなぜでしょうか。
江﨑新太郎:
大学時代の4年間はフランス料理店で修業に励み、そのままその道へ進むつもりでした。しかし、当時のフレンチは現在よりもはるかに濃厚で、生クリームやバターを多用するのが主流の時代です。毎日まかないを食べ続けるうちに体を壊してしまい、「これを一生の仕事にするのは難しい」と痛感しました。
そこで、体に負担の少ない日本料理への転向を決意したのです。大学卒業を間近に控えたとき、私は履歴書を握りしめて、高級料亭がひしめく赤坂へ向かいました。
ーー縁故もない中で、どのようにして赤坂の料亭へ飛び込まれたのでしょうか。
江﨑新太郎:
当時は何のつてもなかったので、完全に飛び込みでした。料亭の勝手口を叩いては「働かせてください」と頼み込みました。しかし、当時の料亭は、地方の料理人の息子や中学を出てすぐに修業を始める人が多く、親方と弟子という徒弟制度の世界。一見さんで大学出の私などはなかなか相手にしてもらえませんでした。
もう諦めようかと思いながら訪ねた最後の一軒が、赤坂の「山崎」という料亭でした。出てきた料理長に、大学を出てまでなぜ料理をやりたいのか、必死に思いを伝えたところ、「お前面白いやつだな。明日から来い」と言ってくれたことで、私の修業が始まったのです。
失敗から学んだ「味」と「健康」の方程式

ーー貴社を起業された経緯についてお聞かせください。
江﨑新太郎:
もともとは、とある大学の糖尿病の先生から「糖質制限の献立を本にしたい」と依頼されたことがきっかけです。まだ世の中に「糖質制限」という言葉が浸透していないころでした。その本を見た現社長の伊東から、「糖質制限のレストランを運営してほしい」と熱心に誘われたのです。店舗を増やすつもりはなかったのですが、お弁当事業であればと監修を引き受けたのが、弊社の始まりでした。
しかし、立ち上げ当初は苦労の連続でした。2014年ごろ、1号店として丸ビルにお弁当の実店舗を出店したのですが、全く売れません。当時はまだ「糖質制限」という概念が一般的ではなかったのですが、私たちはその言葉を前面に押し出しすぎてしまいました。訴求方法が適切ではなかったことに加え、周囲の店舗に比べて価格が高かったこともあり、わずか1年で撤退を余儀なくされました。今思えば非常に苦い経験ですが、そこでの学びが今の私たちの土台となっています。
ーー事業が好転するきっかけとなった出来事はありますか。
江﨑新太郎:
転機となったのは、伊勢丹新宿店と東京駅の地下にある「グランスタ東京」への出店です。日本一感度が高いと言われる伊勢丹や、東京駅のような多くのお客様が集まる場所で勝負できたことは、非常に大きかったですね。
もちろん、立地が良いからといって味に妥協は一切しません。私たちは「体に良いから味が薄くても仕方ない」と思われないことを大切にしています。化学調味料や保存料を使わず、出汁の旨味や素材の力を引き出すことで、「糖質制限なのに、普通のお弁当よりおいしい」というレベルまで味を磨き上げました。現在は、糖質制限を前面に出さずとも、その味と品質を認めていただき、多くのお客様に選んでいただけるようになりました。
大阪大学と挑む「ケトン食」の革命
ーー今後の展開について、現在注力されている新たな取り組みがあれば教えてください。
江﨑新太郎:
これは私の料理人人生における最優先課題の一つなのですが、現在は大阪大学の萩原先生と共に「ケトン食」のお弁当開発を進めています。「ケトン体」は、糖質を抑えて脂質を増やすことで体内に作られる物質です。がんの抑制など、予防医療の観点からも非常に注目されています。しかし、これを家庭の食事で実践するのは非常に難しいのが現状です。
というのも、「ケトン食」を成立させるためには、糖質や脂質の量を厳密に管理しなければならないからです。そのため、私たちは、その難しい食事療法をプロの技術でおいしく提供することを目指しています。
ーー開発にあたって、特にこだわっている点は何でしょうか。
江﨑新太郎:
冷凍でも味が落ちないことです。通常、野菜などは冷凍後に加熱すると、変色したり食感が損なわれたりしてしまいます。これでは毎日食べる気になれませんよね。そこで私たちは試行錯誤を重ね、冷凍・解凍を経てもつくりたての美味しさを維持できる独自の調理法を開発しました。
毎日ご自身やご家族のためにストイックな食事をつくり続けるのは、精神的にも大きな負担になります。だからこそ、プロの技術で「計算された栄養価」と「食べる喜び」を両立させたお弁当を提供し、闘病中の方々の心と体を支えたいと考えています。
4月から商品をリニューアルし、一般の方だけでなく、真剣に食事療法を必要としている方々に届くよう、体制を整えているところです。
「食」で人を救う それが職人の矜持
ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
江﨑新太郎:
「食」という漢字は「人」を「良」くすると書きます。若い頃、ある方から「食べ物は薬にもなれば毒にもなる。だから料理人は人の命を預かっているんだ」と教わりました。その言葉が、今の私の指針になっています。
日本の成人の6人に1人は糖尿病予備軍と言われています。病気になってから薬で治すのではなく、毎日の食事でおいしく食べて、病気を予防する。そして、がんなどで苦しむ方々には、「ケトン食」という希望を届けたいです。
ーービジョン実現のために、現在はどのような体制や計画で事業を進められているのでしょうか。
江﨑新太郎:
現在は野村證券株式会社や米モルガン・スタンレー証券出身の弊社社長の伊東が経営と数字を担い、私が味と品質の追求に専念するという、完全に役割分担をして進めています。金融のプロである彼が「この事業には投資する価値がある」と信じて動いてくれていることは、私にとっても大きな自信になっています。
今後は冷凍弁当の販路を全国に広げ、病院や施設など、本当に必要としている人たちへ届けていきたいと考えています。おいしい食事で人を助ける。それが、私がこれから先取り組むべき使命だと思っています。
編集後記
「最後の一軒でダメなら諦めるつもりだった」と笑う江﨑氏だが、その瞳には料理への静かなる闘志が宿っていた。赤坂の料亭で培った本物を見極める目と、最新の医学的エビデンスを融合させる挑戦は、まさに職人魂の結晶だ。取材中、「おいしくなければ意味がない」と繰り返した言葉が印象深い。ストイックな食事療法すらも「楽しみ」に変えてしまう同社のお弁当は、多くの人々の健康と心を救う光となるに違いない。

江﨑新太郎/1962年東京都生まれ。法政大学を卒業後、東京・赤坂の料亭で修行を始める。1994年、東京・青山に「青山えさき」を開店。2018年に山梨県の八ヶ岳南麓へ移転し、「八ヶ岳えさき」を開店。2014年、株式会社おいしいプラスを設立し、代表取締役会長に就任。