※本ページ内の情報は2026年4月時点のものです。

国内のコンビニエンスストア数を遥かに凌駕し、全国に23万軒以上がひしめき合う美容室業界。人口減少に伴う過当競争が激化の一途を辿る中、深刻な人材不足と離職率の高さは、業界全体が解決すべき喫緊の構造的課題となっている。そんな中、1999年の東証上場以来、業界を牽引し続けてきた株式会社田谷が、今、静かなる革命を起こしている。「技術を教えるだけでは、もう生き残れない」。そう語るのは、代表取締役会長 兼 社長の田谷和正氏だ。拘束時間の短縮、年俸制の導入、そしてデジタル教育の本格化。半世紀に及ぶ看板に安住することなく、次世代の美容師が真に誇りを持って働ける環境を再構築する同氏に、その改革の全貌と未来への展望をうかがった。

技術より人間力が鍵 「ブランド=人」の方程式を再定義する

ーーまずは経営において、最も大切にされている信念についてお聞かせください。

田谷和正:
私の根底にあるのは、「企業は人なり、人は石垣」という言葉です。これは単なるスローガンではなく、特にコロナ禍という未曾有の危機を経て、その重みをより一層痛感するようになりました。2003年に私が社長に就任した際、周囲からは「TAYAはブランドだ」と称賛され、私自身もそれを当然のように受け止めていました。しかし、ある時ふと「ブランドの正体とは何か」を深く掘り下げてみたのです。すると、時計やバッグといった目に見える「モノ」のブランドと、私たちが提供する「技術」のブランドには、決定的な性質の違いがあることに気づかされました。

ーーその「決定的な違い」とは、具体的にどのようなことでしょうか。

田谷和正:
一言で言えば、価値を「可視化」できるかどうかです。モノであれば購入前に手に取ることができますが、カットやパーマという技術は、施術が完了するその瞬間まで形が見えません。つまりお客様にとって、サービスの良し悪しを判断する唯一の基準は、技術そのもの以上に「担当した美容師の振る舞い」にあるのです。

カウンセリングの丁寧さから施術中の細やかな気遣い、さらには帰宅後のアフターケアのアドバイスに至るまで。その全プロセスを通じた美容師の人間性こそが、お客様にとっての「TAYAブランド」そのものになります。ロゴの知名度ではなく、現場に立つスタッフ一人ひとりの人間力こそがブランドの源泉である。そう定義し直したからこそ、私たちは技術教育以上に「人づくり」に投資しなければならないと考えたのです。

3年で50%が辞める業界の常識を覆す働き方改革

ーー深刻な人材不足が叫ばれる中、どのような対策を講じているのでしょうか。

田谷和正:
美容業界には長年、長時間拘束と低賃金という負の慣習が根強く残っていました。美容学校を卒業し、輝かしい夢を抱いて入社しても、過酷な労働環境を前に3年以内に約半数が離職してしまうのがこの業界の残酷な現実です。しかし、この流れを断ち切るためには、精神論での呼びかけではなく、根本的な「仕組み」を変えるほかありません。

そこで着手したのが、労働環境の抜本的な改善です。具体的には、これまで1日10時間(休憩2時間)であった拘束時間を、9時間(休憩1時間)へと短縮します。実労働時間の8時間は維持しつつ、拘束時間のみを1時間削減したのです。この「1時間の余裕」が、スタッフの生活の質を劇的に変えることとなります。

ーーその1時間の短縮は、現場のスタッフにどのような変化をもたらしますか。

田谷和正:
拘束時間が短くなることで、スタッフは自発的なスキルアップの練習に時間を充てることも、プライベートを充実させて心身をリフレッシュさせることも可能になります。心に余裕が生まれれば、必然的にお客様に対するパフォーマンスも向上するという好循環が生まれます。

また、キャリアを積んだ店長や幹部クラスに対しては、昨年度より「年俸選択制」を導入しました。すでに6〜7割の社員がこの制度へ移行しています。年齢やライフステージの変化に合わせ、プレイヤーとして現場で稼ぐ道を選ぶのか、あるいはマネジメントに専念して店舗利益に貢献する道を選ぶのか。自らのキャリアを「会社に決められる」のではなく「自ら主体的に選択できる」ようにしたことで、プロとしての自覚がより深まりました。

ーーそれらの施策は、実際の離職率低下にも結びついているのでしょうか。

田谷和正:
顕著な成果が出ています。かつて4割近くに達していた新卒1年目の離職率は、直近では一桁台まで激減しました。この要因の一つとして、他店舗の先輩社員が相談役となる「クロス店舗型」のメンター制度の存在が挙げられます。

実は、退職理由のトップは常に「直属の上司との人間関係」です。そこで私たちは、あえて利害関係のない別店舗の先輩社員が1to1ミーティングを行う仕組みを整えました。同じ店舗の人間には打ち明けにくい悩みも、少し距離のある「斜めの関係」の先輩になら素直に相談できます。この精神的なガス抜きの場があることが、若手スタッフの確かな定着につながっているのです。

最短1年でデビュー SNS教育で発信力を高め個の力を育成

ーー若手社員の育成については、どのような取り組みをされていますか。

田谷和正:
教育のあり方も多様性の時代に合わせ、抜本的に見直しました。これまでは全員が一律で2年間の基礎カリキュラムを経てデビューしていましたが、現在は「標準1年6ヵ月」のスタンダードコースに加え、メンズ特化型などのコースであれば最短1年でのデビューを可能にしています。

現代のお客様は、サロンという「箱」ではなく、InstagramなどのSNSを通じて「個人の美容師」を探し、指名して来店されます。だからこそ、特定の得意分野を早期に確立させ、成功体験を積ませることが、本人の自信と収入の向上に直結するのです。

ーー「個人の力」が求められる中、SNSの活用はどのように位置づけていらっしゃいますか。

田谷和正:
今やSNSは、Z世代やα世代のお客様と繋がるための生命線です。会社が広告を出して集客するのを待つ時代は終わり、美容師個人が自らの魅力を発信し、自力で集客する力が不可欠となっています。

この流れを加速させるため、2026年春からはエリア単位で本格的な「デジタルリテラシー教育」を開始します。動画の撮影・編集技術からSNS運用のノウハウに至るまでを体系的に学べる環境を整え、個人のブランディングを組織の力で全面的にバックアップしていきます。これが、これからのTAYAが目指す教育のスタンダードです。

美容師を一生ものの資産に 家族が誇れる「かっこいい仕事」へ

ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。

田谷和正:
経営的な側面で言えば、サロン事業の収益だけに頼る「一本足打法」からの脱却を急いでいます。コロナ禍の教訓を活かし、ECサイトでの物販強化やバックオフィス部門の分社化など、収益構造の多角化を進めています。上場企業としての強固な安定基盤を武器に、再び「100店舗体制」を目指す再成長フェーズへと舵を切ります。しかし、私が経営者として成し遂げたい真の願いは、数字の先にある「美容師という職業の社会的地位の向上」にあります。

ーーその「社会的地位の向上」とは、具体的にどのような状態を目指していらっしゃるのでしょうか。

田谷和正:
それは、美容師という仕事が、スタッフの家族から心から誇りに思ってもらえるようになることです。私は創業者でもなければ、現場を沸かせるカリスマ美容師でもありません。ですが、だからこそ、社員たちが安心して長く働き続けられる強固な「土台」を作ることに心血を注げると自負しています。「TAYAで学んだことは、美容師人生において一生ものの資産になる」。そう胸を張って言える環境を約束したいのです。

単なる一時の労働ではなく、生涯をかけて追求できるキャリアを築いてほしい。結婚し、歳を重ねた時に、家族から「パパ、ママの仕事はかっこいいね」と心から言ってもらえるような。そんな誇り高い職業としての地位を確立するために、私はこれからも黒子として汗をかき続けていきます。

編集後記

「技術より人」と言い切る田谷氏の言葉には、半世紀以上の歴史を歩んできた同社の誇りと、変化を恐れない柔軟性が同居していた。特に、業界の構造的課題である長時間労働や人間関係にメスを入れ、離職率を一桁台まで改善させた手腕は見事と言うほかない。デジタルネイティブ世代が台頭する中で、伝統技術と最新のマーケティングを融合させようとする同社の挑戦は、美容業界の新たなスタンダードになっていくだろう。

田谷和正/1967年東京都千代田区生まれ、東京外語専門学校卒。1991年の入社後、フランスのファッションブランド「アンドレクレージュ」との業務提携によるヘアサロン「クレージュ・サロン・ボーテ」の営業部長としてブランドの認知拡大やサロン営業活動の推進に携わる。2003年代表取締役社長に就任、2016年代表取締役会長に就任。2025年8月より代表取締役会長 兼 社長となり、現在に至る。