
新潟県長岡市を拠点に、金属加工油のコンサルティング営業で独自の地位を築く長岡石油株式会社。「人に喜んでいただくために商売がある」という信念のもと、代表取締役の広川明一氏は大きな変革を成し遂げた。かつて売上の大半を占めていた燃料油事業から撤退し、ランチェスター戦略を武器に切削油市場で「新潟No.1」の座を確立した。その裏には、社員との関係性を変えた大きな転換があった。会社の現実を変えたのは環境でも他人でもなく、自らの心構えだったと語る広川氏に、その軌跡を聞いた。
商売の意義を求めた青年期 運命を変えた一冊の本
ーー社長のキャリアの原点についてお聞かせください。
広川明一:
高校生の頃は、教員が不足している僻地教育の役に立ちたいと教師を志していました。しかし、石油販売業を営む父から「後を継いでほしい」と説得され、商売の道へ進むことを考え始めました。
当時の私にはどうしても「商売」の意義が分からず非常に悩みましたが、その答えを求めて図書館に通う中で、倉本長治氏の著書に出会いました。その中にあった「人に喜んでいただくために商売がある」という一文に感銘を受けました。この言葉を自分の軸とすることを決め、家業を継ぐ道を選んだのです。
大学卒業後は、父の勧めもあって金属加工油の専門メーカーに就職しました。メーカーとしての専門知識をしっかりと身につけたいと考えたからです。営業職として2年間、神奈川や東北エリアのお客様を担当しました。
価格競争との決別 主力事業から撤退という大きな決断
ーーその後、貴社に入社された経緯を教えてください。
広川明一:
メーカーで営業として2年間勤めた後、次は生産技術など、より専門的な知識を深めたいと考えていました。しかしその矢先、父から「会社が大変だから、すぐに帰ってきてほしい」と連絡が入り、急遽Uターンして弊社に入社しました。
入社時の役職は専務でしたが、父も高齢だったため、実質的には私が社長代理として経営の舵取りを担う形でのスタートでした。
ーー入社当時の会社の状況はいかがでしたか。
広川明一:
当時は高度経済成長の時期で、燃料油の卸やガソリンスタンド事業は好調でした。
一方で、メーカー勤務時代に経験した、ある光景が忘れられませんでした。お客様から「今使っている油よりいいものはないか」と相談を受け、代替品を提案したところ、後日「油一つでこんなに性能が変わるとは」と心から喜んでいただけたのです。この経験こそが、私の目指す商売の原点でした。
この体験があったからこそ、2000年に燃料油事業から完全に撤退することを決断しました。もちろん、売上の大半を占める事業だったため周囲からは猛反対されましたが、私の考えは揺らぎませんでした。
ーー事業転換に踏み切れたのはなぜですか。
広川明一:
これまでのような「価格」で戦うのではなく、「専門知識」という新たな土俵で勝負できるという確信がありました。弊社のお客様である機械メーカーや工場は、いわば「機械のプロ」です。彼らは機械や材料には精通していますが、製造に不可欠なオイルの選定や管理は専門外の場合があります。
そこに私たちがオイルの専門家として入り、「この加工なら、こちらのオイルの方が生産性が上がります」というコンサルティングを行います。それによってお客様は製品の品質を高め、コストを削減できるのです。
単にモノを売るのではなく、専門知識で課題を解決してお客様に喜んでいただく。そこにこそ、価格競争とは一線を画す私たちの価値があると確信しました。
新潟No.1への道 ランチェスター戦略と組織改革

ーーどのようにして事業を軌道に乗せたのでしょうか。
広川明一:
「ランチェスター戦略」(※)を学び、新潟県で工業用潤滑油、特に切削油で一番になるという明確な目標を掲げて新規開拓に邁進しました。
結果として現在、新潟県の切削油市場で約60%のシェアを獲得しています。市場で40%超のシェアがNo.1の目安とされる中、圧倒的なポジションを確立できたと自負しています。現在は新潟だけでなく長野や東北6県にも展開し、将来的には全国へと広げていく段階です。
(※)ランチェスター戦略:「弱者」は特定の分野や地域に集中して差別化を図り、「強者」は総合力で市場の大部分を制圧するという、自社の市場での力関係(強者・弱者)に応じて取るべき戦略を分析・立案するマーケティング手法。
ーー組織づくりで苦労された経験はありますか。
広川明一:
事業転換当初は、社員に対して「思うように働いてくれない」と不満を抱いていました。「自分はこれだけやっているのに」という、完全な上から目線でした。当然、社員の心は離れていきます。しかし、その原因は全て自分にあると気づき、深く後悔しました。
そこからは人や環境のせいにすることをやめ、自らの行動を改めました。社員と共に客先へ同行したり、意識的に「ありがとう」と伝えることから始めたのです。自分が変われば、周りも変わってくる。そう信じて行動するうち、社員たちが自発的に働いてくれるようになりました。
時代を捉えるWeb戦略とDX AIと共存する未来
ーー貴社の強みについて教えてください。
広川明一:
切削油や工業用潤滑油に関する専門知識で、お客様の困りごとを解決する「コンサルティング営業」が最大の強みです。また、SEOにも力を入れており、「切削油の泡で困った」、「サビが出て困った」というようなお客様が、検索すると弊社にたどり着ける仕組みを構築しています。最近ではWebサイト経由で全国の企業から問い合わせをいただくようになりました。もちろん、従来からの対面での営業活動も並行して続けています。
ーーDXやAIについては、どのようにお考えですか。
広川明一:
社内にITが得意な社員がいることもあり、各種書類の電子化など社内のDXは進めています。今後は、いかに販売チャネルを増やし強化していくかが重要だと考えています。また、世の中で凄まじいスピードで普及が進んでいるAIは、私たちのコンサルティング領域と競合する部分もあります。人間ならではの価値を提供しつつもAIをうまく取り入れ、お客様に満足していただくことが今後の課題です。
ーー今後の事業展望についてお聞かせください。
広川明一:
これまでは「地域No.1戦略」で足場を固めてきましたが、今後はWebサイトやオリジナル商品を充実させ、日本全国のお客様からお問い合わせをいただける会社になることが目標です。距離に関わらず、私たちのコンサルティングを通じてより多くのお客様のお困りごとを解決し、事業の発展に貢献していきたいと考えています。
ーー今後、どのような人材を求めていらっしゃいますか。
広川明一:
「誰かのために、役に立ちたい」「成長していきたい」という思いを持っている方を求めています。私たちの仕事は、製造業のパートナーであり、ものづくりを油剤で支える縁の下の力持ちです。また、お客様の製造現場の条件とニーズは様々で、そこに応えるためには専門知識と「聞く力」が必要であり、社員一人ひとりの成長が欠かせません。お客様の困りごとに応えて、ソリューションとなる提案を行う。そのためには、元気な挨拶、笑顔、相手の立場に立って考えられること、そして向上心のある方と、一緒に働いていきたいと考えています。最初から全部できなくても、仕事を通じてスキルを伸ばし、成長していただきたい。社員の可能性を十分に引き出せるように、研修の機会を含めて良い環境を提供できる会社でありたいと思っています。
編集後記
「現実は心がつくる」。広川氏が語るこの言葉は、事業の大転換や組織改革といった劇的な変化を経験した経営者だからこそ、重みのある実感がこもっている。外部環境や他人の行動に一喜一憂するのではなく、全ての原因は自分にあると捉え、自らの心と行動を変えることから始める。その姿勢こそが、周囲の猛反対を乗り越えて社員の心を動かし、会社を「地域No.1」へと導いた原動力なのだろう。先の見えない時代において、変化を恐れず前に進むために必要なのは、小手先のスキルではなく、自らと向き合う覚悟なのかもしれない。

広川明一/1946年新潟県生まれ。青山学院大学大学院修士課程修了後、1974年長岡石油株式会社に入社。1992年同社代表取締役社長に就任。