
1978年の創業以来、日本のカフェ・レストラン文化の一翼を担ってきた株式会社イタリアントマト。コロナショックにおいて、利益確保や体制の効率化はもとより「ブランド価値」と「社員の幸せ」を最優先に行動したトップがいる。キーコーヒー株式会社で長年営業として現場を走り続け、現在は株式会社イタリアントマトの代表取締役社長を務める小澤信宏氏だ。老舗ブランドが大切にする「伝統」と、飲食業ならではの「体験価値」について話を聞いた。
現場での葛藤から学んだ「深く寄り添う」姿勢
ーーまずは社会人としてのご経歴からお聞かせください。
小澤信宏:
学生時代に喫茶店でアルバイトをしていた経験もあり、もともと喫茶店が好きでした。新卒でキーコーヒー株式会社へ入社し、営業として個人経営の喫茶店を中心に約200店舗を担当。1日40件ほど訪問し、新規オープン店のフォローや既存店のメニューづくりを手伝うなど、お客様1店舗ごとに違うニーズに応え、充実した日々を送っていましたが、担当店舗数の多さから、なかなか全てに応えられないというジレンマを抱えていました。個人店とは異なるスキルが必要な法人営業へチャレンジしたいと考えて日々を過ごしていた中で、異動願いを出していた経緯もあり10年目に法人担当部署へ移りました。
ーー法人営業で、実際にはどんな風にお客様と関わることになったのですか。
小澤信宏:
実際にやってみると、想像以上にハードでした。1つの企業を担当するといっても、先方の購買やメニュー開発、店舗開発、工場など、関わる部署は多岐にわたります。結果的に交換する名刺が1企業につき数100枚にのぼり、個人経営の喫茶店とは違う難しさに直面しました。その後、外食企業を担当する部署へ移り、多くの企業を担当する中で「イタリアントマト」とも関わるように。これまでの経験を活かし、2019年からは代表取締役社長に就任しています。
コロナショックの危機 利益追求よりも「ブランドと社員の幸せ」を守る決断

ーー代表就任後、コロナショックにはどう対応されたのでしょうか。
小澤信宏:
就任して間もなく、コロナ禍となり先が見えない状態に陥りました。取引先の銀行からは「資金を引き揚げたい」と告げられるなど、弊社にとって非常に厳しい局面でしたが、キーコーヒーグループ内の融資を活用して資金を確保しました。こうして雇用を守り抜き、急場をしのぐことができたのです。
ーー小澤社長はキーコーヒー社で副社長もされています。先行き不透明な中で、キーコーヒーグループではイタリアントマト社の売却などを考えたことはあったのでしょうか。
小澤信宏:
正直なところ、道を模索した時期はありました。ただ、ある企業への売却を検討していた際、先方とは「イタリアントマトのブランドや社員を大切にする気持ちが一致しない」と感じ、直前でキャンセルしました。私が判断を下す最大の基準は、「イタリアントマトの将来にとってよい選択か」「社員が幸せか」という点にあります。利益や売却条件も重要ですが、ブランドの魅力を保てるか、またそこで働く社員は幸せかを一番に考えた結果の決断でした。
「おいしい」だけではない 空間と体験を売るのが飲食業の本質

ーー貴社が長く愛され続ける理由や強みは、どこにあるとお考えでしょうか。
小澤信宏:
最大の武器は、店舗で「本格的な生パスタ」と「おいしい生ケーキ」が食べられることです。多くのカフェチェーンでは効率化のために冷凍ケーキを採用していますが、弊社では鮮度を最優先し、一度も冷凍していない生の状態で提供することにこだわっています。
また、私たちのケーキメニューはアメリカンスタイルで、ボリュームのあるサイズが特徴です。以前、店舗スタッフの負担軽減のために工場でピースにカットして店舗に納品することを検討したこともありましたが、採用には至りませんでした。事前にカットしてしまうと、どうしてもスポンジの断面が乾燥してパサついてしまうためです。最高の状態でケーキを提供するには、お客様へお出しする直前にカットするしかありません。この「おいしさの伝統」を守るため、今でもホールのまま店舗へ届け、一つひとつ丁寧に手作業でカットすることを続けています。

ーー食品メーカーと飲食業の違いはどのような点にあるとお考えでしょうか。
小澤信宏:
メーカーとしては、極端に言えば「安心で、おいしいものを追求する」という役割があります。一方で飲食業は、おいしいものを提供するのは大前提。大切なのは、おいしさに加えて、店内で流れる音楽やテーブルの高さなど細部にまで気を配り、お客様が過ごす「空間」全体を計算してデザインすることが求められます。私たちはメニューだけでなく、お店での「体験」そのものを提供しているのです。もちろん、ホスピタリティは大切にしつつ、QSCAを重視してお客様の満足度向上にも努めています。
ーー最後に、今後の展望をお聞かせいただけますでしょうか。
小澤信宏:
キーコーヒーグループという総合力を活かしつつ、いかに各ブランドの個性や魅力を発展させていくかがポイントです。キーコーヒーグループでは現在、「飲食戦略会議」という場を設け、イタリアントマトを筆頭にアマンドやイノダコーヒ、ルノアールといったグループの飲食事業へどのように経営リソースを投入するかを検討しています。ブランドごとの強みや伝統を守りつつ、時代に合わせた革新を取り入れていく。このバランスを大切にしながら、お客様にゆたかな体験をお届けしていきたいと思います。
編集後記
効率化やコスト削減が求められる現代において、工場でのピースカットをあえて導入せず、店舗でケーキをカットする手間にこだわる。その判断の裏には、「最高の状態で商品を提供したい」という確固たる信念があった。また、パンデミックの危機に際して、自らのブランドと社員を守り抜くためにグループ融資を引き出し、雇用を守り抜いたエピソードからは、同氏の深い愛情と覚悟がうかがえる。「おいしい」という枠を超え、空間と体験をデザインする同社の挑戦は、これからも多くの人々にくつろぎの時間を届けてくれることだろう。

小澤信宏/株式会社イタリアントマトの代表取締役社長とキーコーヒー株式会社の取締役副社長を兼務。1982年キーコーヒー株式会社に入社後、営業からキャリアをスタート。数々のM&Aに携わり、現在はコーヒー豆のサプライヤーとカフェ運営という2つのチャネルを駆使し、新たなコーヒー文化の創造を牽引する。