
1951年の創業以来、日本初の角膜コンタクトレンズを開発し、業界を牽引してきた株式会社メニコン。2023年、創業家以外から初めて代表執行役社長に就任したのが川浦康嗣氏だ。新卒入社後、様々な部門を経験し、海外工場立ち上げなど同社の重要な転換点を最前線で支えてきた。現在メニコンは、グローバルにおけるコンタクトレンズのトップメーカーとなることを目標に掲げ、世界に向けた挑戦を加速させている。「尖った部分を意図的に残す」と語る川浦氏に、これまでの軌跡と同社が描く未来図を詳しくうかがった。
2000年代初頭のIPOプロジェクトと困難を極めた海外工場立ち上げ
ーー入社の経緯と、これまでのキャリアで印象に残っている出来事をお聞かせください。
川浦康嗣:
1992年に新卒入社しました。当初からコンタクトレンズ業界に強い志を抱いていたわけではなく、地元企業である当社に縁を感じて入社したというのが実情です。入社後は2〜3年ごとに異動するジョブローテーションにより、最初は主力であるコンタクトレンズ事業ではなく、サージカル事業などの部門でキャリアを積みました。
特に記憶に刻まれているのは、2000年前後に経験したIPO(新規株式公開)プロジェクトです。若手でありながら昼夜を問わず奔走した一大事業でした。それまでコンタクトレンズ事業に深く関わっていなかった私にとって、全社的なビジネス構造や技術的背景を網羅的に把握する過程は、会社全体を俯瞰して経営を学ぶ得難い機会となりました。最終的にはITバブル崩壊の影響で上場は延期となり、プロジェクトは解散。30代前半という血気盛んな時期に、明確な成果を見届けられぬまま幕を引いたことで、当時は気持ちの整理に苦労しました。しかし、そこで培った全社的な知見と会社への深い理解は、現在の経営判断を支える揺るぎない財産となっています。
ーーその後は、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。
川浦康嗣:
その後、経営企画部門へ異動し、事業開発や戦略立案等を担当しました。その一環としてシンガポールにある技術系企業の買収を手がけ、その延長線上でメニコンシンガポール副社長として、弊社初となる海外工場の立ち上げ責任者を任されました。当時の海外売上高比率は10%未満。しかし長期的な成長を見据えれば、将来需要の拡大が見込まれる「1日使い捨てコンタクトレンズ(1DAY/ワンデー)」の大規模生産拠点構築は、世界展開への至上命題でした。とはいえ、弊社にとって海外における大規模生産工場の立ち上げは未知の領域であり、主に2つの大きな壁に直面しました
第一に、全く新しい製造プロセスの技術開発です。計画通りには進まず、当初2年半を見込んでいた稼働までに、結果として5年の歳月を費やすことになりました。第二に、多様な国籍やバックグラウンドを持つ買収先の外国人エンジニアと、長年「自前主義」で成長してきた弊社のチームを融合させ、相乗効果を生み出すマネジメントです。一般的な日系製造業の海外進出は、日本の技術を現地へ移植する手法が主流です。しかしこのプロジェクトは、海外企業の技術を日本人が学ぶという特異なアプローチでした。私は文系出身でしたが、「なぜ計画通りに設備が稼働しないのか」を真に理解するため、現場へ入り込まざるを得ませんでした。ともに働いた海外のエンジニアたちは、「マネジメント層にも技術の勘所を理解してほしい」という意識が強く、専門的知識のない私に対しても辛抱強く説明をしてくれました。こうした経験を通じて、技術への理解や国際的なチームワークについて学ぶことができました。
創業家以外からの社長就任とメニコンらしさの継承

ーー創業家以外から初めての社長に就任されましたが、当時の率直なお気持ちはいかがでしたか。
川浦康嗣:
弊社は創業から50年以上にわたり、創業家がトップを務めてきた企業です。先代の社長も極めて強いリーダーシップを備えており、トップが直感的なアイデアを次々と提示し、社員がそれを組織内で具現化していくという役割分担が確立されていました。業績も堅調であったため、私自身が社長のバトンを受け取るとは予想しておらず、特別な準備もしていませんでした。
いざ就任が決まり、改めて組織を見渡したとき、ひとつの心配事がありました。それは、私のような生え抜きの人間がトップに立つことで、かつてのトップダウン主導のイノベーション体質が失われることでした。だからこそ、今後は社員一人ひとりが主体性を発揮し、組織全体でアイデアを持続的に生み出せるカルチャーへと変革しなければなりません。この組織風土の進化こそが、現在私が向き合っている最大の課題だと捉えています。
ーー歴史ある企業として、メニコンらしさを今後どのように継承していきたいとお考えですか。
川浦康嗣:
海外のお客様や取引先の方々と交流する中で、彼らの目に映るメニコンは、自分達で思っているよりもユニークで特別なメーカーであることに気づかされました。現在、世界の大手コンタクトレンズメーカーは全て米国企業であり、戦略や文化が類似している面があります。対して弊社は、長年の間、日本という単一市場で吸収合併もなく、独自の技術と文化をガラパゴス的に進化させてきた歴史があります。
今後グローバル展開を加速するにあたり、標準的な欧米型経営を取り入れて平準化する道もあります。しかし私は、弊社が培ってきたその「尖った部分」を意図的に残し、磨き上げていきたいと考えています。同質化が進む世界の巨大市場において、お客様から「一羽だけ色合いの異なる美しい鳥が混ざっている」と認識されるような、際立った独自性こそが私たちの武器になるからです。
商品の独自性と事業を通じて社会に貢献する理念
ーー他社との差別化や、商品の独自性について具体的に教えていただけますでしょうか。
川浦康嗣:
コンタクトレンズ自体の基本性能や品質において、大手メーカー間の差異は大局的に見れば縮小傾向にあります。その中で弊社の製品を際立たせているのが、パッケージングの技術です。
弊社が『スマートタッチ』と呼ぶ1日使い捨てレンズのパッケージは、開封した時点で必ずレンズの表裏が正しい向きにセットされており、レンズの内側に触れることなく、つまんでそのまま瞳に装着できる構造になっています。一般的な製品はレンズが保存液の中に沈んでいるため、装着前にご自身で表裏を確認したり、レンズに刻印されたマーキングを読み取ったりする手間が生じます。視力補正を必要とする方にとって、この作業は毎朝の些細な、しかし確実なストレスです。表裏確認の手間をなくし、レンズ内面に指が触れない衛生的な環境を保つ。このユーザー視点に立った機能的な差別化が、弊社の明確な強みです。
加えて、私たちが日本企業であるという事実、そこから連想されるクラフトマンシップやものづくりへの真摯な姿勢も重要です。海外の販売チェーンやお客様に対して、機能面だけでなく情緒的な魅力を持つストーリーとして受け入れられており、グローバル市場でのマーケティングにおいても強力な後押しとなっています。
ーー貴社の根底にある企業理念についてお聞かせください。
川浦康嗣:
弊社には「より良い視力の提供を通じて、広く社会に貢献する。」という企業スローガンがあります。コンタクトレンズの黎明期、眼鏡に頼っていた方々がレンズを装用することで視界が開け、見え方が劇的に改善されることは、お客様にとって大きな喜びでした。自分たちの事業が直接的にお客様の体験価値を高め、社会の役に立っているという実感。これは、医療機器に携わる企業として、弊社の組織に伝統的に根付いている誇りです。
現在は、昔から大切にしてきたこの理念をさらに押し広げ、日々のあらゆる事業活動を社会貢献へと直結させることを強く意識しています。そして、トップダウンの指示を待つのではなく、社員一人ひとりが「どうすれば社会に貢献できるか」を自問し、主体的に創造性を発揮できる組織カルチャーを意図的に育てていくことに注力しています。
グローバル展開の加速と中長期ビジョン

ーー今後の展望についてお話しいただけますか。
川浦康嗣:
具体的なビジネスの目標として、グローバルにおけるコンタクトレンズのトップメーカーとなることを掲げています。これは決して遠い未来の漠然とした夢ではなく、5年以内という近い将来に必ず実現すべき明確な目標として定めています。
ーーその野心的な目標に向けた、具体的な戦略をお聞かせください。
川浦康嗣:
大きく2つの柱があります。
第一の柱は、世界のトッププレーヤーに匹敵する生産能力の拡大です。現在、グローバルトップのメーカーは年間数十億枚規模の生産能力を誇りますが、弊社はまだその水準に達していません。そこで、マレーシアに世界最大級のメガファクトリーを建設し、本格稼働を開始しました。今後も同工場の規模を拡張し、世界最高水準の生産体制を構築します。同時に、現地経済の成長に伴う人件費高騰や為替変動によるコスト増を吸収するため、自動化ラインの比率を極限まで高め、人に依存しない設備主導の工場へと進化させています。現在、主力製品の生産はほぼ100%国内に依存していますが、海外での生産比率を計画的に高めることで、為替や地政学的なリスクを分散し、バランスのとれた安定生産基盤を確立します。
第二の柱は、海外での販売網の拡大です。いかに強靭な生産能力を持とうと、お客様の元へ届けられなければ意味を成しません。日本国内では眼科医と連携した販売形態が一般的ですが、海外では制度の違いもあり、オプトメトリスト(検眼士)が在籍する巨大な眼鏡チェーン店が大きな影響力を持っています。彼らと取引をするためには、安定供給を担保できる大規模な生産能力を持つことが大変重要です。だからこそ、マレーシア工場の本格稼働によって弊社の供給能力を示し、これら大規模チェーンとの取引を一気に拡大していく。これが、世界シェアを飛躍的に向上させるための戦略的ロードマップです。
ーー最後に、読者や求職者へ向けたメッセージをお願いします。
川浦康嗣:
メニコンには、非常に生真面目で誠実な社員が多く集まっています。日々の業務にコツコツと向き合い、助け合う強固なチームワークは、長年培われてきた私たちの確かな強みです。
しかし同時に、会社としては「5年以内にグローバルトップメーカーになる」という極めて野心的な目標を掲げ、本気でその頂を取りに行こうとしています。この実直な組織カルチャーに、挑戦や創造性という新たな熱を掛け合わせ、社員一人ひとりが自らの意志で主体性を発揮できる組織へと進化していかなければなりません。私たちが挑むこの大きな変革に共感し、独自の技術と文化を武器に、共に世界のトップを目指してくださる方をお待ちしています。
編集後記
メニコンの新たな歴史を切り拓く川浦氏。物腰柔らかな語り口の中にも、「5年以内に世界トップを獲る」という強烈な野心と覚悟が垣間見えたのが印象的だった。若手時代のIPO延期という苦い経験や、異文化が交錯する海外工場立ち上げといった困難なプロジェクトを最前線で乗り越えてきた軌跡が、経営者としての盤石な土台となっているのだろう。長年培ってきた「尖った部分」を研ぎ澄まし、均質化が進むグローバル市場へ打って出る同社の挑戦は、日本の製造業が世界で戦い抜くための、ひとつの最適解となるかもしれない。

川浦康嗣/1969年愛知県名古屋市生まれ。1992年早稲田大学法学部を卒業後、同年株式会社メニコンへ入社。経営企画室などを経て、2006年よりメニコンシンガポール副社長、2010年には同社社長に就任。その後、マーケティング、開発、生産、サプライチェーン部門の執行役としてグローバルに幅広い職務を経験。2023年4月に代表執行役社長 COOに就任し、2025年4月より代表執行役社長 CEOを務める。