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1974年の創業以来、辛子明太子メーカーとして日本の食卓を彩ってきた株式会社やまやコミュニケーションズ。近年は外食事業や農業、宿泊業に至るまで多角的な事業展開で圧倒的な成長を遂げている。アナログだった創業半世紀を超える企業にIT化の波を起こし、社名に「コミュニケーション」という言葉を刻んで組織を牽引してきたのが代表取締役社長の山本正秀氏だ。「常に前向き」を信条とし、好奇心に満ち溢れた「攻める組織」はいかにしてつくられたのか。商社での原体験から、「Made in KYUSHU」を世界に発信する未来のビジョンまで詳しくうかがった。

商社での「個人商店」経験が培った経営の原点

ーーキャリアの原点についてお聞かせください。

山本正秀:
やまやが創業したのは私が4歳の時です。幼い頃は家業で忙しく働く両親の姿を見て大変そうだと思っていたため、当時はビジネスに興味を持てず、物理や化学を学ぶ学者になりたいと考えていました。しかし、高校生くらいから次第に会社やビジネスに興味が湧き、文系に進路変更して経済学部へ進みました。「いずれは家業に戻ろう」と考える一方で、「家業を継ぐ前に海外でビジネスの経験を積みたい」という思いもあり、卒業後は総合商社の兼松株式会社に入社しました。

ーー兼松株式会社ではどのような業務を担当されていたのですか。

山本正秀:
最初の半年は人事採用業務に関わり、その後の4年半は食糧関係の部署で油脂の輸入と国内販売を担当しました。ピーナッツやごまなどを扱うセクションだったのですが、そこでは私が一人で商品責任者のような立場で業務を回していました。案件が来たら、輸入の手配から国内販売、さらにはコンテナ船のチャーターや貨物保険の手配、在庫の管理、期末の決算業務に至るまで、すべて自分ひとりでやらなければならなかったのです。

ーー入社数年にして凄まじい裁量を持たれていたのですね。

山本正秀:
会社の体制変更によって5名いたチームが2名体制になり、実質的に個人輸入販売商店のような状態だったのです。しかし、これが結果として「商売の基本」を徹底的に学ぶ最高の経験になりました。また、与信管理を含めてすべて自分でこなした経験が、今の経営にも大きくつながっています。

アナログ環境からの脱却と「やまやコミュニケーションズ」への進化

ーーその後、どのような経緯でやまやに戻られたのでしょうか。

山本正秀:
当時、兼松を含め商社業界全体が厳しい状況にあり、海外駐在のチャンスも減っていました。そんな折、父と懇意にしていた方から「やまやはこれから変革をしていく時期で、帰ってくるのにいいんじゃないか」とお声がけいただき、28歳の時に戻る決意をしました。

ーー入社当時の社内の状況はいかがでしたか。

山本正秀:
戻ってきて一番衝撃を受けたのは、インフラの違いです。前職ではインターネットやメールが普及し始めていたのに、やまやではパソコンが一人一台もなく、アナログな環境でした。仕事のプロセスもシステム化されておらず、引き継ぎの概念すらない昭和の企業そのものだったのです。

このような風土に衝撃を受けた私は、入社直後から取締役経営企画室室長として、自らITやインターネットの勉強会、合宿などを主催し、業務プロセスのシステム化と並行して社員の意識改革から着手しました。

ーーその後、どのような経緯で社長に就任されたのでしょうか。

山本正秀:
入社から2年経った頃、自分から「早く社長を代わってどんどんやらないともったいない」と父に伝えました。社長と副社長では、周囲からの見る目も人脈のつくりやすさも全く異なります。経営改革をスピード感を持って進めるためには、トップとして立つ必要があると考えたからです。

ーー社長就任後、最初に着手されたことは何でしたか。

山本正秀:
企業名を「株式会社やまやコミュニケーションズ」へ変更したことです。単なる食品製造業の枠に収まるのではなく、「食の機会を提案する」「食を楽しむ」サービス業になりたいという思いがありました。お客様からのお声や社内の課題を見つめ直した時、すべての根底に「コミュニケーション」があることに気づいたのです。お客様とも、社員とも、地域ともコミュニケーションを大切にし、それを増やしていく会社でありたいと考えました。当時は食品業界でそのような社名は珍しく、「IT企業の子会社ですか?」とよく聞かれましたが、「コミュニケーションズ」という社名を引っ提げて、さまざまな取り組みを実現してきました。

明太子の可能性を広げる多角化と「交わる」オフィス空間

ーー事業面では、どのような戦略で多角化を推進されてきたのでしょうか。

山本正秀:
以前は売上高の半分を量販店向けの卸売が占めていましたが、問屋を通さず、より生活者に近い場所で直接コンタクトを取れるBtoC(※)の領域へと舵を切りました。自分たちで売り場や接点をコントロールできなければ、「食の機会を提案し、コミュニケーションを増やす」という会社の理念を実現できないと考えたからです。

事業の展開としては、他社との競争を意識するのではなく、「明太子自体の食べ方の可能性を広げる」ことにフォーカスしました。お客様に一番美味しい状態で明太子を食べてもらうために始めたのが外食事業です。2006年頃のテスト出店から業態を磨き、もつ鍋や天ぷらといった業態が支持され、現在では国内外合わせて63店舗にまで成長しています。

(※)BtoC:Business to Consumerの略。企業が一般消費者に対して商品やサービスを直接提供するビジネスモデルのこと。

ーーそうした「コミュニケーション」を重視する姿勢は、社員の働き方や社内環境づくりにも反映されているのですか。

山本正秀:
その考えを大きく形にしたのが、2023年4月の本社移転です。事業拡大に伴って旧工場が手狭になり、自然に囲まれてあくせくせずに仕事ができる郊外の土地を探していました。コロナ禍でじっくり構想を練る時間があったため、オフィスの設計には私の理想をすべて詰め込んでいます。

フリーアドレスを導入し、普段関わらない部署の人とも顔を合わせる仕掛けをつくりました。また、個室はなくして、会議室の数も3つにまで減らしています。コミュニケーションとは、多様な仕事に関心を持ち、共感し合うことから生まれると考えているからです。社内のコミュニケーション活性化という点では、最近は全社で運動会を開催するなど、部署を超えた交流の機会も意図的に増やしています。

ーー新オフィスのこだわりや、ユニークな工夫についても教えてください。

山本正秀:
実は、従業員専用の食堂はつくらず、2階のレストランで一般のお客様と一緒に食事をとるスタイルにしました。昼しか使わない社員食堂のスペースはもったいないですし、ごちゃ混ぜでやってみようという社会実験的な意味合いもありました。社員にとっても、お客様の反応を間近で感じられる非常に良い環境になっています。また、工場見学のコースも整備し、累計20万人以上が訪れる施設になりました。

こうした開かれた環境づくりの一方で、やまやの根幹である明太子メーカーのトップ企業としての自負も忘れていません。大学の先生と一緒に卵の成熟度に合わせて発色・着色のメカニズムを徹底的に科学して開発するなど、明太子のプロフェッショナルとしての品質追求も一切妥協していません。

「Made in KYUSHU」を世界へ アグリ事業からホテル業までの飽くなき挑戦

ーー今後のビジョンとして、5年後や10年後はどのような会社を目指していますか。

山本正秀:
明太子のトップ企業としての自負を持ちつつ、九州の素晴らしい素材や文化を掘り起こして世界に発信する「Made in KYUSHU」を掲げていく所存です。具体的な海外展開では、東南アジアでの天ぷら業態の出店などを進め、5年後には海外だけで50店舗、国内で100店舗の体制を目指しています。

国内での食のイノベーションとしては、アグリ事業にも注力していきます。一次産品の販売だけでは売上高規模に限界があるため、加工品による六次産業化を進めていく方針です。米やイチゴだけでなく、現在はブドウや桃の栽培にも着手しており、将来的にはあまおうプリンなどの加工品でお土産や海外需要の開拓を目指していく考えです。九州の素材を活かした酒類の蒸留所運営など、多様な事業にもアンテナを張り巡らせています。

さらに、食以外の領域にも事業を広げていく段階に入りました。福岡・白金エリアに、一棟貸しの宿泊施設「白金はなれ」を新たにオープンしました。この宿泊施設は、暗証番号で入室する無人運営を取り入れており、全くの異業種においても果敢に新しい仕組みへ挑戦を続けています。

加えて、以前から社員の福利厚生として力を入れていた「健康経営」のノウハウも、新たな事業へと発展しています。もともと従業員が安心して働けるように会社負担で医療保険をかけていたのですが、そのノウハウを活かして3年前に生命保険事業を立ち上げました。現在では20社以上の企業へ、福利厚生や健康経営の仕組みづくり等をサポートする事業を展開しています。明太子や外食といった「食の体験」を入り口としながらも、宿泊事業や健康経営など、枠に囚われない新しい価値の提供に挑戦し続けていく方針です。

ーー最後に、経営者として大切にしている信念と、今後どのような組織であり続けたいかをお聞かせください。

山本正秀:
私が経営者として大切にしているのは「常に前向きであること」です。過去に終わったことには興味がありません。経営においては「予算はいらない」と発言して周囲を驚かせることもありますが、予定通りにいかない変化の激しい時代だからこそ、柔軟な対応力と好奇心が重要だと考えています。

これからも、好奇心に満ち溢れた会社を目指して進んでいきます。社員がいつも新しいことにチャレンジし、周りの経営者からも「やまやはいつも攻めてるね、楽しそうに仕事しているね」と言われるような組織であり続けたいですね。「面白そう」という好奇心と、それを実現するための資金を両立させることが、本当の経営だと思うのです。

編集後記

「会議室を極限まで減らす」「社員食堂を一般客と共有する」。山本氏が語るエピソードの端々からは、常識に縛られない柔軟な発想と、徹底した合理主義が垣間見えた。しかし、その根底にあるのは「コミュニケーション」という泥臭くも温かい理念だ。明太子という圧倒的な強みを軸にしながらも、農業やホテル事業、健康経営へと軽やかに越境していく同社。失敗を恐れず「常に前向き」に挑戦を楽しむその姿勢こそが、九州発のイノベーションを世界へと届ける原動力なのだろう。

山本正秀/1970年福岡県生まれ。東京大学卒業後、兼松株式会社に入社。1998年株式会社やまやに入社、取締役経営企画室室長、副社長、YAMAYA USA,Inc.社長を経て、2000年に代表取締役社長に就任。社名を株式会社やまやコミュニケーションズに変更する。新ビジョン「九州から世界へ、やまやスタンダードを。」を掲げ、2024年に創業50周年を迎え、「Made in KYUSHU」の食文化の魅力を国内外へ発信しながら、新たな挑戦を続けている。