
全国に35のインドアテニススクールを展開し、会員数4万4000名を誇るノアインドアステージ株式会社。同社を率いるのは、24歳のときにテニス事業の責任者に抜擢された大西雅之氏だ。知識ゼロからのスタートで顧客と向き合い事業を拡大する一方で、社員の離職問題に直面した。そこで、従業員満足度を追求する経営へ舵を切り、組織再建を果たした。テニス事業の枠を超え、地域社会への貢献も見据える同社の現在地と、「2033年までに売上高を2倍、新会社20社設立」という未来像に迫る。
ゼロからの挑戦 24歳でテニス事業責任者に就任
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
大西雅之:
大学卒業後に株式会社日東社へ入社し、営業見習いとして半年ほど営業活動をしていました。しかし、入社してわずか半年で大きな転機が訪れます。当時、日東社が手がけていたテニススクールの支配人が退職し、後任が不在となってしまったのです。
そこで、大学時代にテニス経験があった私に「お前しかいない」と白羽の矢が立ちました。社会人1年目、24歳のときに突然の抜擢を受けましたが、断る理由はありませんでした。当時は教えてくれる先輩もおらず、すべて自分一人で考えて動くしかない。まさにゼロからのスタートでした。
ーーそこから、どのように事業を軌道に乗せていったのですか。
大西雅之:
レッスンの進め方もわからなかったので、まずは他から学ぶしかありませんでした。そこで、休日だった月曜日を利用して大阪や岡山のテニススクールへ足を運び、見学してはこっそりメモを取り、チラシを持ち帰って研究することを繰り返しました。また、業界団体に加入して指導法を学び、資格も取得するなど、現場でノウハウを蓄積していきました。
さらに、事業成長の転機となったのが、インドア施設の建設です。当初はアウトドアコートだったため、冬の寒さや雪の影響で、せっかく増えたお客様が減ってしまう課題がありました。そこで、当時親会社の代表を務めていた父に、「季節変動のないインドアコートを建てなければだめだ」と提案し、建設が実現しました。
その後も、全国の成功しているスクールを視察し、良い点を積極的に取り入れていきました。ちょうどその頃、漫画『テニスの王子様』によるテニスブームが到来し、作品の影響で、それまでの「仕事帰りの運動」という層だけでなく、子どもたちの会員数が爆発的に増えました。それに伴い親世代も一緒に楽しむ「ファミリー層」という新しいメインターゲットが確立されたことが、大きな追い風となりました。
社員満足度こそが成長の源泉 組織変革への道のり
ーー事業が拡大していく中で、何か課題はありましたか。
大西雅之:
出店は順調でしたが、その裏で年間10人近くが辞めてしまうなど離職が相次いでいました。当時はお金をモチベーションとする考え方が強く、社内に派閥ができるなど人間関係が悪化していました。そのような環境だったため、社員は周囲と協力するよりも、自己防衛のために自分本位な行動をとらざるを得ない状況に追い込まれていたのです。それが離職の一番の原因であったと、後になって気づかされました。
ーーその状況をどのように乗り越えられたのでしょうか。
大西雅之:
「このままではいけない」と危機感を抱き、組織のあり方を根本から見直すことを決意しました。それまでは、成功している企業のやり方ばかり追い求めていましたが、従業員満足度の高い会社をベンチマークし、経営者としてのあり方や価値観を学ぶようにしたのです。特に、京セラの稲盛和夫氏の教えでもある「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という考えに感銘を受け、まずは従業員を一番に大切にする経営へ舵を切りました。
具体的には、まずは従業員の誕生日に手紙を書くことから始めました。手紙を書くためには、一人ひとりの社員のことを深く考えなければなりません。これを機に、私自身が積極的に現場へ足を運び、一緒に食事をしながら一人ひとりの考えに耳を傾けることで、スタッフとの距離を縮めていきました。
さらに、経営計画書の明示や環境整備の徹底も断行し、地道に組織の土台を築き直しました。こうした姿勢を貫く中で、私の考えを理解してくれる代弁者が幹部から順に増えていき、自発的に動くスタッフが育つ組織へと変わっていったのです。
ーー組織づくりにおいて、社員の方に伝えていることはありますか。
大西雅之:
自分の仕事が誰かの役に立っているという「貢献感」の実感を大切にしてほしいと伝えています。人は必要とされ、役に立っていると実感できて初めて、自分の居場所を見出せるものだからです。そのため現場では、アルバイトを含めた全スタッフに対して、上司がこまめに面談を行い、お客様が喜んでいた姿や感謝の言葉を直接フィードバックし、称賛や感謝を伝えることを徹底させています。
また、最近は「志」を持つことの重要性についてもよく話します。個人の「夢」に社会のお役に立つという社会性が加われば、それは「志」になります。志があれば、たとえ自分がその場にいなくなっても、その思いを受け継ぐ仲間が集まり、挑戦は続いていくからです。
テニスから地域貢献へ 事業の多角化と社会への価値提供

ーー現在の事業内容についてお聞かせください。
大西雅之:
現在は国内で35のスクールを運営しており、会員数は約4万4000名に上ります。現在は主力のテニス以外にも、4年ほど前からは、バドミントン事業も開始しました。また最近では、アメリカ発祥の人気スポーツ「ピックルボール」も導入するなど、スポーツの幅を広げています。
さらに、地域貢献として、空いているコートを活用したデイサービス「コンパスノア」も埼玉と姫路で展開中です。これは要支援認定を受けた方向けの送迎付きサービスで、ストレッチや歩行トレーニングを通じて健康寿命の延伸を目指すものです。参加者の皆様の交流の場としても好評をいただいています。
ーー今後、さらに事業領域を広げていく構想はありますか。
大西雅之:
今後は、既存の施設を活用して障害のある子どもたちを支援する、放課後等デイサービスの立ち上げも計画しています。これは、私たちが持つノウハウや場所を活かして地域にどう貢献できるかを考える「ビレッジ構想」の一環です。
私たちの強みは、教育を通じて培われたスタッフの「人間力」にあります。弊社には、優しく誠実に人と接することができるスタッフが多く育っています。こうした特性は、介護や福祉といった、人と人とのつながりを大切にする事業に適していると考えています。テニスの枠に捉われず、地域密着で一人ひとりに寄り添う事業を広げていきたいですね。
2033年までに売上2倍 新会社20社 未来を拓く成長戦略

ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
大西雅之:
2033年までに現在のグループ売上高100億円を2倍の200億円にし、新たに20社を立ち上げて、20人の経営者を育てるという目標を掲げています。昨年、この構想を社員に向けて発表しました。
この目標には、「社員の可能性を広げたい」という強い思いがあります。これまではスクールの支配人や部長がキャリアの到達点でしたが、今後はグループ会社の社長として経営を担う道も生まれます。社員自らが事業を提案したり、フランチャイズ形式で独立したりするチャンスを提供し、より大きな野心を持って挑戦できる環境をつくっていきたいと考えています。
そして、この壮大な目標を達成するためには、私自身もレベルアップしなければなりません。売上高200億円企業の社長にふさわしい人間になるため、自分より視座の高い方々と積極的にお会いし、年齢に関係なく様々な人から吸収し続けます。
ーー事業拡大にあたり、どのような人材を求めていますか。
大西雅之:
これまではテニス経験を重視してきましたが、今後はそれに加えて「キャリアアップしたい」「成長したい」という意欲ある若手を迎え入れたいです。また、テニスやバドミントンなどの競技を引退した選手のセカンドキャリアの場としても、弊社には大きな可能性があります。スポーツに打ち込んできた経験を活かし、次のステージで活躍したい方を広く歓迎します。
ーー最後に、この記事を読む読者へメッセージをお願いします。
大西雅之:
私自身、知識も経験もない24歳でこの世界に飛び込み、多くの失敗を重ねながら学び続けてきました。60代になった今も、さらなる高みを目指してレベルの高い方々から刺激を受け、自分自身をアップデートし続けています。
だからこそ皆様にお伝えしたいのは、「人生は一度きり」だということです。失敗を恐れて立ち止まるのではなく、自分の「やりたいこと」という気持ちに素直に向き合い、勇気を持ってチャレンジしてほしいと思います。たとえ壁にぶつかったとしても、その経験は必ず糧になります。ご自身の可能性を信じて、ぜひ、未来を切り拓く一歩を踏み出してください。
編集後記
24歳で知識ゼロから事業責任者となり、幾多の困難を乗り越えてきた大西氏。その言葉の端々から、挑戦を恐れない強い意志と、共に働く仲間への深い愛情がうかがえる。事業拡大の裏にあった離職問題に真摯に向き合い、稲盛和夫氏の哲学も取り入れながら「従業員満足度」を追求する組織へと変革した経験が、現在の強固な土台となっているのだろう。「一度きりの人生、怖がらずにチャレンジしてほしい」。このメッセージは、同氏自身の生き様そのものであり、未来を切り拓こうとする全ての読者の背中を押してくれるはずだ。

大西雅之/1963年兵庫県出身。1987年、兵庫県立神戸商科大学卒業後、株式会社日東社に入社。同年10月、姫路テニスクラブの支配人を兼務。1991年同社専務取締役に就任。2004年ノアインドアステージ株式会社の代表取締役社長に就任。2009年日東社の代表取締役社長に就任。公益社団法人日本テニス事業協会副会長。