※本ページ内の情報は2026年4月時点のものです。

静岡県浜松市三ヶ日町。人口約1万5千人のこの静かな町に、年間45万人もの人々が訪れる場所がある。1935年創業の株式会社長坂養蜂場だ。「はちみつのある暮らし」を提案し、店舗には絶えず行列ができる同社だが、かつては行き過ぎたお客様第一主義によって社内が疲弊した時期もあったという。そこからいかにして「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞 審査委員特別賞に選ばれるほどの組織へと変貌を遂げたのか。お客様第一主義から社員第一主義に方針を転換し、「ぬくもり」を軸に据えた独自の経営スタイルと、未来へ向けた「ぶんぶんヴィレッジ構想」について、代表取締役社長の長坂善人氏に話をうかがった。

「ドラえもんの手」と甘味料の歴史 本質を叩き込まれた修行時代

ーーまずは、家業である養蜂場を継ぐことになった経緯から教えていただけますか。

長坂善人:
もともと家業を継ぐつもりはなく、大学進学とともに上京しました。就職活動の際も、父からは「継がなくてもいい」と言われていたので、卒業後はおもちゃや本といった趣味の延長線上にある業界で働いていました。

転機は社会人2年目に訪れました。実家の店舗改装による激務で母が体調を崩し、「戻ってきてほしい」と連絡が入ったのです。予期せぬ形でしたが、それを機に家業へ戻る決断をしました。ただ、当時の私は養蜂の知識も経験もゼロ。そのまま実家に入るのは抵抗があったため、まずは取引先であるはちみつメーカーで2年半ほど修行をさせていただくことにしました。

ーー修行時代には、どのような経験をされたのでしょうか。

長坂善人:
今の私を形作った、忘れられない経験が2つあります。1つは、メーカーでの修行期間中に派遣された、転地養蜂家のもとでの住み込み生活です。そこでは花を追いかけ、ミツバチと共に北海道へ移動する日々を送りました。手袋をしていては扱いが雑になりハチを殺してしまうからと、あえて素手で作業を行いました。当然、無数に刺されます。手がドラえもんの手(グローブ)のようにパンパンに腫れ上がり、指も曲げられないほどでした。あるときは、巣箱をトラックに積み込む作業中に、まだ戻っていないハチがいるのに扉を閉めようとして、師匠に「まだ頑張っている仲間を置いていくのか!」と叱責されたことがあります。ミツバチへの感謝と畏敬の念、そして命を扱う覚悟を体で叩き込まれました。

もう1つは、修行先メーカーでの上司との出会いです。当時の部長に開口一番、「はちみつの上位概念はわかるか?」と問われました。答えに窮する私に、その部長は甘味料の歴史について書かれた分厚い専門書を渡し、「甘味料の歴史を知らずしてはちみつを語るな」と諭したのです。その方からは、マーケティングの基礎から「なぜ(Why)」を問う本質的な思考まで、徹底的に鍛えていただきました。ハチへの愛情という「情緒」と、ビジネスとしての「論理」。この両輪を学べたことが、今の私の土台になっています。

売上高倍増の裏で崩壊しかけた組織

ーー家業に戻られてからは、どのような事業に着手されたのでしょうか。

長坂善人:
修行先で学んだ商品開発や通販のノウハウを活かし、矢継ぎ早に改革を行いました。かつて母が作ってくれた「青みかんジュース」をヒントにしたドリンクや、はちみつを使ったラスクなどを開発し、売上高は4〜5年で倍近くになりました。

しかし、数字が伸びる一方で、社内の雰囲気は悪化の一途をたどっていました。当時は「顧客満足度(CS)の向上」を掲げ、私がトップダウンで指示を出し続けていたのです。スタッフの数は増えているのに、現場は業務を「やらされている」という感覚でいっぱいで、疲弊していくのが目に見えてわかりました。母からはよく「もっと働く人のことを考えなさい」と諭されましたが、当時の私は「お客様を喜ばせることが仕事だ」と聞く耳を持たなかったのです。

ーーそこから、考えを改めるに至った具体的なきっかけはあったのでしょうか。

長坂善人:
きっかけは、2010年に参加した坂本光司先生(『日本でいちばん大切にしたい会社』著者)のセミナーでした。坂本先生は、「経営とは、社員とその家族を幸せにするためにある」と説かれました。それまで私が信じて疑わなかったお客様第一主義とは真逆の考え方です。頭をハンマーで殴られたような衝撃を受け、帰りの車の中では言葉が消化できずに悶々としていました。しかし、一週間考え抜いた末に、「これまでのやり方は間違っていた」と認めました。そこから父や母、弟を交えて半年かけて経営理念を作り直し、「ぬくもりある会社」を目指す方向へと大きく舵を切ったのです。

ルールは「守るもの」ではなく「超えるもの」

ーー「ぬくもりある会社」を実現するために、具体的にどのような取り組みをされていますか。

長坂善人:
2013年の社長就任以降、最も大切にしているのが「ぬくもりの日」です。うちは水曜日が定休日なのですが、月に2回、あえて社員もパートさんも出勤し、通常業務を一切止めて「緊急ではないが重要なこと」に取り組む日にしています。地域清掃を行ったり、理念について対話したり、部署を超えて改善活動を行ったりしています。目先の売上高ではなく、自分たちのあり方やチームワークを見つめ直す時間を確保することで、理念の浸透を図っています。

ーー接客やサービスにおいて、マニュアルはあるのでしょうか。

長坂善人:
弊社には接客マニュアルはありません。大切にしているのは、ルールやマニュアルに従うことではなく、目の前のお客様に対して「何ができるか」を一人ひとりが考え、行動することです。私は社員に「ルールやマニュアルはあったとしたら超えるものだ」と伝えています。マニュアルはあくまで及第点を取るための基準に過ぎません。それ以上の感動を生むには、スタッフ自身の人間力や「喜ばせたい」という思いが必要です。さらにその喜ばせたいという思いや行動、感謝や思いやりが、お客様のいないバックヤードや社内に日頃からあふれていることが重要だと考えています。

たとえば、電話注文の際にお客様が咳き込んでいるのに気づいたスタッフが、商品と一緒にのど飴と手書きの手紙を添えて送ったり、お子さんの声が聞こえたら「ぶんぶん」というキャラクターの塗り絵を同封したり。これらはすべて、スタッフが自分で考えて行ったことです。こうした「ぬくもり」のある対応こそが、お客様との絆を深め、結果として多くの方に応援していただける理由なのだと思います。

全員参加の経営で描く 地域と共生する未来

ーー数多くの商品を世に送り出されていますが、開発はどなたが担当されているのでしょうか。

長坂善人:
年間通すと200種類を超えるオリジナル商品を販売していますが、開発は「全社参加型」です。商品開発チームだけでなく、入社1年目の社員やパートスタッフ、デザイナーなど、誰でもアイデアを出して形にすることができます。コロナ禍の際には、マスクのあて布やプロポリス入りのアロマスプレーなどが生まれましたが、これらもパートスタッフの日常の気づきから生まれた商品です。トップダウンではなく、一人ひとりの「やってみたい」を応援する風土が、多様な商品を生み出す源泉になっています。

ーー貴社の理念や風土にマッチする人材を採用するために、意識されていることはありますか。

長坂善人:
採用活動においても、独自の「ワークショップインターン」を導入しています。これは業務体験を行うものではなく、学生さんに「働く意味」や「人生の目的」を深く考えてもらうためのプログラムです。スキルや経験よりも、まずは私たちの理念や価値観に共感してもらえるか。そして、私たちも学生さんの本質的な人間性を見ることができるか。お互いが「ここで共に働きたい」と思えるマッチングを重視することで、入社後もいきいきと活躍してくれる仲間が増えています。

ーー最後に、今後の展望についてお聞かせください。

長坂善人:
現在は、養蜂業を軸にした複合型施設「ぶんぶんヴィレッジ」の構想を進めています。これは単なる観光施設ではありません。ミツバチが花粉交配するイチゴやブルーベリーなどの食育農園、はちみつのある暮らしを体感できるカフェなどを通じて、自然の恵みや食の大切さを伝える「6次産業化」の拠点です。

私たちの根底にあるのは「三方よし」の精神です。自分たちだけでなく、お客様、そして地域社会も幸せになること。ミツバチも含めた「大家族」として、互いに支え合いながら、このお世話になっている三ヶ日や浜松という地域をさらに盛り上げていきたいと考えています。小さな町の小さなお店から、ぬくもりの波紋を広げていく。そんな未来を、仲間たちと共に作っていきたいですね。

編集後記

「ルールやマニュアルは超えるもの」という長坂氏の言葉が印象的だった。効率やマニュアルを重視する現代において、あえて「手間」や「心」に重きを置く同社の経営は、一見非効率に見えるかもしれない。しかし、その「余白」から生まれるスタッフの自発的な行動こそが、45万人もの人々を惹きつける最大の魅力なのだろう。ミツバチに学び、人を愛する長坂養蜂場の挑戦は、これからの地方企業のあり方に大きなヒントを与えてくれるはずだ。

長坂善人/1935年創業の株式会社長坂養蜂場三代目社長。1977年生まれ。2004年に入社。2010年に経営理念「ぬくもりある会社をつくりましょう」を策定。2013年に代表取締役社長就任。創業の精神「感謝・報恩・三方よし」を軸に、養蜂から商品開発・製造・販売までの6次産業化を進め、地域とともに成長する企業づくりに取り組んでいる。