
「共存共栄」を掲げ、競合他社とも仕事を融通し合う仕組みづくりに尽力する大竹順氏。その原点は、社長就任直後に直面した数億円の負債という過酷な経験にある。倒産の危機という現実を前に、大竹氏が選択したのは「待ち」の姿勢を捨てること。年間20回の展示会出展や外国人材の積極登用など、従来の町工場の枠を超えた攻めの経営でV字回復を遂げている。平均年齢35歳という若手中心の組織を率い、「自社だけが生き残っても意味がない」と語る同氏の、業界全体を見据えた想いに迫る。
次男としての葛藤と突然の帰還
ーー幼少期から家業を継ぐ意識はお持ちだったのですか。
大竹順:
小学校の文集には「ヤマト工業の3代目社長になる」と書いていましたね。ただ、次男ということもあり、私が大学を卒業する頃には兄がすでに入社していました。そのため、自分が継ぐ必要はないと考え、新卒でショッピングモールの企画開発を行う会社に就職したのです。福岡の営業所に配属され、飲食店の誘致や企画に奔走しました。飛び込み営業から実績を積んでいくなど、充実した日々を送っていました。
ーーそこからなぜ家業に戻ることになったのでしょうか。
大竹順:
2005年のことですが、母が重い病に倒れたことがきっかけです。父からも「人が足りないから会社を辞めて戻ってきてくれ」と懇願され、悩んだ末に家業へ戻る決意をしたのです。
入社直後は特に引き継ぎもないまま、得意先に図面を渡されるようなゼロからのスタートでした。しかし、創業期から付き合いのある企業へ挨拶にうかがうと、全く知らない方々から「おじいちゃん元気か?」と声をかけていただきました。弊社の歩んできた歴史の長さに驚かされるとともに、長年の信頼関係を肌で感じる非常に印象的な体験でした。
覚悟を迫られた社長就任 数億円の債務からの生還

ーー家業に戻り、どのようなことに苦労されましたか。
大竹順:
2017年に弊社の社長に就任し、父から会社の実印を渡されたとき、「この法人がもしも何かあったときにはお前が命懸けで何とかしろ」と迫られました。当時は業界のことも十分に分かっておらず、経営に必要な手続きなど右も左も分からない状態でした。言われるがままに就任手続きを進める中で、多額の借入金の連帯保証人になっていたことに後から気づいたのです。当時は債務超過の状態で、トータルで数億円の負債がありました。精神的に追い詰められ、毎晩のように悪夢を見るほどでしたね。
ーーそこからどのようにして業績を立て直したのですか。
大竹順:
時代の波に乗れた部分が大きいです。当時、大手化粧品メーカーからのインバウンド向け増産に伴い、製造タンクの特需がありました。数年間ひたすらタンクをつくり続けたおかげで財務状況が劇的に改善したのです。就任5年目には全ての個人保証を外すことができました。
平均年齢35歳 業界の常識を覆す若さと攻めの姿勢

ーー組織形成において何か工夫されていることはあるのでしょうか。
大竹順:
製造業はどうしても高齢化が進みがちですが、弊社は平均年齢が35歳と若く、活気に満ちた職場です。社員の紹介などの縁故採用に加えて、数年前からは外国人材の採用も積極的に進めてきており、ミャンマー、ベトナム、ネパールなどから、母国の大学を卒業した優秀な層を受け入れています。「技術・人文知識・国際業務」ビザを活用し、日本語検定N2以上を条件としているため、日本人よりも高い定着率を誇るほどです。
若い組織ゆえに経験年数が短いという課題はあるものの、資格取得で武装を図る方針です。受験費用を会社負担にするだけでなく、実技練習などの勉強時間も残業扱いにして、積極的に支援しています。また、若いからこそ変なプライドを持たず、わからないことは素直に教えを乞うというスタンスも、私たちの大きな強みとなっています。
ーー営業面での独自のアプローチについて聞かせてください。
大竹順:
年間20回以上、全国の展示会に出展するようになりました。私たちのような請負の製造業が自ら展示会に足を運ぶのは、珍しいことかもしれません。出展を続けるうちに、図面を持って直接相談に来てくださる企業が増えてきました。コロナ禍での医療関係、インバウンド時の化粧品など、時代の流れによって求められるニーズは変わるものです。だからこそ、展示会を積極的に活用して新規開拓の種まきをすることが欠かせません。
また、既存のお取引先に対しても対面でしっかり売り込むことで案件の幅を広げています。弊社の強みであるタンクだけでなく、「タンク以外もつくれますよ」というアピールも続けてきました。高齢化で既存の依頼先に不安を感じたメーカー様からは、若さと継続性を評価していただいている状況です。その結果、新たな受け皿となるケースも増えています。
ーー最後に、同業界に対して抱えている思いなどはありますか。
大竹順:
現在、大阪溶接協会の会長を務めているのですが、同業の会社が倒産していくのを目の当たりにするのは本当につらいんです。だからこそ、自社の利益だけを追求するのではなく、業界全体で共に成長していきたいと考えています。
半年に一度の会合などで、仕事の多い会社から少ない会社へ仕事を回し合う仕組みをつくっています。私が間に入って品質を担保することで、安心して仕事を振れるようにしているのです。また、町工場の弱点である営業力を底上げするため、合同展示会を企画し、各社にアピールの場を提供することで業界の活性化を支援しています。今後、廃業が増える業界において、自社が関連会社の受け皿となる体制も整えました。これからも業界全体で仕事を回し合い、共存共栄を図り、みんながハッピーになれるような未来をつくっていきたいですね。
編集後記
取材を通じて最も印象に残ったのは、どん底を味わったからこそ生まれる大竹氏の他者への深い思いやりだ。倒産の危機に瀕する同業者にまで手を差し伸べる「利他の精神」は、一朝一夕で持てるものではないだろう。また、国籍問わず優秀な人材が生き生きと働き、変なプライドを持たずに教え合うフラットな社風には、従来の町工場のイメージを覆す力強さがあった。自社の利益を超えて業界全体の未来を背負う同社の挑戦は、これからも多くの企業に希望を与え続けるに違いない。

大竹順/1978年、愛知県生まれ、京都産業大学卒業。株式会社ASK PLANNING CENTER に入社。その後2005年に大和鋼業株式会社へ入社。2017年に同社代表取締役社長に就任。2023年より大阪溶接協会会長。大阪府および近辺の業界全体活性化のためさまざまな施策を立案実行中。