
近年注目されるドラッグラグ・ドラッグロス。欧米では承認されているが日本では未承認の医薬品のうち約6割が国内開発未着手とされるなど、大きな社会課題となっている。こうした治験・臨床試験現場の非効率をテクノロジーの力で解決するアガサ株式会社。同社のクラウドサービス「Agatha」は、国内で治験を実施する医療機関の約76%、製薬企業においては約96%が導入という圧倒的なシェアを誇る。総務省からキャリアをスタートさせ、日立製作所を経て米国でヘルステックの可能性に触れた代表取締役社長の鎌倉千恵美氏は、なぜ起業という道を選んだのか。医療機関の現場の課題解決に徹底的に寄り添い、AIを活用した「自動化」と「グローバルNo.1」を見据える鎌倉氏に、その原動力と未来へのビジョンをうかがった。
官公庁から大手企業へ そして米国での原体験
ーーまずはファーストキャリアから起業に至るまでの経緯を教えていただけますか。
鎌倉千恵美:
情報工学を専攻していた私は、ITやテクノロジーの力でテレワークなどの環境を整え、「女性が活躍できる世の中」をつくりたいと考えていました。当時は民間企業で女性がキャリアを描くのが難しい時代でもあったため、男女隔てなく仕事に打ち込める国家公務員の道を選び、総務省に入省しました。そこでは約3年半、日本が使っている衛星通信がヨーロッパの携帯電話に干渉しないようにする電波の国際調整などの業務に従事しました。
しかし、「直接エンドユーザーにサービスを届けたい」という思いが強くなり、民間企業である日立製作所への転職を決めました。その後、「日本を外から見たい」という目的で留学を希望し、アメリカのライス大学へ行ったのですが、そこで大きな転機を迎えます。医療産業の街として知られるテキサス州ヒューストンで、医療機器スタートアップのインターンを経験したことです。ITの力を使って間接的に患者や医療従事者を支える「ヘルステック」という分野の存在とその大きなやりがいに気づいたことが、現在の事業の原点となっています。
ーー帰国後、どのような経緯を経て起業を決意されたのですか。
鎌倉千恵美:
日立製作所に戻り、事業立ち上げのプロジェクトで関連病院の会議室へ行った時のことです。そこには、治験の資料として1人あたり30cmもの厚さがある紙の山が、20人分もずらりと並んでいました。それを台車で運んだり郵送したりして、会議が終わればすべて回収して溶解するというのです。「嘘でしょ?」と思うほど驚きましたが、それが当時の最先端の研究現場における現実でした。この非効率な現場をもっと楽にしたいという強い思いから、2015年にアガサ株式会社を設立しました。

予想外だった「紙文化」の壁とコロナ禍がもたらしたパラダイムシフト
ーー起業後、順調にサービスは浸透していったのですか。
鎌倉千恵美:
実は、2015年に起業した当初は全くお客様が集まりませんでした。当時は治験文書の電子化がゼロの時代。「低価格で提供すれば、きっと申し込みが殺到する」と考えていました。しかし、実際にお客様に話を聞くと、「何十年も紙でやってきて慣れているから困っていない」と言われてしまいました。紙での運用が当たり前だった現場に、デジタル化のメリットを理解してもらう難しさを痛感しました。結果、最初の5年間は一部のアーリーアダプターにしか受け入れられない状況が続いたのです。
ーーそこから、潮目が変わったきっかけは何だったのでしょうか。
鎌倉千恵美:
大きな転機となったのはコロナ禍です。病院への出入り制限などがあり、紙を使ったこれまでの治験業務がすべて止まってしまう事態に陥りました。そこから業務を再開させるために、現場のデジタル化が一気に加速。ウェブ会議の浸透など、業界全体のIT化が進んだことも追い風となり、紙のままでは業務が成り立たないという環境の変化が、システムの急速な普及を後押ししました。
ーー国内で治験を実施する医療機関で約7割のシェアを獲得されたと聞きましたが、なぜ実現できたのでしょうか。
鎌倉千恵美:
競合他社が製薬会社向けのサービスに注力する中、私たちは「医療機関の皆様がいかに使いやすいか」という現場に徹底的に寄り添う姿勢にフォーカスした点です。現場のニーズを汲み取ったシステム設計により、紙から電子化するだけで業務効率を70〜80%も向上させることが可能です。現在では、商談以外の場でも多くの医療機関の方々から「アガサのシステムがなければ日本の治験は回らない」と言っていただけるほどの信頼と実績を築くことができました。
生成AIによるさらなる自動化とフランスから挑む「グローバルNo.1」
ーー今後の展望や注力されているテーマについて教えてください。
鎌倉千恵美:
紙の電子化が進み、現在はシステム同士をつなげるフェーズにありますが、今後は生成AIを活用したさらなる自動化を目指しています。人が行っている文書作成やデータ入力なども含めてシームレスにつなぎ、人を介さずに自動化できる世界を実現したいと考えています。
また、次の大きなチャレンジは海外展開、特にフランスを起点とした「グローバルNo.1」への挑戦です。現在16カ国に展開していますが、日本で培ったモデルを武器に、まずは開発拠点もあるフランスでのシェア拡大に注力し、目標として50%以上のシェアを獲得したいと考えています。そして、日本発の「グローバルNo.1」企業として、世界中の治験現場の効率化を牽引していく計画です。
ーー最後に、貴社の組織文化や社会課題への向き合い方を教えていただけますか。
鎌倉千恵美:
私たちは「正直でオープン」というバリューを大切にしています。現在、日本とグローバルのメンバーをワンチームとするべく「One Agatha(ワン アガサ)」というプロジェクトを推進しています。バリューを体現する、非常に人柄のよいメンバーが集まっていることが、組織の強力な推進力となっています。
また、「世界中の人々の健やかな人生のために、今 わたしたちができること。」というミッションを深く理解するため、社員によるボランティア活動なども実施し、全社ミーティングでその体験を発表する取り組みを行っています。単なるシステム提供に留まらず、社会課題の解決に真正面から取り組む企業姿勢を今後も強化していきます。社会貢献に共感し、成長意欲のある方にぜひジョインしていただきたいです。
編集後記
圧倒的な国内シェアに甘んじることなく、生成AIの活用やグローバル展開へと果敢に挑む鎌倉氏。その原動力は、医療現場の課題を解決し、患者の未来に貢献するという揺るぎない使命感にある。取材を通して伝わってきたのは、「とにかく人がいい」と自負する社員一人ひとりを尊重し、「正直でオープン」を体現する温かい人柄だ。日本発のヘルステック企業が、世界の治験現場をどう変えていくのか、今後の躍進から目が離せない。

鎌倉千恵美/1974年、愛知県生まれ。名古屋工業大学大学院を卒業後、総務省総合通信基盤局に入省。2001年に株式会社日立製作所へ転職し、製薬・医療機関向けの新ビジネス開発と新ソリューションの基本設計を担う。2011年に製薬企業向け文書管理システムを手がける米国ベンチャーNextDocs Corporationの日本支社代表に就任。2015年にアガサ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。