
昭和50年に創業した町のお惣菜屋に生まれ、中食文化がない時代からスーパーの台頭まで、食環境の激変を原体験として育ったうちのや株式会社代表取締役の内野年記氏。一時は家業を離れたものの、大赤字の経営難を機に再び食の世界へ飛び込んだ。店舗拡大と大量廃棄という大きな挫折を経て同氏がたどり着いたのは、無添加と1年以上の長期常温保存を両立する独自の「うちのや製法」だった。フードロス問題の解決と素材本来の美味しさを引き出すアプローチで、食のインフラ化を目指す同社。近年はECサイトでの販売が急成長を遂げ、全国へ手作りの家庭料理を届けている。「日本の食文化を世界へ届けたい」と語る内野氏に、変革の舞台裏と未来への展望を聞いた。
幼少期の原体験と大正製薬での過酷な営業経験から見えた道
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
内野年記:
私の実家は昭和50年に創業した町のおかず屋で、幼い頃から米洗いなどを手伝っていました。当時は「サザエさん」の物語のように家庭でご飯をつくるのが当たり前の時代。父からは「商売はやればやるほど儲かるんや」と、原価を抑えて利益を出す商いの原点を教わりましたが、私自身は家業を継ぐ意識は全くありませんでした。
そのため大学卒業後は大正製薬株式会社へ入社し、「リポビタンD」の薬局向け直販営業を担当しました。待遇もよく、大企業ならではの規律ある環境でしたが、当時は「売れ、売れ」と数字を追い求める昭和気質の強い営業スタイル。同期と顔を合わせてもため息ばかりこぼしている自分に嫌気がさし、仕事の意義を見出せないまま「一度きりの人生、もっと前向きに生きなければ意味がない」と考え、次の道を探し始めました。
ーーその後、どのような経緯で家業へ参画することになったのかお聞かせください。
内野年記:
原体験として大きいのが高校2年生の時に経験した阪神淡路大震災です。震災によって活気のあった商店街が消失し、その後の再開発でスーパーが台頭するなど、食環境が激変する中、実家のおかず屋も経営が苦しくなっていたのです。
私が退職を考えていたタイミングで、姉から「お金の管理を見てほしい」と相談を受けました。財務状況を確認してみると、蓋を開けてみると真っ赤な大赤字。数字を改善するには現場を変えるしかないと考えて入社を決意し、私は自ら厨房に入り、父からつくり方を聞いて手探りで惣菜づくりを始めました。
大量の廃棄ロスと大赤字から生まれた独自の常温保存技術
ーーその後、事業はどのように展開していったのですか。
内野年記:
利益を出すために多店舗展開を推し進め、神戸などで約10店舗の惣菜店を展開しました。セントラルキッチンもつくりましたが、やればやるほどまた大赤字になってしまったのです。
原因は大量のフードロスでした。私たちがつくる生鮮惣菜は安心安全ですが、無添加ゆえに天候に左右され、売れ残れば捨てるしかありません。売れ残った惣菜を大量に廃棄する日々に疲弊し、事業の持続性に強い危機感を抱いたのです。一方で、市場で日持ちする商品は菌の繁殖を防ぐために添加物が使われています。同じ「安心安全」の言葉の中で、大きな矛盾を感じていました。
ーーその矛盾を解消するために、どのような取り組みをされましたか。
内野年記:
安心・安全な家庭料理を届けつつ冷蔵や冷凍ではなく非常食にもなる無添加の常温保存惣菜の開発へと舵を切りました。周囲からは「無添加で常温の惣菜なんて美味しいものはできない」と言われました。しかし試行錯誤を重ね、保存料やpH調整剤などの添加物に頼らず、菌の繁殖を抑える独自の加熱・真空パック技術を確立したのです。最終工程の高温殺菌のみで1年以上の長期常温保存を実現しました。
経営が苦しい中でしたが、不退転の決意で金融機関から融資を受け、設備投資に踏み切りました。そして、新工場が稼働する2016年の、4年に一度のうるう年である2月29日に登記を行い、私は代表取締役に就任しました。
ネット販売での大ヒットと「うちのや製法」の強み

ーー現在の主力事業について詳しくお聞かせいただけますか。
内野年記:
現在は実店舗の事業をすべて終了し、食品メーカーへと業態を完全に移行しました。独自の「うちのや製法」を活用し、サラダチキンや肉じゃがなど手づくりの「家庭料理品質」を保った約40品目を展開しています。
私たちの技術は、高温加熱によって味や食感を損ないやすい一般的なレトルト食品とも、解凍時にドリップが出て美味しさが損なわれる冷凍技術とも異なります。職人の手づくりの考え方をベースに、素材本来の旨味を最大限に引き出した状態で保存する。この独自の調理アプローチこそが最大の強みです。私の父にもこの新しい製法でつくった煮豆を食べさせたところ、「これはうまいな」と認めてもらい、無事に事業を引き継ぐことができました。

ーー業態移行後、ビジネスはどのように成長していきましたか。
内野年記:
Amazonでの販売を開始したことが大きな転機となりました。プライム会員向けの配送網や翌朝届く「ポスト便おかず」の形態が、単身赴任者や高齢者世帯などのニーズと合致し、月間の売上高が約1000万円まで急成長しました。常温保存であるため、ご家庭における冷凍庫のスペース問題や解凍の手間を解消し、日常の時短ニーズや災害時の備えとしても高く評価されています。
さらに、フィギュアスケートのりくりゅうペアが海外で和食を食べれない中、弊社の商品を愛用してくださっていることがネットで紹介され、売上高が跳ね上がる大きな追い風もありました。
日本の食文化を支え未来へ届けるインフラを目指して

ーー最後に、これからの展望についてお聞かせください。
内野年記:
今後は忙しい現代人や高齢者が、罪悪感なく安心して食べられる家庭料理を届け、「food for life(生きるための食)」を支えるインフラとして社会に定着させていきたいと考えています。目指すのは単なる食品販売ではありません。食卓に「タイムレス・クオリティ(心のゆとり)」を提供し、新時代の「食のインフラ」を構築すること。それが私たちの掲げる目標です。
また、自社で商品を売るだけでなくこの画期的な「うちのや製法」を他の食品メーカーにも使ってもらうライセンス展開を進めています。全国に眠っている工場の設備を活用してサプライチェーンを構築し、各地の旬の食材を使った常温惣菜をつくることが目的です。今後はフードロス削減だけでなく、一次産業の支援や災害支援も含め、日本の美味しくて健康的な伝統的家庭料理の文化を世界へ、そして未来へと広げていきます。
編集後記
大量廃棄と大赤字という経営のどん底から、常識を覆す常温・無添加の惣菜を生み出した内野氏。その根底には、幼少期から肌で感じてきた食と街の変化、そして職人である父から受け継いだ手づくりへの誇りがあった。「家庭の味を世界へ、そして次世代へ」という切実な願いは、独自の製法と熱い思いによって形になりつつある。地方の工場を巻き込んだサプライチェーン構想が実現した時、日本の食卓の風景はさらに豊かに広がっていくことだろう。

内野年記/2001年甲南大学経済学部卒業。大正製薬株式会社に入社。2003年大正製薬株式会社を退社し、有限会社ウチノに入社。2016年代表取締役に就任し、常温真空お惣菜の開発をスタート。2018年より常温真空お惣菜の本格販売を開始。2025年うちのや株式会社を設立。うちのやブランドを創設し、販売を開始。