※本ページ内の情報は2026年7月時点のものです。

17歳で営業の世界に飛び込み、若くしてトップクラスの成績を収めた林京太郎氏。しかし、27歳での独立直後、事業において大きな挫折を経験し、一時は絶望的な状況に陥る。そこからいかにして立ち直り、未経験の携帯電話販売で全国トップの成績を獲得するに至ったのか。現在は株式会社K’sBUILDを率い、人材支援や重量物移設など多角的な事業を展開する同氏に、これまでの経歴と独自の「共創」の組織哲学、そして描く未来像について思いを聞いた。

守るべきもののために17歳で営業の世界へ

ーーまずは、営業の世界に飛び込んだ経緯から教えていただけますか。

林京太郎:
中学を卒業後、15、6歳の頃はアルバイトを転々とする生活を送っていました。転機は17歳のときです。子どもを授かったことを機に、「ここで変わらなければならない」と強く決意しました。そういった背景から、知人の紹介でKDDIの代理店に入社し、通信回線の訪問販売の営業からキャリアをスタートさせました。

ーー当時の仕事環境はどのようなものでしたか。

林京太郎:
インターネット回線の契約を獲得するため、毎日マンションを端から端まで訪問し続ける日々でした。多い日には1日200件から300件のインターホンを押します。夜遅くまで駆け回る日々でしたが、守るべき家族ができたことで必死に食らいつきました。この経験が、現在の私の営業としての原点になっています。

「関西1位」獲得と20代前半での葛藤

ーーその後、キャリアはどのように進展していきましたか。

林京太郎:
19歳のときに転機がありました。最初の会社からトップ層が独立して新会社を立ち上げることになり、ヘッドハンティングを受けたのです。移籍後も通信回線の営業に邁進し、「自分は何でもできる」という強い自信を胸に行動していました。当時、初日で1件を受注できる人がいないと聞いていたため、「まずは初日で成果を出す」ことを目標に行動しました。その結果として成績が伸び、見事に関西1位を獲得することができました。若くして大きな成果を出せたことは、さらなる自信につながりましたね。

一方で、20代前半にして給料面の限界が見え始め、同じ業務を続けることへの葛藤も生まれていました。その後は別の会社へ移り、自動車の個人売買を手がけるなど、さまざまな経験を積んでいます。

大きな挫折からの再起

ーー法人を設立されてから、最初の事業として何を選ばれたのですか。

林京太郎:
最初は不動産事業からスタートしました。自動車売買で個人として稼げていた時期に体調を崩し、病院のベッドで「このままではいけない」と将来への危機感を覚えたことが法人設立のきっかけです。私自身は不動産の知識がなかったため、経験者と組んで事業を始めました。

ーー事業は順調に立ち上がったのでしょうか。

林京太郎:
独立直後に厳しい現実に直面しました。オープンして半年ほど経った頃、事業を進める上で予期せぬ大きなトラブルに見舞われ、一時は会社を畳もうかと考えるほどの絶望的な状況に陥ったのです。

ーー絶望的な状況から、どのようにして再起の道を見出したのでしょうか。

林京太郎:
一週間ほどは事務所で呆然としていましたが、「将来大きな事業をつくると語っていた自分が、この程度の損失でリタイアするわけにはいかない」と思い直したのです。自分には手に職も資格もありませんが、培ってきた営業力と喋る能力だけは絶対にあると確信していました。そこで、自身の強みを最大限に活かせる領域として、携帯電話販売の人材アウトソーシング事業に活路を見出し、ゼロから再出発することを決意しました。

携帯販売で「日本一」を達成しシリコンバレーへ

ーー未経験の携帯販売の業界へはどのように参入していきましたか。

林京太郎:
まずは自らが現場に出向いて、業界を知ることから始めました。前回の事業でのつまずきは、自分自身が実務を理解せず、他者に任せきりにしてしまったことが原因です。その反省から、28歳を前にして自ら携帯電話ショップの店頭に立ち、一から業務を学びました。

ーー自ら現場に立たれてどのような成果が得られましたか。

林京太郎:
現場に立ってわずか1年で、Google Pixelの日本市場拡大に最も貢献した10人という功績を収めました。携帯販売で再起を果たし、その結果としてGoogleからシリコンバレーへ招待されるという貴重な経験を得たのです。この実績をつくったことで、従業員たちにも背中で示すことができました。現在では自社の営業メンバーたちも、それぞれの配属先店舗で1位や表彰を獲得するまでに成長しています。

「競争」ではなく「共創」を目指す独自の組織哲学

ーー現在の事業内容と、組織運営において大切にされている方針を教えてください。

林京太郎:
現在は株式会社K’sBUILDの代表として、人材支援や訪問販売、重量物移設など多角的な事業を展開しています。組織をまとめる上で大切にしているのは、他者と競争して利益を奪い合うのではなく、共に考えながら事業をつくり上げる「共創」の姿勢です。自社だけが利益を得たいという考えでは、長期的な事業成長にはつながりません。周囲の企業や顧客から応援されて初めて会社に利益が生まれ、それが従業員への還元につながると考えています。

ーー社員の方々の育成についてはどのようにお考えですか。

林京太郎:
会社の最大の財産は「人」です。そのため、人材教育には特に時間をかけています。従業員がミスをした際も、ただ叱責するのではなく「なぜその行動をとったのか」「他にどのような選択肢があったか」を共に考えることで、本人の成長を促しています。最終的には、全員が社外で自慢できるような、誇りを持てる組織に育て上げることが目標です。

ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。

林京太郎:
現在特に注力しているのは、重量物移設の事業です。歴史が長い業界であるからこそ、私たちのような新しい組織が新たな価値を提供するチャンスがあると感じています。そして3年後、5年後の目標は、創業期から苦労を共にしてきた初期メンバー全員を「成功者」に導くことです。成功の定義は個々で異なりますが、「やりたいときに、やりたいことができる環境」を全員に提供できるよう、これからも挑戦を続けていきます。

編集後記

絶望的な状況に陥っても、決して歩みを止めず這い上がった林氏。その軌跡は、自身の営業力への絶対的な信頼と、地道な行動力の証明だ。困難を乗り越えてたどり着いた独自の組織哲学には、共に働く仲間への深い愛情と人間理解が込められていた。強固な信頼関係で結ばれた同社が、今後どのような成長を遂げていくのか、さらなる飛躍が楽しみだ。

林京太郎/1994年大阪生まれ。17歳でKDDI代理店に従事し、関西光ファイバー訪問販売コンテストで全代理店1位を獲得。22歳で自動車業界へ転身し、2018年に独立。累計10億超の流通を構築。現在は株式会社K’sBUILDを設立し、人材アウトソーシング事業を展開。2024年にはGoogle Pixelの日本市場拡大に貢献し、Google本社トップセールスサミットに選出。