
日本の音楽現場に欠かせない「ライブハウス」。その文化を黎明期から築き上げてきたのが、アームエンタープライズ株式会社の代表取締役社長、岸本泰治氏だ。大手自動車メーカーに入社し、今につながるキャリアをスタートさせた同氏が、いかにして音楽の世界へ飛び込み、次世代の文化交流の場を創出してきたのか。ニューミュージック誕生の瞬間を目の当たりにした同氏の軌跡と、未来への展望に迫る。
大手自動車メーカーのエンジニアから一転、日本のニューミュージック(J-POP)誕生の瞬間を目の当たりにした日々
ーーまずは、これまでのキャリアの歩みをお聞かせいただけますか。
岸本泰治:
もともとは理系に進み、某自動車メーカーに入社しエンジニアとして社会人のキャリアをスタートさせました。しかし当時は、「もっと面白いことをしてみたい」というエネルギーに満ち溢れていた時期でした。そんな新しい刺激を求めていた中で、友人の誘いを受けて1970年代初頭にロック喫茶の立ち上げに携わることになり、この世界へ足を踏み入れました。
ーーそこからどのように音楽の世界へ深く関わるようになったのでしょうか。
岸本泰治:
オリジナル楽曲を歌う若者たちの熱意に感化されたことです。当時は邦楽と洋楽が明確に分かれており、その時代はロックとかフォークとか分かれていた、J-POPという言葉すらありませんでした。しかし店舖を経営する中で、活発化していた学生運動のエネルギーを音楽に向け、ブルースやロックを自らの言葉で歌う若者が少しずつ増えました。彼らの熱気あるスタイルに触れるうちに、私自身も音楽の魅力に深く引き込まれていったのです。まさに日本のニューミュージック文化が誕生する瞬間を、最前線で目の当たりにしました。
「爆音酒場」から「ライブハウス」へ業界の仕組みを変えた取り組み

ーーその後、ご自身でライブハウスを立ち上げられた経緯を教えていただけますか。
岸本泰治:
当初はイベントの企画や出演者の手配、他店舗の運営委託を請け負っていましたが、その経験を活かし、1984年に法人を設立して直営の「キャンディホール」を立ち上げました。設立当時はまだ「ライブハウス」という言葉が浸透しておらず、「爆音生演奏」「爆音酒場」などと呼ばれていました。私たちが自らの店舗を「ライブハウス」と発信し続けたことで、その名称が少しずつ世の中に定着していったのです。
ーー店舗の運営において、どのような工夫をされましたか。
岸本泰治:
実は、現在では当たり前になっている「ドリンク別料金」のシステムも、私たちが構想し実装したものです。始めたきっかけは、当時のチケット発券手数料が高騰したことにありました。当初はチケット代にドリンク代が含まれるシステムが主流でしたが、手数料が上がる中で、ドリンク代にまで手数料がかかることに無駄を感じたので、チケット代とドリンク代を完全に切り離し、入場時にドリンク代を別途いただく仕組みを考え出しました。導入当初は周囲から異端扱いされましたが、合理的な仕組みであったため、結果的に全国のライブハウスの標準となりました。
ーー店舗の設計や設営はどのように行っているのでしょうか。
岸本泰治:
すべて自社で手掛けています。私は某自動車メーカーを退職した後、建築関係などさまざまなアルバイトを経験しており、そこで培った知識や現場経験が現在の店舗づくりに活きています。防音や振動対策、電源の配線に至るまで、建築の専門的な知見を持っています。そのため、現在はグループ会社に音響や設営の専門部門を設け、自分たちの手で理想の音楽空間をつくり上げているのです。
顧客層に合わせた空間づくりとニューミュージック(J-POP)の聖地としての新たな集客施策
ーー複数の店舗を展開する上で、現在どのような戦略を描いていますか。
岸本泰治:
店舗ごとにターゲット層を明確に変え、出演者のステップアップを促す仕組みをつくっています。たとえば、福島にある店舗は、若手バンドが出演しやすいよう、倉庫を改装した荒削りな空間にしました。そこで経験を積んだ出演者が、次は心斎橋の店舗へ進むという流れです。また、ラジオ番組と連携したリスナー招待企画も行い、ライブハウスに足を運んだことのない方々を呼び込んでいます。
ーー新たな客層を獲得するための取り組みについて教えてください。
岸本泰治:
現在注力しているのが訪日観光客に向けた施策です。具体的には、私たちの店舗を「J-POPの聖地」としてアピールしています。日本の音楽に興味を持つ海外からの観光客が増加しているため、パスポート提示でドリンク代のみで入場できる仕組みを導入しました。さらに、台湾の音楽イベントと連携し、互いの出演者を派遣し合う取り組みも行っています。ライブハウスを単なる会場ではなく、観光資源として捉えた新たな集客活動です。
若者が自己実現を果たし日本の文化を育む「カルチャーゾーン」を目指して
ーー最後に、今後の展望をお聞かせいただけますか。
岸本泰治:
ライブハウスが、日本の文化に根付く「カルチャーゾーン」として発展していくように挑戦を続けることです。出演するアーティストや訪れるお客様には、音楽を通じて新しい何かを掴み取ってほしいと願っています。ライブハウスは、単に音楽を聴いてお酒を飲むだけの場所ではありません。20代などの若い世代が生き様をぶつけ、学び、自己実現を果たしていくための舞台です。これからもその役割を果たす場をつくり続けていきます。
編集後記
大手自動車メーカーのエンジニアから音楽の世界へ飛び込み、日本のライブハウス文化を牽引してきた岸本氏。その原動力は、時代を先読みする視点と、熱意ある若者への深い共感である。「ライブハウス」という名称の定着や、ドリンク別料金システムの考案など、私たちが現在当たり前のように利用している仕組みの背景には、現場の課題を解決する合理的な思考が存在した。生身の人間が熱量をぶつけ合うカルチャーゾーンの価値は、今後も社会に根付いていくことだろう。

岸本泰治/1949年生まれ、大阪府大阪市出身。