※本ページ内の情報は2026年10月時点のものです。

明治38年の創業から120年、製餡業ひとすじで歩んできた橋本食糧工業株式会社。四代目として暖簾を守る代表取締役社長の橋本敏克氏は、食品商社での経験を経て家業へ入った。その後直面したのは市場縮小という厳しい現実と、職人技に支えられた長老たちとの世代交代の壁だった。生成AIの活用や同業他社との協業など、業界の常識に縛られない改革を推し進める背景には、現場で培った「人への深いリスペクト」がある。「自社だけでなく、業界全体で生き残る」と語る橋本氏に、伝統企業の組織変革と未来への展望をうかがった。

商社での修行時代と工場で流した汗が原点に

ーー家業を継ぐまでの経緯についてお聞かせいただけますか。

橋本敏克:
私は三人兄弟の末っ子長男として生まれ、幼い頃から周囲からは「いずれ会社を継ぐ跡取り」という目線で見られて育ちました。そのため、自ら強く決心したというよりも、小学3年生の頃には自然と「将来は会社を継ぐんだ」という意識を持っていました。

大学卒業後は食品商社へ入社し、約4年間、海外から食材を輸入し国内メーカーへ販売する業務を担当。商社の仕事は、単に物を右から左へ流すだけではありません。「自社から買うメリットは何か」を突き詰め、お客様に満足していただく。その付加価値こそが重要だと学びました。また、個人の力だけでなく「会社の看板」で商売ができている謙虚さも知りました。こうした経験から「単にものを売って終わりではない」という商売の本質を学び、当時築いた人脈は、30年以上経った今でも現在の商売に活きる大きな財産となっています。

ーー貴社へ入社されてからはどのような業務を担当されたのですか。

橋本敏克:
1998年の入社から約4年間は工場や品質管理の現場に入りました。職人と一緒にあんこを炊き、設備の配管補修も教わりながら共に汗を流して働きました。あんこづくりの工程や、それぞれの作業が持つ意味を肌で理解できたことは、その後のISOやFSSC取得など会社を近代化・業務改善していく上での大きな土台です。何より夏の暑い釜の前で働く現場の苦労を知っているからこそ社員へのリスペクトを忘れないでいられます。

世代交代の葛藤と「人が主役」の組織改革

ーー社長就任後、組織を変えていく上で壁はありましたか。

橋本敏克:
就任当時、会社には勤続60年を超える大ベテランの番頭さんたちが会社を支えていました。彼らがつくり上げた会社で私がトップになることには正直やりにくさもありました。しかし会社は人がつくるものです。時代が変わり、昭和のやり方が通用しなくなる中で、ベテランへの敬意を払いながらもうまく世代交代を進めなければ存続できません。そこで次世代育成のために数年前から階層別の研修を導入しました。経営幹部は会社全体を俯瞰し次世代リーダーは業務を根本から見直すなど、技術や思いを着実に次世代へ継承するための仕組みづくりに注力しています。

ーーDXや生成AIの推進もされているのはその一環でしょうか。

橋本敏克:
人口減少で採用が厳しくなる中、変化に順応できなければ淘汰されてしまいます。生成AIの活用やDXの推進によって置き換えられる事務作業などは機械に任せ、人間は人間がやるべき判断や思考に集中する。そうした棲み分けを行い業務をアップデートしていくことで、より働きやすい環境をつくり、人の定着にもつなげていきたいと考えて推進しているところです。

サバイバルではなく「協業」 業界の未来を拓く

ーー若者の「あんこ離れ」が進む中、どのような事業展開をお考えでしょうか。

橋本敏克:
決して若者の「あんこ離れ」が進んでいるわけではないと思います。あんバターなど若者にも受け入れられており、まだまだ根強い食材だと思っています。ただ過去50~60年の間にも、製餡専業会社が半分以下に縮小している現実の前に、私たちは嗜好を掴み市場を守ることが求められています。このような業界全体を考えましても、自社だけが勝ち残るサバイバル思考ではいずれ供給量が減り、あんこの食文化自体が先細ってしまいます。だからこそ「協業」が不可欠です。

また、弊社では食文化の保護と認知度向上のため家庭用商品の開発にも力を入れています。たとえば、食パンに乗せて焼くだけで食べられる「スライスこしあん」。長期保管できるシート状の画期的な商品ですが、完成までに2年を費やしました。この商品は自社製造ではなく、同業他社に製造を委託し、弊社のブランドとして販売しています。これは単に売上高を追うだけでなく、「こんな面白いものを出している会社があるんだ」と、まずは弊社を知ってもらうための挑戦であると同時に、業界内で手を取り合う「協業」の具体的な形でもあります。

また、海外市場への展開も進めたいと思います。欧米では一般的に豆を甘くして食べる文化がありませんが、アジア圏には可能性があると考えます。現地の嗜好に合わせた用途開発を提案するなど、あんこを食べる文化そのものを広める草の根活動を地道に続けていきます。

仕入先はパートナー 感謝を体現し共に歩む

ーーものづくりにおいて大切にされていることを教えてください。

橋本敏克:
職人の技術継承や、時代に合った企業適応力はもちろんですが、「商売は仕入先があってこそ」という思いも大切にしています。昨今の世界情勢を見てもわかる通り、原料が手に入らなければ私たちは何もつくれません。だからこそ、仕入先との強固な信頼関係を築き上げることを重視しています。同時に、待っているだけでは良い原料には出会えません。既存の枠にとらわれず、積極的に新たな食材を開拓し、自ら学んでいく姿勢を大切にしています。弊社が事業を継続できているのも仕入先の皆様のおかげであり、その感謝を伝えるため、120周年の式典には仕入先の方々をお招きしました。

ーー最後に、今後の展望や次世代への思いについてお聞かせください。

橋本敏克:
会社を次の世代へしっかりと引き継ぐためには、「人」の育成が何より重要だと考えています。経営者一人では会社は成り立ちません。私自身が経験したような苦労を次の世代にさせないためにも、社員一人ひとりが成長できる環境づくりを進め、変化に強い組織をつくっていく必要があります。

また、事業の展望としては、日本の大切な「あんこ」の食文化を絶やさず、さらに広めていく使命があると感じています。これからも社員をはじめとする全ての方々と共に歩み、あんこの素晴らしい文化を世界へ、そして次の世代へとつないでいきたいですね。

編集後記

「自社だけでなく、業界全体で生き残る」。橋本氏の言葉には、老舗企業のトップとしての強い使命感が宿っていた。全盛期の半分以下という厳しい市場環境にあって、同業他社との協業や「スライスこしあん」のような画期的な新商品開発に挑む柔軟性は、業界の常識にとらわれない商社時代に培った広い視野があるからこそだろう。取材後にいただいたあんこで手作りしたおまんじゅうは格別の美味しさだった。変化に強い組織へと進化する同社が守る120年の伝統の味は、これからも海を越え、新しい形へと発展し続けるに違いない。

橋本敏克/1971年兵庫県生まれ。関西大学卒業後、株式会社東食(現・カーギルジャパン合同会社)に入社。4年の修業期間を経て、1998年橋本食糧工業株式会社へ入社。2014年同社代表取締役社長に就任。2020年地域食品産業貢献賞受賞。現在、業界団体が所属する豆類加工研究会の会長を務め、業界発展にも注力している。