※本ページ内の情報は2026年7月時点のものです。

父親の立ち上げたラーメン店への参画から始まり、現在国内外で合計18店舗を展開する株式会社オーファス。小川厚志会長は、幾度もの危機を乗り越え、「本物の味」にこだわり続けてきた。フランチャイズ時代の葛藤から独自のドミナント戦略の確立、オーストラリアでのグローバル展開、次世代リーダーの育成まで。時代に合わせて味を進化させながらも「変わらない価値」を守り抜く、小川会長の歩みと組織づくりに迫った。

お客様の「まあまあ」から始まった「本物の味」の追求

ーーまずは、貴社を創業した経緯について教えていただけますか。

小川厚志:
“脱サラ”した父親が始めたラーメン店に私が25歳で合流したことが始まりです。当時はフランチャイズ(FC)の加盟店だったため、支給される食材を独自の判断で変えることはできませんでした。そこで、前職の経験を活かし、接客や店内の清掃を徹底的に工夫したところ、満席になる時間帯をつくることができるまでになりました。

しかし、どうしても目標の「行列」ができません。理由がわからず悩んでいたある日、厨房から客席を見たところ、男性に連れられてきた女性が、味の感想を聞かれて「まあまあ」と答えている場面に遭遇したのです。その瞬間、店舗の装飾や接客以上に「やっぱり味なんだ」と気づかされました。

ーーそこからどのように独自の味をつくり上げていったのですか。

小川厚志:
自らの味をつくると決意し、独学で研究を重ねていきました。お客様の一言を機に、他店の視察や書籍を通じて味の探求を始めていったのです。私自身、それまで修業経験がなかったため、深夜の営業終了後に見よう見まねでスープをつくり、体で覚えるまで膨大な時間を費やすことになりました。それでも約2年かけて納得のいく味を完成させ、2000年にFCから独立して「らーめん専門店小川」の1号店を立ち上げる運びとなります。

多店舗展開の危機を救った複数ブランド化と内製化への道

ーー1号店の立ち上げ後、どのように店舗を展開していったのでしょうか。

小川厚志:
当時、出入りの業者から物件を紹介され、1年間で立て続けに3店舗の出店を決断しました。しかし、経営スキルが不足しており、半径2キロ圏内の全店で同じ味を提供してしまったのです。結果としてお客様も従業員も分散し、売上高が低迷、経営危機に陥ってしまいました。店舗存続の危機に直面し、苦肉の策として店舗ごとに味を変えることにしました。既存の「らーめん専門店小川」の塩豚骨に加え、家系醤油ダレに着想を得た「おがわや」を展開し、さらに味噌ラーメン専門店「親父の味噌」をつくり、3ブランドの体制に変更したのです。

ーーブランドを分けたことにより、どのような効果が生まれましたか。

小川厚志:
「小川の味が気に入ったから、次はおがわやに行こう」という回遊性が生まれました。この複数ブランド化の成功体験が、特定地域に集中出店する現在のドミナント戦略の確立につながっています。

また、店舗展開を進める中で味の安定化を図るべく、セントラルキッチンと製麺所を設立して内製化も進めていきました。当初は原価低減を目的に製麺機を導入したものの、「スープに合う美味しい麺」の製造は別次元の難しさでした。外部の製粉メーカーの方に教わり、納得のいく麺を出せるようになるまで数年を要しています。その後、店舗数が6店舗になった際、各店舗での味のブレを防ぐために製造拠点を設ける決断に至りました。赤字の時期を経験しつつも、この内製化への道のりが現在の品質安定に不可欠な要素となっています。

「本物の日本の味」で世界へ メルボルンでの大成功と展望

ーー海外展開はされているのでしょうか。

小川厚志:
昨年12月に出店したオーストラリア・メルボルンで、大きな成功を収めています。世界各地で日本のラーメンブームが起きていますが、日本人がオーナーの店は実は少なく、本物の味が提供されていないと常々感じていました。そこで、スープやタレ、麺を日本から輸出し、本物の味をそのまま現地で提供することにこだわりました。結果として、短い営業時間と定休日のある条件下でも、月商1200万円を売り上げるなど大成功を収めました。

ーー今後もグローバル展開を進める予定はありますか。

小川厚志:
メルボルンでの成功を足がかりに、今後はシドニーなどへの展開も視野に入れています。「日本人がつくる本物のラーメン」という強力なコンテンツ力に自信を持っていますし、現地のニーズに合わせたシーズン限定メニューなども仕掛けていきます。大手ファストフードチェーンのような季節ごとの展開も取り入れ、「本物の日本の味」で世界を席巻するつもりです。世界中で愛され、従業員が誇りを持てるグローバルブランドへの飛躍を目指します。

「大きな個人店」としてのこだわりとリレーでつなぐ次世代育成

ーー現在、組織づくりにおいて最も注力されていることは何ですか。

小川厚志:
次世代リーダーの育成です。世代交代を見据えて外部から30代の専務を招き入れました。現在私が担う役割は、現場が挑戦して失敗したときに謝罪し、費用を負担することです。私自身が失敗を重ねてきたからこそ、20代の世代が挑戦しやすいように、失敗しても上が責任をとる心理的安全性の高い環境づくりを進めていきたいという思いがあります。これからは現場に任せることで属人的な経営から脱却し、チームでリレーのようにお店と思いをつなぐ、持続可能な組織体制への移行を図っていく段階ですね。

ーー店舗数が増大しても、守り続けているこだわりはありますか。

小川厚志:
チャーシューの手づくりや自家製麺といった、「大きな個人店」としてのこだわりを決して手放さないことです。将来的に企業規模が拡大したとしても、この姿勢は変わりません。過去に海外店舗の常連客が日本の本店を訪れたことがありました。その際「味が当時のままで期待を裏切らない」と喜んでくださったのです。地元を離れた人が帰郷したときに「やっぱり小川のラーメンは美味しい」と安心できるような地域のソウルフードであり続けたいです。時代に合わせて味を進化させながらも、お客様の期待を裏切らない「変わらない価値」を提供し続けていく。これが私たちの地域のインフラとしての使命です。

編集後記

今回の小川氏への取材を通じて、危機を乗り越え「本物の味」を追求し続ける強い思いを感じた。試行錯誤の末に生み出した3ブランド体制や、数年を要した麺・スープの内製化など、その道のりには、幾多の困難があったに違いない。しかし、それを乗り越えてきたからこそ、現在の安定した品質とお客様からの揺るぎない支持があるのだろう。「20代が挑戦し、失敗しても上司が責任をとる」という心理的安全性の高い組織づくりも、頼もしい限りだ。オーストラリアでの成功を足がかりに、「本物の日本の味」で世界を席巻する日が来るに違いない。同社の躍進が楽しみだ。

小川厚志/1970年、東京都生まれ。高校卒業後、7年間小売業に勤め、25歳の時に脱サラした父親と一緒にFCのラーメン店を始める。5年後にFCを脱退し「らーめん専門店小川」を設立。社長に就任。2020年にグループ会長へ就任。