
1688年(元禄元年)の創業以来、茨城県土浦市で330年以上にわたり醤油づくりを営む柴沼醤油醸造株式会社。18代目となる代表取締役社長の柴沼秀篤氏は、幼い頃は一族の長男というだけで家業を継ぐことに疑問をもった時期もあったものの、やがて家業に戻ることの重要性を意識し始め、大手食品メーカーへ就職した経歴を持つ。29歳で実家に戻ってからは、右肩下がりだった売上高をグローバルに輸出することで回復させ、独自の視点で世界63カ国への輸出やコンサルティング事業を展開してきた。「『たまたま長男に生まれたから』とは言われたくない」という思いを原動力に、世界の市場で日本の真の魅力を発信し続ける柴沼氏に、老舗企業の生き残り策と具体的な取り組みを聞いた。
「たまたま生まれた」自分である必要を証明したくて
ーー幼い頃から家業を継ぐことは決めていたのでしょうか。
柴沼秀篤:
物心ついた頃から地域の周りの大人たちから「お前が次の醤油屋さんになるんだよ」と言われるのが当時は本当に嫌でした。職業選択の自由を奪われたような感覚があったからです。絶対に継がないと決め、一時期はテニスでプロを目指したこともありますが、世界の壁を感じて挫折しました。
プロへの道を諦めた後、テニスが強く、かつ醸造学科がある大学へと進学しました。当時はまだスポーツへの未練があり、就職活動では外資系スポーツメーカーを受けたものの、最終面接で語学力の壁にぶつかり不採用に終わりました。そうした挫折を重ねて進路を模索するうちに、少しずつ家業の存在を意識するようになったのです。最終的に大手食品メーカーへの入社が決まったとき、「あぁ、自分はいつか家業に戻るんだな」と自然と腹が据わりました。どうせいつか戻るのなら、まずは大企業で経験を積んでおこうという決断です。そこで、一人の会社員として働いたことで、現場で働く人たちの気持ちや、巨大企業ゆえの強みと限界を実体験として学べました。この経験は、今でも私の大きな財産になっています。
ーー家業に戻られてからは、どのような思いで経営に向き合われたのでしょうか。
柴沼秀篤:
「自分である必要」を証明したいという思いです。というのも、当時の私には「たまたま18代目の長男に生まれたから社長になれた」と思われることへの強い反発がありました。既存の家業を大きくしても、先祖のおかげだと言われてしまいます。自分という人間に本当の実力があるのかを確かめたかったのです。
また、私が戻った当時、醤油の単価は下落していて、贈答文化も縮小し、売上高は毎年数千万円単位で落ち続けていました。このままでは次世代へとバトンを渡せません。そんな強い危機感を抱き、既存の枠組みにとらわれず、自らの手で新たな事業を立ち上げようと決意しました。
オーストラリアで気づかされた「日本の真の価値」と独自のグローバル戦略

ーーどのような経緯で海外展開を始められたのでしょうか。
柴沼秀篤:
オーストラリアの貿易商社から声をかけられたことがきっかけです。当時、主力事業の売上が落ち込んでおり、毎朝3時過ぎには目が覚めるほど会社の未来に不安を抱えていました。そんな折に「輸出をしてみないか」と提案をいただいたのです。初めは船の手配も英語でのやり取りも無理だと考え、一度はお断りしました。しかし、「老舗の醤油屋とどうしてもビジネスをしたい」と現地から足を運んでいただいたのです。その熱意に応えるべく、挑戦を決意し、その後、自社の醤油を大量に抱えて自ら現地の飲食店へ営業に赴くことになりました。
そこで、現地のシェフたちに「創業330年」の歴史や木桶仕込みの製法を説明したところ、「オーストラリアの建国より古いなんて信じられない」「まるでワインの樽だ」と大きな反響を得たのです。長い歴史のなかで伝統を守り続ける姿勢や、日本のものづくりの真面目さ、安心感が、世界で高く評価されていると肌で感じましたね。この独自の世界観で勝負することが会社の未来につながると確信し、本格的な海外展開へと踏み出したわけです。
ーー世界中を飛び回る中で、ご自身の価値観に変化はありましたか。
柴沼秀篤:
生きる意味の本質と、日本の素晴らしさに気づかされました。オーストラリアの人たちは休暇のために働き、家族との時間を何よりも大切にします。「そんなに気真面目に働いて、何が楽しいんだ?」と問われ、人生の豊かさを教わりました。
その後、自分で輸出事業を立ち上げ、中東やアフリカなど約70カ国を自ら回ったのですが、トラブルや文化の違いに直面するたびに、日本の治安の良さや食の品質の高さに感動しましたね。世界を知れば知るほど「日本は本当に素晴らしい国だ」と再確認したのです。だからこそ、地方に眠る日本の良さや食文化を、自分たちの手で世界へ伝えていきたいと強く思うようになりました。
ーー数多くの国へ進出する中で、海外市場においてどのような戦略を重視していますか。
柴沼秀篤:
「優れるな、異なれ」という考え方を大切にしています。大手のメーカーと戦って勝とうとするのではなく、異なる手段をとることが重要です。多くの企業は香港やシンガポールといった近場に進出します。しかし、私たちはあえて中南米や輸入規制の厳しい国などに飛び込みます。誰も行かない場所で独自の地位を築くのです。
また、私たちは他社の醤油も一緒に仕入れて輸出しています。「競合の醤油を売るなんて」と驚かれることも多いですが、世界市場で見れば日本の醤油が占める割合はごくわずかです。潰し合うのではなく、それぞれの個性を生かし合い、共に日本の食文化を広めていくことが大切だと考えています。
従業員それぞれの「幸せ」を追求する組織づくり
ーー組織づくりや採用において心がけていることを教えてください。
柴沼秀篤:
従業員それぞれの「幸せ」を追求できる仕組みづくりです。現在、茨城の蔵で働く職人たちと、東京で海外を相手にするチームとでは、求める幸せの形が全く異なります。東京のチームは世界を飛び回ることに喜びを感じる一方で、茨城のメンバーは「定時に帰って家族と過ごすこと」を大切にしている人が多いのです。
だからこそ、一つの価値観を押し付けることはせず、それぞれが最も力を発揮できる環境を整えています。事実、弊社では男性社員も含めて育児休暇の取得率100%を実現しています。求めるものが違っていても、それぞれの幸せのバランスを保ちながら、会社という一つの大きな幹を育てていけばいいと考えています。
ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。
柴沼秀篤:
私は60歳になったら経営から完全に身を引き、最後は蔵人として現場に戻ると決めています。私には3人の娘がいますが、これからの時代は間違いなく、女性の感性が新しい未来を切り拓くと信じています。ただ、だからといって子どもたちが「家業だから」と渋々継ぐのは望んでいません。海外展開や他社の支援など多角的な取り組みを見て、「お父さんの会社、面白いじゃん」と自ら参加したくなるような企業をつくりたいですね。次世代が魅力を感じる組織をつくり上げ、バトンを渡していきたいと考えています。
編集後記
長い歴史と伝統を持つ老舗企業の看板に甘んじることなく、自らの実力を証明するべく海外へ飛び出した柴沼氏。「優れるな、異なれ」の精神で切り拓いたグローバル展開の歩みには、確かな熱量と戦略がある。さまざまな国を自らの足で巡ったからこそ見出した「日本の地方の魅力」と、「従業員一人ひとりの多様な幸せ」を重んじる柔軟な姿勢。古き良き歴史と、新しいことへ挑戦するベンチャー精神が融合した同社が、次にどのような未来を描くのか非常に楽しみである。

柴沼秀篤/1979年9月25日生まれ。2002年3月に東京農業大学を卒業後、味の素株式会社に入社。2009年に家業である柴沼醤油醸造株式会社へ戻り、執行役員営業本部長に就任する。2017年に株式会社柴沼醬油インターナショナル、2018年にきのか蔵株式会社を設立し、両社の代表取締役社長を務める。2020年には輸出事業への取り組みが評価され、優良事業者として農林水産大臣賞を受賞。2023年、同社(柴沼醤油醸造)の代表取締役社長に就任した。その後、同年に食品輸出コンサルティング会社Expolinを設立し会長取締役に就任、2025年に柴沼醤油ダイニング株式会社を設立し代表取締役社長として、「醤油蔵にいるかのような体験」を味わえるダイニング「新橋 柴沼」を都内にオープンし、現在に至る。