
京王電鉄といえば、東京都西部と神奈川県北部を主な事業エリアとして、強固な交通インフラを支える老舗鉄道会社の顔が浮かぶ。しかし現在の同社は、鉄道事業という盤石な基盤を持ちながらも、不動産、ホテル、建設設備、生活サービス等、事業の幅を大きく広げ、新たなフェーズへと突入している。その変革の先頭に立つのが、鉄道事業部門での経験を持たず、ホテル業や不動産業など多分野でキャリアを重ねてきた代表取締役社長の都村智史氏だ。コロナ禍においてトップに就任した同氏は、すべてを自社で完結させる従来の「自前主義」から脱却し、M&Aやオープンイノベーションを駆使した独自のまちづくりを推し進めている。なぜ、畑違いの現場を歩んできた同氏が、老舗鉄道会社の舵取りを担うことになったのか。その軌跡と、未来の沿線価値向上に向けた戦略に迫る。
「昨日と同じこと」を疑う ホテルや不動産畑で培った挑戦のDNA
ーーまずは、貴社の社長就任に至るまでのご経験をお聞かせください。
都村智史:
大学卒業後の1988年に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に新卒で入社し、キャリアをスタートさせました。実は、私はこれまで鉄道事業部門に在籍したことがありません。入社後は経営企画やグループ事業関係の仕事をメインに行っており、30代の頃にはグループ会社のホテルである京王プラザホテルに出向していました。その後も不動産関係のキャリアが中心でしたので、鉄道事業とはまったく趣きの違う畑を歩んできたのです。しかし、鉄道畑にどっぷり浸かっていないからこそ、鉄道事業の良さや課題をニュートラルに見ることができていると感じています。
ーー鉄道事業と他事業とでは、求められる役割にどのような違いがあるのでしょうか。
都村智史:
鉄道事業の最大の価値は、「毎日同じサービスを提供して、安全・安心な日常をお届けする」ことです。それを続けるためには膨大な努力が必要であり、私はその努力を心から尊敬しています。一方で、ホテルや不動産業界は、今日のお客様と明日のお客様がまったく異なります。今日の売上が明日も保証されているわけではないため、「昨日と同じことを繰り返していてはいけない」という意識が求められる事業なのです。
特に私が長く在籍した京王プラザホテルは、ホテル内常設のウエディングチャペル、レディースプラン、ユニバーサルデザインを取り入れた客室など、日本のホテル業界において「初めて」の取り組みを数多く生み出してきました。当時のホテルの枠組みにとらわれず、世の中に先駆けてどんどん新しい使い方を提案してチャレンジしていく文化があったのです。その精神は、グループ全体に受け継がれるべきだと強く感じていました。
自前主義を打破した買収と沿線活性化への執念
ーーご自身のキャリアにおいて最大の転機となった出来事は何でしょうか。
都村智史:
2012年に、住宅リノベーションを手掛ける株式会社リビタをM&Aによってグループに迎え入れたことです。当時のグループにはM&Aの経験がまったくなく、何でも自社で完結させようとする非常に強い「自前主義」の文化がありました。また、当時の事業構成は交通業に大きく偏っていました。
しかし、日本の人口減少が進む中で、1970年代初頭に開発された郊外の分譲地は、住民の高齢化という課題に直面していました。沿線に若い世代や子育て世代を呼び込み、地域を活性化させることは、鉄道会社にとって将来を左右する死活問題だったのです。
ーー自前主義の壁を越えて、リビタとのM&Aに踏み切った背景を教えてください。
都村智史:
良質な住宅ストックを再生し、コミュニティ形成を軸に事業を展開するリビタの取り組みを知り、弊社のこれからの郊外活性化に絶対に必要な機能だと直感したからです。実は案件化する前から、売却の話が出たら真っ先に連絡をいただけるように、あちこちへ足を運んで熱意を伝えていました。そんな中、ある日金融機関から急ぎの打診をいただき、そこから一気に話が進みました。当時の私は課長クラスでしたが、このボトムアップで成し遂げたM&Aの経験が、今の経営のベースになっています。
その後、私は同社の代表に就任し、リノベーションやシェア、コミュニティという強みをぶらすことなく、シェアホテルやシェアオフィス、戸建て住宅の再生などへ領域を広げました。交通業への過度な依存から脱却し、今後の鉄道事業の活性化と不動産業や生活関連領域を新たな柱に育てるための大きな挑戦でしたね。
コロナ禍での社長就任 鉄道会社の本質への原点回帰

ーーコロナ禍の時期に貴社の社長に就任された際の率直な思いを聞かせてください。
都村智史:
当時は利用されるお客様が半減し、「この状態が続けば鉄道事業の存続に関わる」という創業以来ともいえる危機感に直面していました。その中で私が強く意識したのは、「鉄道会社とはそもそもどういう存在か」という歴史的な原点です。かつて明治期の産業革命期、日本の先人たちは「郊外で健康的に暮らし、都心で働く」という、新しい生活スタイルを提案し、つくり上げました。社会のあり方が劇的に変わった今こそ、鉄道会社は再び原点に立ち返り、「時代の変化に応じた新しい生活スタイルを提案する存在」にならなければならないと確信したのです。
ーー具体的にはどのような方法で新しい提案を行っていますか。
都村智史:
たとえば、不動産販売業においては、お客様と一緒に設計し、暮らしをデザインしていくアプローチをとっています。大量生産の規格品を提供するのではなく、将来を見据えた間取りなど、生活の可変性を生かした提案を行っているのです。まちづくりにおいても、「建物を建てて終わり」ではありません。たとえば、京王多摩川や下北沢などのプロジェクトでは、完成後も私たちが長期的にわたって地域に関わり続けることを特徴としています。そして、人々の出会いやイベントが生まれる仕組みづくりに取り組んでいます。
さらに、同じ志を持つ外部の方々とネットワークを築くことも重視する点のひとつです。私たちがプラットフォームとして機能し、生活回りのサービスを広くコーディネートします。そうすることで、多様かつスピード感のある新しい価値をお届けできるはずです。

オープンイノベーションとDXで切り拓く未来の沿線価値
ーー外部パートナーとの連携にはどのように取り組んでいますか。
都村智史:
すべてを自社だけで抱え込む自前主義の時代は終わりました。これからは、私たちがプラットフォームとなり、同じ志や先端技術を持つ外部パートナーとネットワークを築いて価値を最大化していく方針です。現在はこれまでの枠にとらわれない「事業課題を起点とした共創」「エリアを起点とした共創」「社員の挑戦を起点とした共創」の3つの柱で進めています。
たとえば、社員の発案から始まった「奥多摩やまめの陸上養殖」プロジェクトでは、スタートアップ企業の技術と私たちのブランド力や安心感を掛け合わせ、京王プラザホテル八王子のホテル内での養殖と地元飲食店への提供を実現し、地産地消の新たな事業に育っています。また、迅速な価値創出のため、2026年2月には80億円規模のCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)も設立し、すでにスタートアップへの出資も始めています。
ーー中期経営計画の進捗と鉄道事業のDXについて教えてください。
都村智史:
現在進めている中期経営計画「HIRAKU2030」では、注力テーマの一つとして「まちづくり」を掲げており、その具体的な進捗として2027年冬には京王多摩川エリアで現在開発中の建物が完成を予定しています。このエリアでは、新たに建物を開発するだけでなく、駅の高架下にて出店料1円からキッチンカーにお試し出店できる独自の取り組みや、地元の人気店を巻き込んだマルシェなどを実施してきました。私たちが意図的に宣伝するのではなく、地域の方々が自発的に魅力を発信し、街への愛着を深めていただけるような持続可能なまちづくりが着実に進んでいます。
そして、これらと並行して注力しているもう一つの重要な柱が、鉄道事業におけるDX推進です。人口減少によって担い手の確保が難しくなる中、安全性や定時運行といったサービスの質を絶対に下げることなく、事業の持続可能性を高めていくための不可欠な手段だと捉えています。
現在、駅業務においてはAI画像解析技術と連携した防犯カメラによる駅構内でのトラブル検知や、AIアバターを通じたお客様案内のサービスを導入し始めました。保守管理の分野でも、営業用の車両にセンサー付きカメラを搭載し、走りながら架線や線路の状態を常時監視する仕組みの構築を進めています。将来的には、AIが保守の最適な時期を割り出すことで、作業員の負担軽減や危険作業の削減を実現し、持続可能な鉄道事業の強固な基盤をつくっていく方針です。

現場主義と褒め合う風土がつくる日本一活気のある沿線
ーー組織づくりや従業員のエンゲージメント向上への考えを教えてください。
都村智史:
私自身、現在は社長という立場ではありますが、一人のプレイヤーとして「常に現場に近い存在であり続けたい」と思っています。日々お客様と一番の接点を持っているのは現場であり、経営の舵取りをする上でも、彼らが持つ感覚を大切にする必要があるからです。そこで、社長に就任してからは毎年5月から10月にかけて全24の鉄道現場へ足を運び、社員たちと直接意見を交わす時間を設けています。企業の成長を支えるのは現場の力であり、従業員のエンゲージメント向上や離職率の低減には、誰もが働きがいを感じられる環境づくりが不可欠だと考えているからです。
また、鉄道現場には宿泊を伴うシフト勤務があるという事業の特性上、働きやすい制度の整備も急務です。そのため現在、男性の育休取得率100%を目標に掲げ、育児や介護といったライフイベントと仕事が無理なく両立できるよう、人員配置に余裕を持たせ、社員が休むことを「当たり前」と受け入れ支え合う風土への転換を進めています。こうした取り組みを通じて、長く安心して活躍できる組織をつくることが、経営者としての私の責務だと思っています。
ーー前向きな職場風土を醸成するための独自の取り組みなどはありますか。
都村智史:
良い取り組みを見つけて積極的に褒め合う文化(Safety-II)の醸成に力を入れています。危険を予測するヒヤリハットの報告だけでなく、「あの人のあのサービスが素晴らしかった」「こういう工夫が安全につながっている」という前向きな報告を拾い上げるのです。悪いところは誰でも気づけますが、良いところを見つけるには相手を注意深く観察する努力が必要です。この取り組みを通じて、自分たちの仕事の価値を再認識し、誇りを持って働ける組織をつくりたいと考えています。
ーー最後に貴社が描く未来への展望についてお聞かせください。
都村智史:
都内の新宿や調布周辺、および神奈川県の橋本(相模原市緑区)など、今後これほど大規模な開発が同時並行で進むエリアは、日本中を探しても他にはないでしょう。日本全体では人口減少や高齢化といった課題が多いですが、私はこの沿線を「日本で一番活気のあるエリア」にすることができると確信しています。ハードとソフトの両面から独自のまちづくりを完遂し、地域の皆様とともに、今後も未来へ向かって持続的に成長し続ける企業でありたいと思います。
編集後記
「昨日と同じことをやっていては生き残れない」。この都村社長の強い危機感は、絶え間ない変化と進化を志向する果敢な挑戦の証拠だ。安全で確実なインフラの提供という鉄道会社の矜持を胸に秘めながらも、自らが率先して全現場へ赴き、社員と膝を突き合わせて対話するその熱いプレイヤースピリットに心を打たれた。「良いところを観察し、互いに褒め合う」という温もりある風土づくりは、働く人々の心に火を灯し、地域社会を巻き込む大きな渦へと成長していくに違いない。「つくって終わらないまちづくり」の先にある、日本一活気に満ちた沿線の風景。その実現に向け、生活者の感情に寄り添いながら力強く未来を牽引する同社の姿から、今後も目が離せない。

都村智史/1964年神奈川県生まれ。1988年上智大学文学部卒業後、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)入社。総合企画本部 沿線価値創造部長、リビタ代表取締役社長、京王電鉄取締役経営統括本部 グループ事業部長、取締役常務執行役員 経営統括本部長を経て、2022年同社代表取締役社長に就任。