
1926年の創業以来、鉄鋼および建設資材の専門商社として、長年にわたり日本のインフラを足元から支え続けてきた小野建株式会社。全国を網羅する物流ネットワークと高度な加工機能を強みに、業界内でも独自の存在感を放つ。同社の代表取締役社長を務める小野剛氏は、大手専門商社で管理業務の経験を積み、念願の海外駐在を見据えていた矢先、前社長である父の急病という出来事を機に、家業の小野建株式会社に入る決断を下した。その後、20代という若さで大阪支店をゼロベースに近い状態から立ち上げ、M&Aを駆使しながら事業を急速に拡大させた実績を持つ。現在、同社は2035年に向けた「売上高5000億円」という壮大な長期ビジョンを掲げている。さらに、国内への大規模な設備投資や、業界の常識を覆すECプラットフォーム「小野建eプレイス構想」など、次々と新たな一手を打ち出す。100周年を見据え、デジタル変革に挑むトップの覚悟と、同社が描く持続的成長の全貌に迫った。
商社の「森」を見る 管理畑での学びと家業への合流
ーーまずは、貴社に入社するまでの歩みについて教えてください。
小野剛:
ファーストキャリアは新卒で入社した伊藤忠丸紅鉄鋼です。この会社を選んだのも、もともと海外で仕事をしたいという思いが強かったことが大きくありました。大学時代にはバックパッカーとして世界中を旅していたほどです。そこで将来は家業を継ぐ可能性を感じつつも、世界を舞台にビジネスができる商社で働きたいという憧れのもと、入社をしました。
伊藤忠丸紅鉄鋼には3年半ほど勤め、最初の1年はグループ会社を管理する部署、次の1年は経理、残りの1年半は営業と管理の中間に位置する総括のような部署を経験しています。商社の仕事は「木を見てどう育てるか」という各企業の営業的な視点に偏りがちですが、私が入社からの3年半で徹底的に教え込まれたのは、「先に森をどう見るか」という組織全体の数値的なアプローチでした。会社全体を俯瞰し、ビジネスを数値として論理的に捉える視座を20代のうちに養えたことは、現在の経営において非常に大きな財産となっています。
ーーそこから、どのような経緯で家業に入る決断をされたのでしょうか。
小野剛:
直接のきっかけは、前社長であった父が急性リンパ性白血病で倒れ、急遽実家へ戻ることになったことです。まさに私が海外駐在を見据えて準備をしていた矢先の出来事で、非常に厳しい状況での知らせでした。正直なところ、商社マンとしてこれから海外へ飛び立とうというタイミングだったため当初は頭を抱えましたが、これも一つの運命だと腹をくくり、2005年の10月に小野建へ入社することを決断したのです。
ーー実際に貴社へ入社されてから、社内の雰囲気についてはどのように感じましたか。
小野剛:
入社後、最初の半年間は九州で会社全体の仕事の流れを把握することに努めました。その中で最も驚かされたのは、社員たちの「愛社精神の強さ」です。小野建の社員たちは「自分たちの会社が好きだ」という気持ちをストレートに持っている人が多く、心から素晴らしい会社だと感じましたね。
ゼロからの挑戦と現場を率いた「熱量」

ーー2006年に異動された大阪支店では、どのような挑戦があったのでしょうか。
小野剛:
当時はまだ海外志向が強く、大阪支店が輸入鋼材を扱っていたためそこに関わりたいと考え、自ら希望して異動しました。しかし当時の大阪支店には、九州の本社がやっているような「鉄を1本、2本単位で細かくお客様の元へお届けする」という、小野建の本来の強みである商売の基盤がありませんでした。そこで私は、その細やかな商売の形を関西のマーケットでも一からつくり上げたいと考えたのです。
その挑戦の中で最大の転機となったのが、当時大阪にあった同業他社から事業を受け継いだことです。もともと大量のボリュームを扱う商売をしていた弊社の大阪支店のメンバーにとって、細かな単位で商品を届けるマインドへ切り替えるのは容易ではありませんでした。しかし、合流した会社は大型の倉庫を持ち、まさに鉄を1本、2本単位で各地方へ届ける商売を得意としていたのです。このM&Aによってインフラとノウハウを同時に獲得できたことが、現在の大阪支店の成長の大きなスタート地点になりました。その後は事業も順調に拡大し、関西、北陸、東海、四国へと次々に拠点を広げました。現在ではこの時の基盤づくりが実を結び、西日本エリアでの圧倒的な地位を確立するまでに成長を遂げています。
ーーその後の事業拡大において、マネジメントの面で大事にしていたことは何ですか。
小野剛:
目標に向かってまっすぐに、全員で全力疾走する熱量を大切にしていました。私自身も当時はまだ20代後半であり、仲間たちと一緒に駆け上がっていく感覚が楽しかったのです。社員数としては数十人規模でしたが、スマートに戦略を練るというよりは、熱量こそが組織を牽引する原動力でしたね。苦楽をともにしてゼロから組織をつくった経験は、私にとってかけがえのない財産です。
社長就任の重圧と会社を束ねる「基軸」の策定
ーー2025年の社長就任の打診を受けた際、まず何に取り組まれたのですか。
小野剛:
2024年の秋に次期社長の打診を受けた際、私がまず取り組むべきだと考えたのは、会社の基盤となるビジョンや行動指針の再構築でした。そこから半年間かけて、改めて言語化するプロジェクトを行いました。社員たちと一緒に、「私たちは何のために存在しているのか」を徹底的に議論したのです。そこで導き出した存在意義が、「クニづくり・マチづくり・モノづくりに貢献する」という言葉です。実はこの言葉は、曾祖父が会社を設立した趣意書に書かれていた「地域社会に貢献できる企業」という思いと本質的には同じものでした。事業判断に迷ったときは、クニづくり・マチづくり・モノづくりに貢献しているかどうかを基軸にすると決めています。

ーー行動指針については、どのような思いが込められていますか。
小野剛:
「あつまるチカラ」という独自の行動指針のもと、北は北海道から南は沖縄まで、全国にいる仲間の力を集結させるという意味を込めています。「あつまるチカラ」という言葉は、それぞれ「あ(明るく、元気に、前向きに)」「つ(尽きない情熱で仕事を楽しもう)」「ま(守ろう、心身の健康第一、安全第一)」「る(ルールを守り信頼を築こう)」「チ(挑戦と変化を楽しもう)」「カ(感謝を忘れず、「ありがとう」と言われる仕事をしよう)」「ラ(楽な道より成長の道を選ぼう)」という7つの項目の頭文字を合わせたものになっており、全社員でこれを共有し、体現していきます。
独自のビジネスモデルと若手が躍動する組織

ーー業界における貴社の強みはどこにあるとお考えでしょうか。
小野剛:
大きく2つあります。まず、鉄鋼事業と建設事業という両方の事業部を併せ持っている点です。どちらか片方の事業を展開している企業はありますが、両方を持っている企業は少ないため、これが独自性につながっています。
鉄鋼事業においては、「在庫の保有」「自社での加工」「独自の物流網」の3機能を掛け合わせていることが最大の強みです。これにより、お客様がほしいときに、ほしい形で鉄を1本、2本単位でも迅速にお届けできる体制を構築しています。このきめ細やかな対応を可能にしているのが、非常に細かく張り巡らされた拠点網です。たとえば九州エリアでは倉庫がない県は一つもありませんし、西日本全体を見ても大阪以西で営業所がないのは鳥取県、島根県と徳島県のみです。このきめ細やかなネットワークは、災害時などの有事にも強みを発揮します。熊本地震の際、現地の拠点が被災して大変な状況の中にあっても、福岡、鹿児島など他県の拠点から商品をお届けすることで、被災を免れたお客様の事業をサポートすることができました。拠点の多さが、結果として地域のお役に立てる強みになっています。
一方の建設事業では、自社内に工事部隊を抱え、多種多様な工事に対応できる体制を整えています。ゼネコンからの案件に対して、我々がサブコンとして多種多様なご提案や対応ができる点が特徴です。この鉄鋼事業の供給力と建設事業の施工力を噛み合わせている点こそが弊社の最大の強みであり、これを全国規模で展開している点において、業界でもオンリーワンの存在であると考えています。

ーーそうした事業を支える人材について、貴社ならではの特徴を教えてください。
小野剛:
挑戦したいと手を挙げる20代の若手社員などに、年齢にかかわらず積極的にチャンスを与えている点です。建設や鉄鋼業界は年齢層が高いイメージを持たれがちですが、弊社は20代が非常に多いのが特徴で、実際に20代で営業所の拠点長を任せた社員も複数人います。最初は小さな拠点から任せて経験を積ませ、キャリアアップのステップを踏みやすい環境を意図的につくっており、このエネルギーにあふれた若い力が、組織全体の推進力を生み出しています。
700億円の国内投資と業界を変える「3本の矢」

ーー2035年に向けた長期ビジョンの達成に向け、どのような戦略を描いていますか。
小野剛:
売上高5000億円、営業利益200億円という目標を成し遂げるための具体的な戦略として、「3本の矢」を用意しました。
まず1本目は「既存ビジネスの拡大」です。直近では北海道にも新たな営業所を開設しました。まだ拠点の少ない東日本エリアへ積極的に投資し、販売エリアを拡大していきます。また、お客様の手間を省く一次加工のニーズが急増しているため、加工で付加価値をつける機能にも注力します。
2本目は「M&Aの推進」です。2つの軸があり、1つは弱いエリアで同業他社を仲間にし面を広げること。もう1つは、扱っていない加工技術などを持つ企業を仲間にし、既存エリアでの深さをとることです。直近の1年間だけでも4件のM&Aを実行しました。
そして3本目は「小野建eプレイス構想」です。これは一言で言えば小野建版のAmazonをつくる構想です。現在、鉄の受発注は依然として電話やFAX、メールが主流です。しかし、全国にこれだけの倉庫網と在庫を持つ私たちなら、この仕組みをオンライン化できると確信しています。ワンクリックで受発注が完結するECサイトを構築し、将来的には自社の商材に限らず、他社の商材も扱うマーケットプレイスへと進化させる計画です。
ーーこうした成長戦略を推進する上で、どのような投資を実行されているのでしょうか。
小野剛:
国内に向けて総額700億円規模の設備投資を計画しています。海外への投資が注目されがちですが、弊社は国内に積極的に投資し、日本の最新鋭の機械で私たちが加工することで、日本のモノづくりを支えていくことが重要だと考えています。
また、経済産業省の賃上げ要件付き「大規模成長投資補助金」の採択を受けました。約100億円の投資に対して約4分の1の補助を受けられる非常に大きなものです。私たちが掲げる「クニづくり・マチづくり・モノづくりに貢献する」という存在意義が国から認められた結果だと受け止めており、非常にうれしく思います。
100周年に向けて次代へバトンを渡す使命
ーー最後に、経営トップとして目指す今後の会社の姿をお聞かせください。
小野剛:
長期ビジョンとして掲げている売上高5000億円は、あくまで一つの通過点に過ぎません。私の経営者としての最大の使命は、設立100周年という大きな節目を無事に迎え、その先に「今よりもっと良い会社」にして、次の世代へとしっかりとバトンを渡すことです。そのためには、事業の成長だけでなく、社員一人ひとりがやりがいを持ち、お客様や社会にとってなくてはならない存在であり続けることが不可欠です。物事をロジカルに捉え、自発的に行動できる仲間たちとともに、変化を恐れず挑戦を続けながら、小野建の新しい未来を築き上げていきます。
編集後記
歴史ある専門商社の舵取りを任された小野剛社長の言葉からは、過去の常識に縛られない柔軟な発想と、周囲を巻き込む強烈な熱量が溢れていた。若手社員に惜しみなくチャンスを与え、ともに走り抜ける姿にこそ、同社が放つ真のエネルギーの源泉があるのだろう。「5000億円は通過点に過ぎない」と語る力強い瞳には、100年企業という重圧を軽やかに乗りこなし、業界全体をアップデートしていく未来が明確に映っていた。デジタル革新と人材の力を掛け合わせ、次代へとバトンを繋ぐ同社の飽くなき挑戦から、今後も目が離せない。

小野剛/1980年、福岡県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、伊藤忠丸紅鉄鋼株式会社に入社。2005年10月、小野建株式会社に入社。2010年、取締役大阪支店長、2013年、代表取締役副社長などを経て、2025年6月に代表取締役社長に就任。