
「必ずニッチトップを獲る」という強い信念のもと、迅速な商品開発と現場主義で数々のヒット商品を生み出している山本漢方製薬株式会社。独自の「サンプル同封」戦略によって構築された90万件以上の顧客リストは、消費者との強固な信頼関係の証である。高校卒業後、大阪の漢方卸会社での修業を経て家業に入った代表取締役社長の山本整氏は、バブル崩壊後の厳しい環境の中、営業担当ゼロ・新商品開発からスタートして陣頭指揮をとった。2027年の創業50周年を前に、若手社員の積極採用や新市場である「グミサプリ」への参入など、次世代を見据えた挑戦を続ける山本氏に、商品開発の裏側と組織づくりへの思いを聞いた。
大卒に負けない覚悟 家業への帰還と怒涛の商品開発
ーーまずは、貴社に入社されるまでのご経歴を教えていただけますか。
山本整:
高校卒業後は、父と以前から交流があった大阪の漢方製薬メーカーへ修業に出ていました。当時の私の中には「高卒だ」という思いがあったからです。同級生が大学へ進学する中で「彼らが社会に出るまでに差をつけておかなければ」という覚悟で臨み、大卒の人たちに負けないという思いのもと、20代の頃は無我夢中で仕事に打ち込んでいましたね。
その後、30歳になる頃に、父親から「すぐに帰って来い」と連絡を受けました。当時の山本漢方製薬はバブル崩壊によって経営環境が厳しさを増していたのです。そこで、当時の勤め先に事情を話して退職した上で、急遽入社することになりました。
ーー戻られた当時の貴社の状況はいかがでしたか。
山本整:
当時は営業担当がおらず、私が外へ出て仕事を取ってくるしかありませんでした。そこで、既存の商品を勧めて他社と競争するのではなく、新しい商品をつくって提案した方が早いと考え、自ら最前線に立って新商品開発を牽引していったのです。その頃は、お昼のテレビ番組で特定の健康成分について取り上げられると、翌日にはそれに関連する商品が店頭から消えるほど大ヒットする時代です。そこで私たちは「来週の番組でこの成分が特集される」という情報を約1週間前にキャッチした上で、すぐさま新商品の開発に乗り出しました。
社員総出で手分けをし、急いで原料をかき集める者、味を調合する者、パッケージに記載する文言や成分表示を確認してデザインする者など、まさに時間との戦いです。実際の品質確認の手順を踏まえた上で、テレビで放送されるまでのわずか1週間で新商品をゼロからつくり上げ、市場に投入するという圧倒的なスピード感で勝負していました。結果、この機動力が功を奏して「杜仲茶」や「オオバコダイエット」などの商品がブームの波に乗り、当時の売上拡大につながったのです。
「必ずニッチトップを獲る」 信念と逆転の発想から生まれた顧客との絆

ーー数々のヒット商品を生み出す際に、大切にしてきた軸などはありますか。
山本整:
「必ずニッチトップを獲る」という強い思いです。ドラッグストアの棚を確保するためには、そのカテゴリーで一番手を目指すことが重要です。だからこそ、市場の中でニッチであってもトップになれる商品をつくる必要がありました。実際、「杜仲茶」「オオバコダイエット」などに始まり、「大麦若葉」の青汁や健康茶、センナなど多くのカテゴリーでトップを獲得しています。
ーーお客様との強固な信頼関係を築けた理由は何でしょうか。
山本整:
「自社商品の箱の中にサンプルを同封する」という独自の仕組みを取り入れたことです。きっかけは、私が薬局へ営業に回っていたときの出来事でした。当時は自社商品の認知度を上げようと、ドラッグストアで一番売れている他社製品の箱の外側に、自社商品のサンプルを貼り付けて売ってもらおうとしていたのです。しかしある店舗の店長から、「他社の商品に勝手にサンプルをつけるな。つけるなら自分の会社の商品につけろ」とお叱りを受けたのです。商売の本質を教わったことにハッとさせられましたね。
そこで、他社に頼るのではなく、自社商品を買ってくださったお客様に直接届ければいいんだと考えたのです。ただ、箱の外側に貼るわけにはいかないので「それなら箱の中に同封してしまおう」と逆転の発想が生まれました。同時に、商品カタログとプレゼント券も入れて、「券を切り取ってハガキで送れば、対象商品をもう1点プレゼントする」という仕組みにしたところ、今では1日に1,000通もの応募ハガキが届くようになりました。結果として90万件以上の顧客リストが構築できています。東北や熊本で震災が起こった時には、このリストをもとに野菜不足解消のための支援物資として青汁をお送りすることもできました。顧客から感謝のお手紙をいただくことも多く、この仕組みが温かい信頼関係の土台になっています。
ーー新たな商品開発のアイデアはどのように収集しているのですか。
山本整:
現場の一次情報を何より重んじています。「社長の移動距離と業績は比例する」といわれますが、海外へ行った際も、観光地より現地のスーパーマーケットに足を運び、陳列やデザインを直接目で見てヒントを収集しています。また、商品開発のアイデアは、常に頭の隅に置いて考え続けていないと出てきません。枕もとや車のサンバイザーの裏などにメモを置いておき、何かひらめいたらすぐ書き留められるようにしています。
次世代へのバトン 失敗を楽しむ社風と「グミサプリ」への挑戦
ーー創業50周年を迎えるにあたり、新たな事業展開についてお聞かせください。
山本整:
2027年1月に控える創業50周年、そして次の時代を見据えた組織の若返りを図るため、2026年は一気に20名の若手社員を採用しました。今後の新しい分野への挑戦には、20代を中心とした若い力が欠かせないからです。そんな次世代を担う強力な武器として新たに「グミサプリ」の市場に参入しました。私たちにとっては、全くの未経験からのスタートでした。機械の導入から試行錯誤を繰り返し、商品化までに1年半を費やしましたが、開発に携わった社員たちは皆、苦労しながらも非常に楽しそうに取り組んでくれました。
ーー最後に、次世代を担う若手社員への期待と今後の展望をお聞かせください。
山本整:
弊社には、お客様にご迷惑をおかけしない限り「いっぱい失敗できるからこそ楽しい」と前向きに考える風潮があります。失敗があってこその成功ですし、挑戦しなければ新しいものは生まれません。若手社員にも、そうした前例のない挑戦を楽しんでほしいですね。私はあくまで中継ぎだと思っています。長く消費者から応援してもらえる会社であり続けるために、次の世代が経営しやすい仕組みをつくることが私の役割です。そして、これからも社員とともに前例のない挑戦を楽しみ、新たな価値を創造し続けていきたいと考えています。
編集後記
「いっぱい失敗できるから楽しい」と笑って語る山本社長の表情からは、数々の困難を乗り越えてきた経営者としての器の大きさと、未知の領域へ挑む社員たちへの深い愛情が伝わってきた。自らの足で現場を歩き、そこで得た一次情報で確信を得る姿勢はトップリーダーの鑑である。利益の追求を超え、消費者を思いやる温かい心が実を結んだ90万件の絆。そして、社内が一丸となってワクワクしながら挑む「グミサプリ」への参入。失敗を恐れず前例のない挑戦を楽しむこの魅力的な企業風土がある限り、同社は次世代においても私たちの健やかな生活に寄り添い続けてくれるに違いない。

山本整/1962年、愛知県生まれ。大阪の漢方製薬メーカーで12年の修業期間を経て1992年に山本漢方製薬株式会社へ入社。2007年に代表取締役社長に就任。顧客や社会に新たな価値を提供して事業の成長と組織づくりに取り組んでいる。