
学生時代から「自分で商売をしたい」という目標を掲げ、大手百貨店や外資系コーヒーチェーンで実績を積んできた中島晋哉氏。独立後は150社を超える企業への経営支援(コーチング・コンサルティング)に携わり、数々の現場課題を解決してきた。現在は株式会社KUDEN WORLDの代表取締役社長として、その豊富な経営ノウハウと最新AIを融合させた「組織脳」の構築に取り組む。中島氏の独自のキャリアや、事業の根本にある「全ては人から。人の可能性を最大化する」という信念に迫った。
異国での衝撃とカリスマとの出会いから学んだ商売の神髄
ーーまずは、最初のキャリアについてお聞かせいただけますか。
中島晋哉:
私は学生時代から、自分で商売をしたいと考えていました。そこで就職活動のとき、どんな企業に入れば良いかと模索していたところ、商売を学ぶには商社か百貨店が良いと思ったんですね。中でも、もともとファッションが好きだったことから、商社より百貨店の方が自分に向いていると考え、当時入社が最も難しいといわれていた大手百貨店の高島屋に就職しました。
入社してからは、希望していたヨーロッパのブランドを扱う部署に配属され、27歳の頃には売上高40億円の売場でマネージャーとして部下120名の組織を任され、やりがいのある日々を過ごしていました。その後、ニューヨーク高島屋へバイヤーとして赴任したのですが、ここでの経験が人生の大きな転機となったんです。
ーー赴任されたニューヨークでは、どのようなご経験をされましたか。
中島晋哉:
当時のニューヨーク高島屋には、世界36カ国以上もの国々から集まった多種多様なスタッフが在籍していました。その頃の私は頻繁に、店舗の仲間たちと食事に出かけていたのですが、その場で彼らのお国自慢が始まるんですよ。自国の歴史や文化、自身の使命なんかを語るんです。それである日、「晋哉、お前の国はどうなんだ?」と聞かれたんです。もう1人いた日本人と顔を見合わせて「???」という感じでしたね。さらには、「日本という国はいつできたんだ」「誰がつくったんだ」と聞かれ、それまで学んだことがなかったため私はまったく答えられなかったんです。とても恥ずかしい思いをしました。
そこから、「これではいけない」と思い、日本のことを学び始めました。ただ、私がニューヨークに滞在していた1999年当時のネットワークはまだダイヤルアップ接続の時代で、ネットに情報も落ちていないし、聞く相手もいませんでした。なので、とにかく本を読みまくりました。ありがたいことに、ニューヨークの本屋には、日本では売っていないような日本の歴史書が沢山あったので、それらを貪るように読み込みましたね。そうして知識を深めていきましたが、知れば知るほど日本が好きになっていきました。当時の私は西洋かぶれ、ヨーロッパの文化やファッションが大好きで、「アメリカは強くて素晴らしい世界の中心の国。日本なんてダメな国だ」と思っていた青年でした。しかし、日本を学ぶことで、その考えが一転したんです。
日本人は戦後、GHQの占領政策のもと、日本人の誇りを失わせるような教育的影響を強く受けました。その結果我々は、学校や家庭においても、日本の正しい近代史や国家の成り立ちを学べなくなりました。そしてその影響は残念なことに、現代の教育にも及んでいます。アーノルド・J・トインビーという歴史学者がこんな事を言っています。「自国の歴史を忘れた国家(民族)は100年で滅びる」と。戦争が終わって、81年が経ちました。我々日本人は、先ずは自国を学ぶところから始めるべきだと思っており、この思想は今の弊社のビジネスにも繋がっています。
ーー帰国後のキャリアや、その後の転機についておうかがいできますか。
中島晋哉:
百貨店業界で有名だったカリスマバイヤー、藤巻幸夫氏との出会いが大きな転機でした。彼に惚れ込み、13年働いた高島屋を退職して、横浜にあるバッグメーカーへ企業再生の名目で転職したのですが、結果的にそのプロジェクトは数カ月で瓦解し、退職するという挫折を味わいました。しかし、大企業とは異なる中小企業の経営の難しさを学べた貴重な経験だったと思っています。
その後、ご縁があってスターバックス コーヒー ジャパン株式会社に、ブランド再生の経営メンバーとして呼んでいただきました。当時の同社は厳しい経営状況でしたが、チーム一丸となって、コスト削減や商品やマーケティングの改善、従業員のエンゲージメント向上に取り組み、業績のV字回復に貢献できました。このスターバックスでの経営経験は私の大きな財産になっています。
150社を支援した「経営の理解度」とAIが紡ぐナレッジ

ーーそこから、独立するに至った経緯についてお聞かせください。
中島晋哉:
もともと、大学卒業時に高島屋を10年で卒業して、独立するという目標を持っていました。しかし、独立のタイミングを外し続け、気がつけば18年が経とうとしていて、年齢も39歳を迎えていました。ですから、30代で絶対に独立すると決めて次の仕事が何も決まっていないのに、スターバックスの退職を決意したのです。しっかりとした事業計画を立ててからの退職だと、自分は一生独立できないと思ったからです。当時すでに子どももいたのですが、収入がゼロになりました。今考えればめちゃくちゃな話ですが、妻は何も言わず「好きなことやれば」という感じでした。私より肝が座っていたのだと思います。
退職を決意したとき、当時ローソンの社長をされていた新浪剛史さんに会いに行きました。新浪さんからは、それまでに何度も「うちに来い」と言っていただいていたので、スターバックスを辞める際にもご挨拶に行ったんです。すると「中島さん、やっとローソンに来てくれる決意をしてくれたんだね」と言われたので、「違います。独立します。でも仕事は何も決まってません」と伝えました。すると「うちのコンサルをやってくれ」と言ってくださり、第1号クライアントになっていただきました。
ただ、コンサルティングの経験はありませんでしたから、当時はとにかくプロジェクトリーダーとしてがむしゃらに働きましたね。デザート改革で女性客を取り込むことを目標に「Uchi Café SWEETS」を立ち上げたり、当時コンビニにはなかった最高のコーヒーマシーンを導入したりと、企画・開発・実装までリードし、結果的には大成功を収めました。インセンティブもたっぷりいただき、これが、コンビニデザートの走りとなり、全てのコンビニに広がっていきました。この経験が私の自信になり、株式会社EPLGA(エプルガ)を立ち上げ、組織開発や人材育成を中心とした、コーチング・コンサルティング事業を行うようになったんです。
ーー現在のKUDEN WORLDを設立されたのはどういった背景があったのですか。
中島晋哉:
さまざまなビジネスを行っていく中で、ジレンマが生まれました。それは、「全ての人の成長」と謳っているにもかかわらず、労働集約型の事業であるがゆえに、多くの企業や、沢山の人をサポートすることが難しいことに気付いたのです。簡単にいうと、事業スケールが難しいということです。
そこで、デジタル技術を駆使して、人や企業をサポートしたいと思うようになりました。そして、2022年にLLM(大規模言語モデル)が世の中にでてきた時に、このAIを使って我々のやりたいことをやろうと、株式会社KUDEN WORLDを設立し、AIを活用したビジネスソリューションをつくることを決めました。人の可能性を最大化し、組織の進化と成長を後押ししようと考えたわけです。KUDEN WORLDは、EPLGAの子会社として誕生しました。
ーー現在の貴社ならではの強みはどこにあるとお考えですか。
中島晋哉:
我々の強みは、コーチング・コンサルティング会社が最新のデジタル技術を活用して、企業をサポートすることにあります。技術リードではなく、人リードのハイブリッド指向なのです。過去150社以上をサポートしてきた経験をAIに学ばせ、人と組織の進化を支援するハイブリッド型サポートが強みだと思います。
ーーその強みを生かし、具体的にどのように企業の組織づくりを支援していくのですか。
中島晋哉:
まず一つは、人の代わりにAIがコーチングするというものです。単なるAIコーチではなく、AIに企業や個人の情報を渡しておき、個人やチームの目標を達成するよう支援するものです。同時に、部下のマネジメントをAIが引き受け、上司の業務効率を高めることも可能にしています。
また、以前から多くの企業様に依頼されている、ハイパフォーマーの暗黙知を形式知化し、ミドルやローパフォマーに技術移転するAIを開発しています。優秀な人材ほど、属人的かつ感覚的に業務を遂行しています。しかし、そのノウハウを効果的に言語化できる人は多くありません。営業の現場でも、製造の現場でも、熟練者の形式知化はとても大きな価値を生みます。
加えて、このような形式知化されたデータ(ナレッジとコンテキスト)を溜め込み、組織脳をつくることを目指しています。これは、あらゆる企業の組織づくりに、とても意味のあるものだと考えています。
自律型組織への挑戦と、未来の教育に向けたビジョン
ーー今後目指す組織の姿と、採用したい人物像についてお聞かせください。
中島晋哉:
我々が目指しているのは、日本流の「自律型組織経営」です。社員1人ひとりが自らのポジションと役割を深く理解し、自律的に目標達成に向けて動く、スポーツのような組織が理想だと考えています。そんな中で採用を加速化したいのは、AIを活用してプロダクトを開発できるエンジニアと顧客の課題解決に率先して動き続けるフロント人材で、この2つのポジションが大きな柱だと考えています。どちらのポジションも目標が明確であること、そしてチームが一体となりコミュニケーションがとれていることが重要だと思っています。
ーー最後に、将来のビジョンを教えていただけますか。
中島晋哉:
組織と人材の可能性を最大化し、企業の進化を支援することです。その先には、子どもたちの教育にも貢献したいと考えています。この国が豊かになるには、まずは経済。そして経済の中心にいるのは企業で、企業は人です。ですから、人を支援することが結果的に経済の発展に貢献すると信じています。
次に教育です。冒頭でお伝えしたニューヨークでの経験から、「我々が学んでいないことは多い、学び方も違う、目指すものも違う」と考えるようになりました。私は現在の日本の学校教育に少なからず疑問を持っています。この課題に自らの手で取り組み、支援できるようになることを将来のビジョンとしています。
編集後記
「人の可能性は無限大」。インタビュー中、幾度となく発せられたこの言葉には、中島社長の深く熱い信念が宿っていた。単に最新テクノロジーとしてのAIを語るのではなく、そのまなざしは常に「現場で働く人」に向けられている。挫折や成功体験のすべてを糧にし、テクノロジーの力で人間の本来持つ力を解放しようとする情熱に、取材陣も強く心を揺さぶられた。自律型組織というフィールドで挑戦を続ける同社が、やがて日本の未来を担う教育へと繋がっていく道のりをこれからも追い続けたい。

中島晋哉/1968年、大阪府生まれ。大学卒業後、髙島屋へ入社しバイヤーとして活躍。その後、バッグメーカーの企業再生を経て、2003年にスターバックス コーヒー ジャパンへ入社。経営へ参画し、商品・マーケティング部門を率い事業再生を果たす。2007年に株式会社EPLGAを創業、150社超の経営者・組織をコーチング・コンサルで支援。2022年、KUDEN WORLDを創業し、人材育成・組織開発支援のためのAIプロダクトを開発・提供している。