
1983年の創業以来、八王子を中心に独自のコンセプトを持つカフェや蕎麦店を展開する株式会社クレア。代表取締役会長の町田典子氏は、終戦直後の過酷な体験から「社会の役に立ちたい」という強い志を抱き、飲食業界へ飛び込んだ。渋沢栄一の『論語と算盤』を経営の指針とし、外資系カフェの上陸など幾多の環境変化を先見の明で乗り越えてきた。現在も生涯現役を貫き、次世代リーダーの育成に注力する町田氏に、同社の歩みと「人を残す」という深い経営哲学、そして未来への展望をうかがった。
終戦の原体験と『論語と算盤』が教える経営の真髄
ーーまずは、ご自身の経歴と飲食の領域で創業された原点について教えてください。
町田典子:
私は第二次世界大戦の終戦時は中国におり、終戦直後という動乱の中を過ごしていました。その後、無事に日本へ帰国できたのですが、その際「元気な状態で帰国できたからには、いただいた命を何か社会の役に立つことに使いたい」という強い思いを抱いたのです。そこでまずは、松坂屋やアパレルメーカーに就職して商売の基礎などを学び、そして1983年に2つの企業での経験を生かし、クレアの創業に至りました。
中でも飲食という業態を選んだのは、人間が生きていく上で「食」が不可欠であると考えたためです。たとえ困難な時代でも、最後まで社会に求められ続けるのはこの仕事だという確信が大きくありました。
ーー創業以来、経営において最も大切にされてきた哲学は何でしょうか。
町田典子:
渋沢栄一さんの『論語と算盤』の教えを大切にしています。商売には利益を追求する「算盤」が必要ですが、同時にお客様や地域社会への思いやりである「論語」が不可欠だと考えています。そしてもう一つ、経営者としての私の指針となっているのが「お金を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのが上」という言葉です。どんなに技術が発達しても、最後は人間の「心」が商売を決めます。人の心の一隅を照らす存在でありたいと願い、人づくりに力を注いできました。
外資系上陸の危機を救った「蕎麦」と唯一無二の店舗展開

ーー実際にその教えが活かされた具体的なエピソードはありますか。
町田典子:
経営は「上り坂・下り坂・まさかの坂」の繰り返しですが、そうした危機に直面したときこそ、利益だけでなくお客様や地域を思う「論語と算盤」の精神が活きてきます。たとえば2000年代初頭、海外の大手カフェチェーンが次々と日本に上陸してきました。その際、上場していない私たちが同じ土俵で戦い続けるのは難しいと判断し、単に生き残るための利益(算盤)だけを追うのではなく、これからの社会で何が求められるか(論語)を考えました。
そこで新たな業態として目を付けたのが「蕎麦」です。これからの日本は少子高齢化が進み、お年寄りが増える。そうなれば、健康に優しく毎日でも食べられる蕎麦の需要が必ず伸びると考えました。もしあの時、先を見据えて蕎麦事業に参入していなければ、経営は立ち行かなくなっていたかもしれません。
その後も時代の変化に合わせて、私たちは中華以外の大抵の業態に挑戦してきました。そうして数多くの試行錯誤の中から時代の変化を見極め、柔軟に取捨選択を繰り返してきた結果、現在クレアを支える三本柱として定着したのが「コーヒー・お蕎麦・和食」です。特にお蕎麦部門と、大手書店様とコラボレーションしている「MARUZEN café」が大きく業績を伸ばしてくれています。どんな時も諦めずに柔軟な転換を図り、恵まれた立地で地域に根差したおしゃれな店づくりにこだわってきたことが、今日につながっていると思います。

M&C Café 丸の内店
ーー貴社の店舗がそれぞれ異なるコンセプトを持たれている理由は何でしょうか。
町田典子:
現在何十店舗と展開していますが、クレアには同じつくりの店は一軒もありません。しっとりした歴史ある街には落ち着いた喫茶店を、都心にはその街の空気に合ったお店をと、すべて異なるコンセプトでつくっています。ユニフォームからコーヒーカップ、メニューに至るまで店ごとに変えるのは、専門店が何十軒も集まっているようなもので、経営効率を考えれば非常に手間がかかります。すべて統一した方が利益は出ますが、私はそれよりも「この地域にクレアがあってよかった」と喜んでいただけることを何より大切にしたいのです。
中でも思い入れが深いのが、八王子にある「yu’s Bar」です。私は松坂屋で働いていた頃から、共通の知人を介して石原慎太郎さんと親しくさせていただいていました。そのご縁で俳優の石原裕次郎さんとも仲良くさせていただいており、私自身ファンでもあったのです。その後、石原さんが亡くなられてから個人的に集めていた彼のポスターなどを貼ったバーをつくったところ、今では全国からファンが訪れる店になりました。
ご高齢の方がご家族に車椅子を押されて来店されたり、毎月17日の月命日にはファンが集って思い出を語り合う「紫陽花の会」を開いたりと、皆様が青春時代に帰れる大切な居場所になっています。お店には裕次郎さんが好きだったハヤシライスや葉山のコロッケなどのメニューを用意しており、徹底して物語をつくっています。どんなお店にも、こうしたストーリー性を持たせることが、長く地域の方々に愛される唯一無二の店をつくる道だと信じています。
「念ずれば花ひらく」次世代へ託す「一隅を照らす」理念
ーー今後、会社を担っていく20代や30代の方々にはどのような姿勢を求めていますか。
町田典子:
私が評価するのは、学歴よりも「人が嫌がる仕事に真剣に向き合える愚直さ」です。地道な仕事であっても、一生懸命に取り組める人は必ず大きく成長します。坂村真民さんの詩に「念ずれば花ひらく」とありますが、「念」とは「今の心」と書きますよね。目の前のことに全力を注ぎ、明確な目標を掲げて努力を続ければ、必ず道は開けるでしょう。そうした確固たる意志を持った方に、ぜひ仲間になってほしいですね。
ーー最後に、今後の展望と次世代への事業承継について教えてください。
町田典子:
現在は長女の夫が社長を務めていますが、クレアがさらに飛躍するためには、身内という枠組みにとらわれる必要はありません。「経営とは人間力である」という信念のもと、優秀な人材がいれば、存分に手腕を振るって会社を引っ張っていってほしいという構想を持っています。AIが進化する時代だからこそ、お客様の心に寄り添う人材の育成が最重要課題です。「この街にクレアがあってよかった」と愛され、「一隅を照らす」哲学を受け継ぐ百年企業となることを強く願っています。
編集後記
終戦の動乱という極限状態を生き抜いた原体験から発せられる町田会長の言葉には、何物にも代えがたい重みと深い愛情があった。外資系チェーンの上陸を見据えた蕎麦業態への転換や、石原裕次郎氏との縁を形にした店舗展開など、その柔軟な発想力と圧倒的な行動力には驚かされるばかりだ。「経営とは人間力である」という信念のもと、血縁にとらわれず真の実力者に次世代を託そうとする懐の深さに、老舗企業の強靭な生命力を見た。同社が紡ぐ新たなストーリーに、今後も期待したい。

町田典子/1936年3月24日生まれ。1983年、銀座「松坂屋」、株式会社サンマールの経験を生かして、株式会社クレアを設立、同社代表取締役社長に就任。1994年、社団法人ニュービジネス協議会アントレプレナー大賞「レディースアントレプレナー部門大賞受賞」。2008年、八王子石川町に本社ビル・製麺所を設立。2010年、「石原裕次郎ギャラリ-&ユーズバー」OPEN。2013年、株式会社クレアの代表取締役会長に就任。2016年、八王子商工会議所副会頭。2021年、八王子商工会議所女性経営者の会シルクレイズ名誉会長。現在八王子商工会議所顧問。「食は生活の文化」をモットーに安全・安心・高品質を追求。カフェ・イタリアン・和食・立ち蕎麦・グリル・道の駅店など多彩な飲食店経営。洗練された感性と拘りで高い評価を得ている。