株式会社ナ・デックス ~“接合”技術が強みの機械商社。溶接機器の製造部門も持つ~

Vol.5 プライベート

株式会社ナ・デックス 元代表取締役社長 桑原 敏郎 

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プライベート(故会長とのエピソード)

【桑原】

私には色々な恩人がおりますけど、やはり(一番の恩人は)亡くなった会長ですね。実は、営業本部長になったときに、私が出張すると秘書から携帯に電話がかかってくるんですよ。「いつ帰ってくる?」というので、「いついつに帰ります」と答えると「その時に来いよ」ということになりますよね。

なぜ当社の会長が私をそうやって呼ぶかというと、新しいことを色々とやってきて、かなり(会社)変えてきたことも、知っていますが、(会長は)裸の王様なんですよ。オーナー会長ですから、誰も悪いこと言わないわけです。だから、私はその場で言いますからね。社員は「絶対に面白くない」と言っていますよとかね。「裸の王様になったらいけない」と部長に言っていますが、「会長が1番の裸の王様だ、と。皆が言っているのを知っていますか?」と聞くと、「知っている」と言っていましたからね。

【桑原】

秘書が2人とも言っていましたね。私と話す時(会長は)本当に嬉しそうな顔をする。「あ、そうか」と言ったら、「全然、顔が違いますよ」というんですよね。それはやはり当社の会長というのは、ある面では寂しかったのだろうなというのはありますね。実は今でも悔いが残っているのは、150数億で会社を受け継いだ時に、会長に「1年目に200億を超します」と言ったんですよ。「これは無理だろう」「いやできます。200億を超えることはできます」「本当にか?」と会長に言われたそのときは、(会社が)50周年だったんですね。

新年度は5月から始まって、50周年の記念行事でお金を使うわけですよ。それで売上予想をやったら5月、6月で非常に悪いのです。後にも先にも(会長が)私に文句言ったのは、そのとき限りですね。「桑原、お前な。こんなことでな、50周年の記念行事ができるか」そう言われた時に、「もうちょっと営業を信用してやってください。ちゃんとやっていますから。7月から予想数字がぐっとあがってきますから見ていてください」。

【桑原】

そう言った私ですが、自信がなかったんですよ。もういい、こうなれば(なんとかなる)というような気持ちで、色々なことをやったのです。そしたらどーっと(売上が)上がってきたんですよ。それで230億までいったのかな。230億までどーんと上がったので、本当に喜んでしまって、それで次の年が1億増えただけの234億だったんですよ。233億を売り上げた時に、3年で300億やると言ったんですよ。「桑原それは無理だろう」と(会長に言われましたが)「300億やりますから、3年後に(なので)名前を命名してください」。

そこで会長が考えて、「ビクトリー300」になったんですよ。それで3年目の1月ですけど、ほぼ300億いけるなと思った時に、会長がぐっと痩せだしたのです。ものすごく痩せてしまったので、「どうしたんですか」って言ったら「いや、喉がおかしくてな、ご飯が食えんのだ」みるみる痩せてくるんですよ。ここがボコボコあいてくる。それで、1月20日が最後でしたね。

それでもまだ「どうのこうの」というのでいけないと。「それだけ休まないということは、私を信用していないのですか」という話までして、最後までここへ呼吸(器)をはめてやっていましたからね。

【桑原】

それで、最後に当社の重要な仕入れ先である日本開閉器工業、そこの社長が来た時に、会長がふらふら痩せて出てきた。それで日本開閉器工業の社長が、「会長、その痩せ方はなんですか」みたいな話になったのです。それで「今ちょっと体調崩されているんだ」という話をして、2分くらいで喋ってばっとみると辛そうだったからでていって、秘書に「ちょと紙持ってこい」と言って、私が自分で書いて、「ちょっと急用が入っていますよ」って呼出せと指示して、秘書が来てパッと(会長を)呼び出して、つなぎの部屋のドアがあるのですけれど、あの時にも、最後に私怒った。ドアを開けてこうやってやったらピッと(メモ)捨てた。あれが最後で、300億を見せてあげられなかった。あれは悔いが残ります。

社長プロフィール

President's profile
氏名 桑原 敏郎
役職 元代表取締役社長
生年月日 1947/7/7

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