【ナレーター】
熱を帯びているフィンテック市場。
特にキャッシュレス決済におけるスマートペイメント事業ではシェアの獲得が熾烈化しており、生き残るためには、消費者のニーズをいかに的確に捉えたサービスを提供できるかが重要となる。
そんな中、2020年4月時点での、日本国内のスタートアップによる最大規模の金額となる、累計300億円超の資金調達を実現し、躍進を続ける企業がある。株式会社Paidyだ。
「お買いものに「めんどくさい」はいらない」をミッションに掲げる同社は、クレジットカード不要の後払いサービスを提供。
毎日5000人ペースで利用者を増やし、400万アカウントを突破している(2020年10月下旬時点)。
AmazonやShopifyなど世界的なプラットフォームでも導入され、事業領域を着実に拡大させている。
日本の消費にイノベーションを起こすべく挑戦を続ける経営者の軌跡に迫る。
【ナレーター】
愛知県で生まれ育った杉江は、父の職業の影響で幼少期から世界で通用する仕事をしたいと志す。そのきっかけとなった原体験について、次のように振り返る。
【杉江】
父が学者だったので、小さかった自分は学者になることしか想像できないじゃないですか。でもなんとなく父のように日本で学者になるのは嫌だったんです。
やるならどんな形でもいいからまず海外に行きたい、世界の人たちと仕事がしたいというような思いを一貫して持っていました。
実は当時向かいに住んでた近所の方が偶然、英文学科の卒業の方で、その人のところに行っては何か英語をしゃべらせてもらうみたいなことを小学校時代、ずっとやっていたんです。
その原体験があって今ここに来ているっていうのは事実だと思いますね。
【ナレーター】
中学校へ進学後、これまでの人生観を大きく変える転機が訪れる。
【杉江】
小学校時代は、疑問に感じていても言わなくていいことは言わなくていいやと思っていました。
ただ中学校に進み、当時の愛知県は管理教育が厳しいことで知られていたんですね。そこから反骨精神がものすごく出てきて、どちらかというと先生に対してすごく物言いするようになってしまったんですよね。
社会に出ている大人は自分たちの人生を、本当に責任を持ってコントロールしてくれるわけではなくて、優しいだろうし思いやりも持ってくれているんだろうけど、結局自分の人生は自分でコントロールしなきゃダメだというのは、すごくその時思っていたんです。
【ナレーター】
その後、将来の選択肢を広げるために東京大学へ進学。大学生活で得た学びが、自分の将来像を見つめ直すきっかけになったと杉江は語る。
【杉江】
いい出会いができて、その中で僕ができることって何だろう、みたいなことを考える機会があったんですけれど、僕の良さというか個性で社会を変えたいみたいな思いとか、後、大人の言うことを聞いちゃダメだ、みたいなことを自分の個性だと思っていました。
何でもかんでも上の人の言うことを鵜呑みにするんじゃなくて、上の人の言っていることは、親切で言ってくださるんだけれども、それを咀嚼して自分がやりたいようにやるというのが、恐らく自分の個性なんだろうなというのはとても感じていて。
サークルでは僕は主将だったんですが、やっぱりコミュニケーション能力だったりとか、自分がやりたいことをどういうふうにその人に伝えてこの指とまれと言ったらいいのか、とても悩んだんですよね。
ですので、まず大人として人を巻き込むためには、次どういう道に踏み出したらできるようになるのかなって思っていたら意外と銀行員って実は得で。毎日社長に会えるんですよね。
今何を考えているのか、悩んでいるのか。自分のことをどう見ているのか、みたいな会話をお金を払わずにできるわけですよ。最高の環境だったと思うんですけども、銀行員の道に踏み出すための準備期間が大学だったかなという気はします。
【ナレーター】
大学卒業後、現みずほ銀行である富士銀行へ入行した杉江は、創業支店に配属。当時のエピソードに迫った。
【杉江】
創業の支店だからこそモデルケースにならなきゃいけないという支店だったんですね。
ですので、支店長から僕のような新人まで、ものすごくフラットにお話ができて、とにかく仕事を楽しくできなければいけないという強烈な文化がなぜかあったんです。
支店長が本当に身近な人ですし、その当時の支店長は今でもお付き合いがありますし、まったく怖い人じゃなくて兄貴分だったんですよ。
不思議なことに、まったくその当時の銀行の体験の中で自分を縛られたという記憶は全然なくて感謝しています。
【ナレーター】
その後、幼少期から思い描いていた夢を実現すべく、銀行の海外留学試験を受検し、見事合格。留学中の印象深いエピソードと得た学びとは。
【杉江】
「コソボの爆撃」という出来事がヨーロッパであったんですけれども、例えばある同級生との会話の中で、これって実際倫理上どうなんだみたいな議論をするんですよ。
もちろん、ビジネスのケーススタディーも面白かったですが、でも言ってしまうと銀行員の実地に比べると実地感がないんです。
でもそういうコソボの爆撃について、俺から見たらこう見えるんだけど、でもアメリカ人から見たらこう見える、みたいなぶつかり合いを結構毎日させていただいて、ものすごく楽しかったです。
やっぱり世界のそういう動向は「日本の鏡」だと。
いつか何かが日本で起きたときに、自分はどう考えるのかというのをいつも考え続けていないと、いざ自分が日本で何かが起きたときの対応、あるいは自分が外国に行って何か起きたときの自分の立場の表明みたいなことができないということをとても感じた2年間でしたね。
【ナレーター】
順調にキャリアを積んでいた杉江だったが、海外留学中に富士銀行が経営統合されるという報道を受け、自分の将来像を改めて考えることとなる。熟考の末に行き着いたのが経営者の道だった。
【杉江】
留学している間にみずほ銀行になってしまったわけですね。なることは決まったわけです。
特殊要因ではあるんですが、私ども創業の支店に行ってその銀行に対する強烈な思い入れみたいなのができてしまった。
今になって思えば、別にそんなことをかなぐり捨てなければいけなかったんだと思うのですが。帰る場所がなくなってしまったというのはとても感じたんですね。
自分は何がしたくて銀行に入って、将来何になるんだろうって考えたんですけれど、自分自身で考えて自分自身の運命をコントロールするっていうことがしたくて。
では、自分の運命をもっとコントロールするにはどうしたらいいんだろうと。やっぱり経営者にならなければいけないんだろうなというのは、その頃になんとなく思っていました。
【ナレーター】
その後、新生銀行グループの1社である新生フィナンシャルへ転職。転職後に任された、あるプロジェクトとは。
【杉江】
Paidyへ来る前に新生フィナンシャル、ブランドでいうと『レイク』というブランドで貸金業をやっている会社にいたのですが、もともとはそれがGE、ゼネラル・エレクトリックの子会社だったんですね。
GE Japanという会社だったんですが、それが分離されて新生銀行グループに売却されました。
その背景としては当時法律がいろいろ変わって、過払いみたいな問題もたくさん出てきていたんですね。
あるいは上限金利というものが設定されるなど、業界としてサイズが3分の1に縮んでいくプロセスの中で、GEグループが日本でこのビジネスを続けることはできないと決断したので、それを分離売却するプロジェクトがスタートしました。
【ナレーター】
決死の覚悟で臨んだ、知られざる分離売却プロジェクトの裏側に迫った。
【杉江】
今自分たちが筋肉質になって売られた先で花開くにはどうしたらいいのか、みたいな議論を始めようとしていたんです。
私PMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)でしたので、いろいろな人のお話を聞いて、その気持ちは汲んでいたのですが、その人たちがスピークアップしていたのかと言われると、実は自分の中にそれを眠らせていたわけですね。
かつ、言っていることは分かるんだけれども、かつアイデアもあるんだけれどもそれを数字に落とせない。ですので、数字に落としたときに、じゃあその数字をどういうドライバーでどう動かすのか、みたいなものも見えてない。
そんなときに「これは僕がいたら役に立つ」と思ったのが大きな苦労のきっかけなんですが。
これから先、まだまだ業界が縮んでいく。そんな中でダイエットをしなければいけない。従業員の皆さんにも、大変な苦労をかけなければいけないし、使っているお金がそれこそ3分の1とかというレベルでダイエットすることは大変なことなんです。
言ってしまえば、100キロの人が30キロになるというような話です。無理なんですけれど、でもやらなきゃみんな死んでしまう。その覚悟をまず持つための章固めの数字づくりをしました。
別にその時の社長が悪いわけじゃない、あるいはリーダーたちが悪いわけでもなくて、単純にいい時代なことをしている人たちはなかなかそこに踏み切れないですね。
その中で当時の社長といろいろなケンカをさせていただいて。当然ダイエットの最大の苦労は人を切るということなんですけれども、だったらお前がそれをやれということを社長がおっしゃって。
「じゃあやってみせますよ」と言って、私が全国行脚をして人員の削減に踏み込んだというのがとても苦労でしたね。私の苦労というよりも本当に人の苦労が僕に伝わるという意味での苦労でした。
私の目から見たら、このままだったらこの会社は死んでいく。だから私の下で変えてみせると思っていました。
反発も呼びましたけど、誰がどう思ってるかよりも結果のほうが大事だと思ってました。僕はものすごくリザルトドリブンな人だと思っているんです。なので、嫌われることも覚悟でやらせていただいたつもりです。