【ナレーター】
一億総活躍社会の実現に向け、官民を挙げた取り組みが続く「働き方改革」。折からの新型コロナウイルス感染症対策の影響により就労環境の変化はこれまで以上に急激に進み、個々の成果の向上と可視化を求める動きがより加速している。
そんな中、成果を長時間労働によるものとせず、生産性と創造性の向上により、企業の成長と働き方改革を推し進めようとする企業がある。株式会社チームスピリットだ。
「すべての人を、創造する人に。」をミッションに掲げる同社は、勤怠管理・工数管理・経費精算・電子稟議・働き方の見える化を一つにしたクラウドサービス『TeamSpirit』を「働き方改革プラットフォーム」として展開。
従業員と管理業務の負荷をともに軽減しつつリアルタイムで働き方のデータを収集し、質の高いマネジメントやアウトプットを生み出すことに繋げることで企業を真の成果主義へと導いている。
そんなチームスピリット自身も、ITシステムの受託開発から自社独自サービスの開発・提供へと大幅な事業転換を行うことで、生産性を飛躍的に高めた企業のひとつだ
人を活性化させることに着目したITサービスを生み出した創業者の軌跡と、『TeamSpirit』で実現したい未来とは。
【ナレーター】
公務員の父と美容院を経営していた母の元で生まれ育った荻島。その影響で高校時代からデザインやイラスト作成に関心を持ち、その道を志すべく専門学校へと進学。自身と周囲のモチベーションや能力の差を痛感したという。
【荻島】
デザインに関心を持って進学しましたが、デザイナーになるなど明確な目的があって学校に行ったわけではありませんでした。
そのため、そういう人たちが集まってくるような職場に行くと、デザインというのはそれなりに才能が必要ですし、上には上がいる、このままではやっていけないだろうと思いました。
【ナレーター】
生活をしていくためにどんな仕事に就くべきかを真剣に考えた結果、荻島が選んだのはプログラマーの道だった。
【荻島】
私たちの頃は自由に生きるというようなムードがまだありました。
それまで生活について、それほど考えたことはなかったのですが、実はその時に結婚しようと思っていて、生活をしていかなくてはならなくなったのです。そこから、生活のために初めて仕事に取り組みはじめました。
未経験でも雇ってもらえる会社に、最初はプログラマーとして入りました。そもそもプログラマーがほぼいない時代で、教育しながらやっていくしかなかったため、教えてもらいながら2~3年開発に携わっていました。
【ナレーター】
その後、会社の意向で営業職へと異動。専門学校で得た学びが思いがけない形で活きることとなる。
【荻島】
今まで学んできたデザインが初めて生きたわけです。当時は今では死語ですけど提案営業というのがあって、当然提案書を持っていくわけです。
営業になりたてのときは手書きの提案書をつくるのですが、なかなか普通の人は書けないのです。提案書がいわば手紙のようなものになってしまうんですね。
それをちゃんとイラストや構成図を入れたものを持っていくと、図解のほうが理解しやすいですから、お客様にも気に入ってもらえて営業成績はよかったですね。
【ナレーター】
提案営業は企業毎に提案資料を作成する必要があり、非効率だった。そこで荻島は、自社で開発を行い販売する営業形式への転換を推進し、売上に貢献。
この経験から、IT事業の可能性を感じた荻島は、36歳で起業を決意。その理由について、次のように語る。
【荻島】
ひとつは新しい時代が来ることが分かっていたから。もうひとつは漠然といずれ独立しようと考えていたからです。それが大前提にありました。
30歳までには独立したいと思っていましたができず、本当はやらなくてはいけないのに飛び込めない、飛び込んでいけていないという不満足な気持ちがずっとありました。大きな縄跳びに飛び込もうとするときの、行きたいけど行けないような感じですね。
【ナレーター】
その後、ビジネススクールで知り合ったメンバーと会社を立ち上げるも、方向性が定められず解散を余儀なくされ、荻島は起業にあたって責任感の重要性を再認識したという。
【荻島】
複数人で均等に経営することはなかなか難しいということが身に染みてわかったので、一人でやろうと独立しました。
先ほどお話ししたように元々はデザインの世界に入りましたので、やりたかったのはマーケティングだということに気が付いて、ではインターネットのマーケティングの世界に取り組もうということで始めたんですが、なかなか簡単なものではありませんでした。
仲間に相談に行ったら、それなら自分たちの仕事を手伝ってほしいと言われ、独立して自分の会社がありながら、もとの会社に入って製品をつくることになりました。
【ナレーター】
自身の会社を持ちながら前職に舞い戻った荻島は、金融機関向けの製品を開発・販売に従事。以前勤務していた時とは違った学びを得たという。
【荻島】
以前に比べると納得できたのは、まずプロダクトをつくる企画をし、それを製造して売り込むためのいわばマーケティングを行い、実際に現地に行って営業活動をして、その結果のフィードバックを受けてまた企画に反映させるという一連のサイクルを手掛けることができたということです。
大手企業に入ってしまうとその一部しかできませんが、私はその会社で初めてプロデューサーという肩書をもらい、全て任せてもらうことができました。会社からすれば、ただ丸投げしたということなんですけどね。