【ナレーター】
創業15年で16カ国25都市(2021年4月時点)に拠点を構えるグローバルベンチャー「株式会社モンスターラボ ホールディングス」。
「多様性を活かし、テクノロジーで世界を変える」をミッションに、世界各国のエンジニアと企業をつなぎ、UI/UXデザインやプロダクト開発などを手掛け、その実績は2200件以上。
世界のデジタルトランスフォーメーションの推進に寄与するとともに、近年では、パレスチナ・ガザ地区での雇用創出プロジェクトに参画するなど、事業を通じた社会貢献にも積極的に取り組んでいる。
テクノロジーで世界を変革させるべく立ち上がった創業者の軌跡と、事業を通じて実現したい世界とは。
【ナレーター】
アジアからヨーロッパ、アメリカまで、約1200人のエンジニア、クリエイターが世界で活躍する場を提供するモンスターラボ ホールディングス。
市場が大きい地域とエンジニアが多い地域をグローバル規模でマッチングさせる画期的なビジネスモデルだ。自社の社会的意義について、鮄川は次のように語る。
【鮄川】
日本は人口減少で人口構造がだいぶ変わってきていて、生産力をもった世代が少ないと、デジタル化に関してはむしろ需要がどんどん増しているので人材不足なんですよね。
そうすると必然的に国外のエンジニアやクリエイターに手伝ってもらわないといけない、助けてもらわないといけないと思っていて。
一方で国によっては優秀なエンジニアがいるけれどもなかなかまだ仕事の機会が少ないところもあります。
そういう新興国のニーズと日本やアメリカのようにエンジニア不足になっている国をマッチングして仕事を進めることができれば、広い意味で雇用をつくり出しテクノロジーで世界を変えるようなエコシステムがつくれると思っています。
われわれの存在意義というのは自分たちがつくり出すプロダクトによって世の中を進化させていく、よりよくしていくということと、そういう雇用の機会を創出していくということだと思っていて、そのインパクトをより大きくしていきたいとは思っています。
【ナレーター】
革新的な事業を推進している鮄川だが、学生時代は教師を志していたという。心境の変化が生じた理由とは。
【鮄川】
教師というのは選択肢としてずっとあったんですけれども、ほとんど高校まで島根で育って外に出たことない自分が本当に進路指導とか人生の道を示すような先生になっていいのかと思っていました。
教師というのは1回外に出て世界を知った後の、人生のキャリアの終盤にある仕事じゃないかと僕は思ったんです。
ですからすぐに教師になるのはやめて、就職活動をして他の世界を見てみようと思いました。
【ナレーター】
見たい世界として鮄川が選択したのがコンサルティングの世界だった。
【鮄川】
コンサルティング業界をそもそも知らなかったんですが、就職活動してこういう種類の会社があるんだと知りました。
これであればいろんな業界いろいろな会社を知ることができて、しかも出会ったのが外資系、アメリカで研修がある会社だったので、海外に1回も行ったことがなかったんですが外に出て行って世界を知ることもできるんじゃないかと。
結構ロジックというか理屈がモノを言うところがあって。数学が好きだったのでそういったところも意外と自分にフィットするのではないかと思って入社しました。
【ナレーター】
当時はITバブルの絶頂期であり、それにより急速に普及したITやテクノロジーが世界を変えると予期した鮄川は、技術を身につけるため入社1年でITベンチャーへの転職を決断。当時の心境についてこう振り返る。
【鮄川】
コンサルティングをするにもやっぱりテクノロジーというのが使えないといけないと思いました。テクノロジーを使える人になるためにはやっぱり自分が1回はいちエンジニアとして手を動かして技術の根本的なところを知っていないといけない。
テクノロジーを使って世の中を変えるような世界企業の変革を提案するにも、やっぱり自分が技術のコアのところを知らないといけないと思ったんです。それでエンジニアとして転職することを決めました。
【ナレーター】
ITベンチャーへ転職後、印象深かったというあるエピソードとは。
【鮄川】
最初に入ったプロジェクトが、シリコンバレーの会社の日本支社を日本の大手企業と一緒にジョイントベンチャーとしてつくるプロジェクトでした。
シリコンバレーのプロダクトを日本にもってきて会社にしていくという、そんな概要だったんですけれど、いきなりそのプロジェクトのアメリカとのパイプ役みたいなところに入らせられたんです。
プロジェクトの中での半分の時間はアメリカ人とやり取りするみたいなことになってこれは大変なことになったなと思いました。
前職のコンサルティング会社が大きかったので、先輩やマネージャーがいたりその上のパートナーがいたりといろんな階層の中で下っ端だったわけです。それが100人の会社に入ったら急にかなり重要な重大な役割を担わされたというのはありましたね。
【ナレーター】
様々な経験を通じてエンジニアとしての力を身に着けた鮄川は、2006年にモンスター・ラボを設立。設立当初は音楽配信の事業を展開していたという。その理由について次のように語る。
【鮄川】
当時はIPodが出てきたりiTunesがあったりして、音楽の聴き方とかもデジタルの過渡期みたいな状態でした。
それによってそれまで書店やCDショップに置いてあったものは、デジタル化によって場所代とか印刷代などの様々なコストが大きく減ったんです。
そのとき、ロングテールと言われるような1コンテンツあたりの売り上げというのはそんなに大きくはないけれども、一定層の購入者がいれば、いろいろな活動をしているマイノリティーの人たちが世の中に発信していけるチャンスでもあるのではないかと思いました。
僕の場合は社長になりたいとか、経営したいとか、起業したいとか、もともと思っていたわけではなくて。
この業界をこういうふうに変えたいとか、こういう新しいものがあったら世の中の多様な才能をもっている人たちの発信の場をつくれるんじゃないかと思ったんです。
そのプラットフォームをつくりたくて会社を設立しました。