【ナレーター】
食、ファッション、アートなどのコンテンツを軸とした「遊び場」を提供する、クリエイター集団「株式会社トランジットジェネラルオフィス」。
『bills』『Pacific DRIVE-IN』を始めとした飲食店を、約110店舗展開する他、空間プロデュースやイベント運営なども手掛け、近年ではNFTアート事業に参入し、その事業領域を拡大させている。
同社の創業者であり、代表取締役社長を務める中村貞裕氏は、2001年にカフェ『OFFICE』を立ち上げ、後のカフェブームを巻き起こした一人。今もなお第一線で新たなトレンドを追い求めている経営者だ。
文化を創造する“カルチュラル・エンジニアリング・カンパニー”を目指し、躍動するトランジットジェネラルオフィスの成長の原点に迫る。
【ナレーター】
2020年からのコロナ・ショックにより飲食業界は大打撃を受けたが、トランジットジェネラルオフィスも例外ではなかった。中村が取った行動と、その真意とは。
【中村】
コロナ禍だからこそ、絶対に出会えなかったメンバーと仲良くなったんですよ。それが僕にとってすごく財産になったし、仕事の話でいうと、当社の不動産事業が急成長しまして。それを実は2021年の 7月にある大手IT会社にバイアウトしたんですね。
その資金をもとに新規事業を5つぐらい立ち上げたんで、コロナ・ショックがなかったらあのままの勢いで飲食店を年間50店舗ほど出していたと思うんですよ。
コロナ・ショックによって会社の方針は大きく変わったと思っています。財務基盤は不動産事業を売却するなどしてスリムカットしたし、コロナ・ショック前にやっていたことはここからエンジンをかけてまた加速させますし。
50歳になってちょうど会社が20周年になって「第二創業」という感覚なので。僕はスーパーポジティブなので、この2年間の頭と身体の休みというのは僕の今後の10年にとっては、とても良かったなと思っています。
【ナレーター】
創業者である中村の原点は幼少期まで遡る。人から憧れられる存在になりたいと思っていた中村は、小学校の卒業文集にこう書いていたという。
【中村】
覚えていないんですが、卒業文集の将来の夢みたいな項目に「社長になる」と書いていたんですよね。当時は絶対、自分の力でやってやろうというのは考えていたと思うんですよ。
ただ高校受験のときは、なぜか知らないんですけれど歯医者や医師になりたいとか、学生時代は公認会計士になろうと思ってそういう専門学校に通い出して。結局すぐに辞めてしまうんですけれど。
いろいろ悩みながら、その時、その時に何となくモテそうだとか、儲かりそうだみたいなことを考えるんですけれどそこまで続かず、でも基本的には自分で何かやろうという思いがずっとあって。
ただ何をやりたいかというのは全然考えられていなかったんですけれどね。
【ナレーター】
分野問わずさまざまな経験を糧に、大手百貨店を展開する企業に入社。当時、次世代デザイナーの発掘を目的とした売り場『解放区』などを手掛け、時の人となっていた藤巻幸夫氏のアシスタントに従事することになる。
華やかな仕事ができると意気込んだ中村だったが、実際は雑用業務が中心であり、そのギャップに耐えきれず退職の旨を藤巻氏に伝える。
そのときに藤巻氏から返された言葉が、後の人生を大きく変える転機になったという。
【中村】
「他のことをやろうとしているんです」というようなことを藤巻さんに言ったら、「今の会社は法的なことを犯さなければ解雇にならないから、お前が得意なことでやりたいことをとりあえず応援するから、まずは会社を利用してやってみろよ」と、守ってやるから、みたいな感じで言ってくれたんですよ。
じゃあ何ができるかなと考えていると、藤巻さんの下にいると、有名なデザイナーから若手のデザイナーからクリエイター、後はお取引先などとにかくいろいろな人が訪ねてくるんですよ。
ただ全然会う時間がないんで、カフェか何かを貸し切って、その人たちをまとめるパーティーをやりたいと思ったんですね。
それにはきっかけがあって、パリとかニューヨークに有休を取って藤巻さんのファッションショーに付いていったんですけれど、パリに行った時に昼間普通のカフェだったところが、夜に行ったらカーテンの中が見えなくて音楽が大音量で流れているんですよ。
何かなと思って入ろうとすると、「リストがないから」と絶対入れてくれないんですよ。イベントが終わる1時間前ぐらいにやっと入れてくれて、入ったら昼間カフェだったところにDJがいて、とてもお洒落をした方ばかりで。
そんなパーティーが日本でできたらかっこいいなと思って、やろうと。昼間カフェだったところをカーテンで店内を見えなくして、入り口にタキシードのドアマンを立てて、リストがないと入れないようなパーティーを始めたんですよ。
【ナレーター】
その後、藤巻氏が独立するという話を耳にし、これを機に自身も独立をしようと退職を決断。情報収集をする中でカフェの業態に着目した中村は、2001年にカフェ『OFFICE』を東京都港区にオープンした。
この店が後のカフェブームの火付け役となり、トランジットジェネラルオフィス誕生のきっかけとなった。
【中村】
会社をつくるというのではなく、何かとりあえずやろうと思って、僕のできることでやりたいことというのがカフェだったんですよ。
今は120店舗ほどになりましたけれど、当時は店舗をプロデュースをしようと思っていなかったし、とにかく1つのカフェを成功させようということで、20年前に一生懸命考えてやったんです。
当時のカフェは、夜にバーとして営業するのではなくて、お客さんがお茶をしながらご飯を食べて夜中までしゃべるみたいなことが一番トレンドな感じだったんですよ。
そんなとき、駒沢公園に『バワリーキッチン(※)』というのができて、そこに人が集まっていて、これだと。こんな店舗をつくろうと思ったんですよ。
※1997年にオープンしたカフェで、カフェ『OFFICE』と並ぶ、カフェブームの草分け的存在。
それで一気に進めたら一大カフェブームが始まって、仕掛け人のひとりになれました。二番煎じではない時にやったので、一応、波に乗れたのかなという感じですかね。