【ナレーター】
トータルボディケアブランド『DOCTORAIR』や、貴金属とブランド品の買取・販売を行う『ゴールドプラザ』などを展開する「株式会社ドリームファクトリー」。
『3Dマッサージシート』や『ストレッチロール』といったヒット商品を次々と生み出し、ブランド全体の累計出荷台数は2022年8月時点で550万台を突破した。
近年ではパーソナルトレーニングジムを運営する「RIZAP株式会社」との協業を発表するなど、「世界中の人にHAPPYをお届けする」という企業理念の実現に向け、成長を続けている。ただ、これまでの道のりは平坦なものではなかった。
多くの挫折を乗り越えた創業者の、不屈の精神の原点に迫る。
【ナレーター】
井上の原点は1988年にある。バブル全盛期の当時、ゴルフ場の会員権の販売事業を立ち上げて、経営者の道を歩み始めた。しかしその後、バブルが崩壊。井上は一転して窮地に陥ることとなる。
【井上】
ゴルフ場を持っているオーナーさんも時々遊びに来ていたんですけれど、“普通のおっちゃん”になってしまったなと(笑)。
そこから約20社を渡り歩いて、給与は固定給ではなく、いわゆる事業が成功したら、年収1000万円ぐらいになるような、そういう職種をあえて求めていっていました。次の事業の資金をつくろうと思っていたんですね。
焼き芋売りなんかも経験しました。当時、大阪の本町というところで軽自動車を動かしていたんですけれども、こっちから売り込もうと、芋を持って会社訪問しまして。
そのときに昔就職していた、外資系の生命保険会社の友人に見られまして。「お前そこまで落ちぶれたんか?」みたいなことを言われました。焼き芋をこんなタオル巻いて売っているわけですから、そう言われて悔しかったですよね。
【ナレーター】
悔しさをバネに資金を蓄えた井上はその後、高級ブランドバッグなどを取り扱うリユース事業に参入。早々に不運に見舞われたが、この出来事が後の『ゴールドプラザ』誕生につながった。
【井上】
オープンして3日後に展示ガラスを割られて、本部から最初に買い取った、ルイ・ヴィトンやエルメスなどのバッグを軒並み盗まれてしまいました。
ですので、一から買い直しですね。10ヶ月で約7000万円の損害が出て店舗はつぶれました。
1万点ぐらい商品があったんですが、テレビや家具など、何でもありました。その半分はさっき言ったブランドバッグや金のネックレスってありますよね。ああいうやつが半分占めていたわけです。
それで大阪の本社に持って帰り、アルバイトの子に「この在庫をインターネットで売りなさい」ということを指示しました。
東京の、とあるSEO対策を請け負う会社の社長と縁がつながり、毎日、電話でやり取りをした結果、「ルイ・ヴィトン 買取」「シャネル 買取」「ブランド 買取」「金 買取」、これらのキーワードで全部、検索1位になったんですよ。その結果、1ヶ月で約2000万円も買い取りできましたね。
その後、貴金属の買取専門店を横浜や銀座、田町などに出店しました。
当時、お客様と鑑定士が、売価のやりとりをしている姿を見せている会社はなかったんですよ。それを公開したところ約100局のテレビ番組で取材を受けました。
【ナレーター】
メディア出演の効果で一気に認知度を上げたドリームファクトリーは、急成長を遂げる。一方で、井上は「この成長がいつまでも続くことはない」と危機感を覚えていた。そんななか、休暇中に訪れたシンガポールで運命の出合いを果たす。
【井上】
マリーナ・ベイ・サンズの直営の超高級ショッピングセンターがあるんですよ。
そこを歩いていたら、『GUCCI』の隣に、お洒落なインテリア店を模した、マッサージ器を販売している店舗があったんですよね。
「なんだろう」と思って、帰国後に調べてみると『OSIM』という名前の、要するにマッサージ器のフランチャイズ店だったんですよね。世界的に有名で、当時は1500店舗ぐらいあったのではないでしょうか。店はお洒落で、高級ショッピングセンターにあっても違和感がなかった。
一方で、日本の大手量販店に行くでしょう。そうしたら、奥の方に10台ぐらいマッサージチェアが並んでいて、中年層の顧客が休憩代わりに使っているわけです。
デザインも黒やベージュばかりですよ。性能もよく似ていて。そんな環境が当時普通だったんですね。
そこから、日本で『OSIM』のようなマッサージチェーンをつくろうと決意いたしました。