【ナレーター】
1985年の創業以来、「教育」を中心に人材、介護、保育、美容、スポーツ、ITと多岐に渡る事業を展開している「ヒューマングループ」。
国内320拠点、海外5ヵ国8拠点を構え、同社の主要事業のひとつである『ヒューマンアカデミー』が運営する講座は800以上、延べ158万人以上の卒業生・修了生を輩出している。
また、プロバスケットボールチームや、プロeスポーツチームの運営も手がけるなど、「人を育てる」事業と「人を社会に送り出す」事業をひとつにしたビジネスモデルの発展に取り組んでいる。
変革とともに歩み続けた経営者の波乱万丈の軌跡と、思い描く未来像に迫る。
【ナレーター】
ヒューマンホールディングスの本質は、「なりたい自分」を見つけ、その実現に向けて道筋を定めて進んでいくことを指す『SELFing』にあると、佐藤は言い切る。
【佐藤】
当人が「どうなりたいか」という理想像を持っていないと、手の施しようがないんですよね。
今、世の中で人的資本経営などと言って、企業はいろいろな教育を提供しようとしているんですね。しかし、そんなものを並べたって、当人がどうなりたいのかわかっていなければ、気づいていなければ、気づこうとしなければ、まったく役に立たないんですよ。
ですから、教育で一番重要なのは「どうなりたいんですか」なんです。
もっと具体的に言うと、「3年後どうなっていたいですか。5年後はどうですか。10年後はどうですか」というところを一緒にひもとくことが、すべての人材育成のベースになると思います。
これがわかれば、後のピースはすぐ埋まっていきますから。ですので、ここが一番のポイントだと思っています。
【ナレーター】
佐藤のファーストキャリアは新卒で入社した証券会社だった。配属された支店で大口顧客を次々に開拓するなど順風満帆な日々を過ごしていたが、入社2年目の冬、父からの誘いを受け、退職することになる。
当時の心境について、こう振り返る。
【佐藤】
証券会社に勤めてちょうど2年目、自身のペースで仕事ができるようになってた、その矢先(の誘い)だったので、ものすごく戸惑いがあったんですけれども。
そんな気持ちで、その当時ザ・ヒューマン株式会社という(父の)会社に入社しようと思ったら、突然「会計の勉強をしてきなさい」と言われて、会計事務所に行くことになったんです。
【ナレーター】
会計事務所勤務を経て、1991年に、父が創業したヒューマングループの前身となるザ・ヒューマン株式会社に入社し、経理部に配属。入社早々に衝撃を受けたこととは。
【佐藤】
バランスシートの現預金が毎月マイナスなんですよ。
これは理屈的にはあり得ないんですけれども、要は入力すべきものをしなかったら、そうなってしまうんですね。
これはもう、会社の経理が崩壊しているなと思ったんですよ。
では裏で何が起こっていたかというと、いろいろなことがあって。しかし、誰かがどこかでそういうこと(改善)をやらないと、この組織はもう無秩序になってしまうぞと。捨て石になってもいいから、これを徹底的にやってやろうと思いまして。
これも将来的には私の肥やしのひとつになって、いつか役に立つ日がくるのかなと、そう思いながら取り組んでいましたね。
【ナレーター】
佐藤の奮闘により、財務体質が徐々に改善された矢先に、父から次の目標として告げられたのは上場だった。
そして、2002年にヒューマンホールディングス株式会社を設立し、代表へ就任。2004年に上場を果たす。その中で芽生えた想いについて、次のように語る。
【佐藤】
そこで初めて、この会社をどういう会社にしていきたいんだという思いが湧き、それに向けて取り組もうと思うようになりました。
当社は、教育事業が中心になっていて、そこからさらに多彩な事業を生み出しているんですよね。もしくは新しい会社ができたときに、そこへの人材供給や人材育成の場として教育事業を提供するような。
そのため、このビジネスモデルが生まれました。教育を中心に置いて、各事業を展開させていく。
いろいろな事業が教育事業から生まれて、日本から世界に展開していく。そんなイメージができてきて。そういう会社にしていきたいという想いが初めて芽生えました。