【ナレーター】
2015年12月、世界で初めて微細藻類(びさいそうるい)ユーグレナの食用屋外大量培養を成功させた株式会社ユーグレナ。
ユーグレナとは和名でミドリムシと言い、植物と動物の両方の性質を持った藻の一種で、ビタミン、ミネラル、不飽和脂肪酸など59種類もの栄養素を有する画期的な微生物だ。
ユーグレナ社では、このユーグレナを活用して食品や化粧品などを開発する他、2021年6月には、ユーグレナ社のバイオ燃料『サステオ』を使用したジェット機のフライトを実現。
ミドリムシの会社からサステナビリティ・ファーストの会社へ進化するべく、その歩みを着実に進めている。
ユーグレナの可能性を追求し、新たな領域を切り拓くことに成功した創業者の軌跡と、目指す次のステージとは。
【ナレーター】
2021年8月、会社の憲法とも言われる定款で定める事業目的を、SDGsの17の目標を反映した内容に全面刷新したユーグレナ社。その真意とは。
【出雲】
今までの古い定款、事業目的だと、当社のやりたいことが上手く表現できないし、伝わらなかったんです。
しかし、当社のバイオジェット燃料を使えば、飛行機で移動してもCO2削減が可能なんです。これを「航空運送事業としてやっています」と言うと、例えばヨーロッパの投資家は「CO2を出す航空運送事業のような、迷惑のかかることはやめなさい」とおっしゃるんですよ。
しかし当社は違いますと。単なる航空運送事業ではなく、SDGsの13番目、地球温暖化を招く気候変動に対する解決策を提示するのがSDGsの13番目の目標なんです。
つまり、「バイオジェット燃料は新しい航空運送事業であり、SDGsの13番目の目標を達成するための研究と仕事です。」このように説明したほうが、皆様に誤解なく伝わりますよね。
新しい産業は、その産業の境目が今までとは全く違うものになりつつあるため、定款そのものを、勇気を持ってSDGsにフィットする形でつくり直しました。
【ナレーター】
ユーグレナ社をけん引する出雲の原点は大学時代にまで遡る。生まれて初めての海外渡航先に出雲が選んだのは当時南アジアの最貧困国、バングラデシュだった。
人生が一変したと語る当時のエピソードとは。
【出雲】
食べ物を買うお金がなく、ひもじい思いをしている子どもたちがたくさんいるんだろうなと思ってバングラデシュへ行きました。しかし実際は、これは行ってみないと分からないんですけれど、空腹で困っている人は全くいなかったんです。
では、このことの一体何が問題なのかというと、具が入っていないのです。ニンジンも玉ねぎも、お肉もお魚も卵も牛乳も何もないんですね。当時のバングラデシュの食事には、健康に生活するために必要な栄養素が非常に不足していました。
これが本当の課題であると気づき、帰国後は栄養の勉強しようと決めたきっかけとなりました。
【ナレーター】
真の課題を見つけ帰国した出雲は、東京大学文科三類から農学部へ理転して進学。農学部の仲間にバングラデシュで見た真の課題である栄養失調問題を解決できるような、最も栄養価が高い素材を聞いて返ってきた答えがユーグレナだった。
調査をする中で、ユーグレナに大きな可能性を感じた一方、難解な問題があることに気づく。
【出雲】
ユーグレナは栄養満点な微生物です。
人間が生活するために必要な59種類もの栄養素を持つため、普通に育てていると、みんなに食べられてしまいます。ユーグレナは栄養価が高い分、純粋培養は極めて難しくほとんど無理でした。
それがわかっていても、私は当時20歳です。そんな簡単には諦められない。ただ、本当に難しいことなので、長期の研究になると思い、35歳の時に会社をつくろうと当時は考えていましたね。
【ナレーター】
大学卒業後、銀行員を経て2005年8月に「株式会社ユーグレナ」を設立。研究を重ねた末、同年12月に世界で初めてユーグレナの食用屋外大量培養に成功した。
当時の心境を尋ねると意外な感情が芽生えたのだという。
【出雲】
はじめての体験だったので、とても驚いたんですけれど落ち着いているんですよね。
毎日すごいプレッシャーを感じていました。2005年12月16日、沖縄県の石垣島でユーグレナがたくさん育ったときは大喜びするのではなく「やっと実験が一段落した、ここまで来れた」という安心感で、本当にほっとしたのが真相ですね。
【ナレーター】
これで世界の栄養失調問題を解消できる。そう確信した出雲だったが、想像を絶する苦難が待ち受けていた。
【出雲】
当社が扱っているのはユーグレナですから、採用実績がないわけですよ。
それまでユーグレナは市場にも、どこにも存在しないもの。まっさらで新しいものを、皆様にプレゼンテーションして「ぜひ使っていただきたい」と。当時、市場に存在しなかったユーグレナの良さを「人と地球を健康にする切り札」だと何度も説明しました。
私は、2年間で500社へ営業に行ったんです。一度もうまくいかない営業を、2年間、500回繰り返して失敗し続けたのは、私ぐらいのものではないでしょうか。
【ナレーター】
そして501社目の訪問で、ついに出雲の願いが成就する。
【出雲】
501社目で、ようやく「伊藤忠商事」という最初のお客様と出会えたんですね。「(ユーグレナを原料にした製品を)どんどん一緒に開発していこう」と、伊藤忠商事社を始め錚々たる企業や大学、政府機関が応援してくださるようになりました。
2008年5月の伊藤忠商事社との出会いは、間違いなく当社の転機だったと思います。