Vol.1 歴史
歴史
【河村】
当初の思いはセメントの展開の上で、新しい施工、市場、そういったものを見つけるというところが原点であっただろうと思っています。当時はやっぱり建築物だったんですね、土木ではなくて。ですから皆さまご存知だとNHKホールですかね、今代々木にある。それであそこの建物を建てる時に、天井の裏に断熱材として使われたとか。そういうものが発端なんですね。ただこの材料が非常に特性がいろいろあるので、その特性を土木に活かそうということで、今の事業の礎(いしずえ)ができたということです。いずれにしてもセメント業界にとって施工業というものが大切だろうと私は思っています。
【河村】
麻生グループに入るまでに、若い時期に2社ほど経験をしています。卒業してすぐ海外に出る機会がありましたから、向こうに行って、ものの考え方が大きく変わりましたし、大きな影響を受けて今もいるなと思っています。そうこうしてるうちに、なぜセメントに来たかというところになると思うのですけど、たまたま今も私が尊敬する経営者ということで麻生泰(ゆたか)氏と高校時代からずっと一緒でした。バブルが実は90年代に私が帰って弾けたのですが。それまでは日本がバブルという中でいろいろな事業の夢をみんな膨らませて、特に海外展開ということもあったので、麻生グループも海外に向けてということで、ニチロを新しく退職して新しい挑戦を始めたんですけど、本当に残念だったんですがバブルが崩壊して、企業自体が収縮さざるを得ないという現実が出てきたんです。
【河村】
やはり新しい産業というもの、これも日本の本当に大切な基礎資材ですから、そういったメーカーに自分の待っている過去経験したことを、何かに使えればということで、2001年ですから、平成13年です。フランスの世界一の会社と合弁会社ができ上がったんです。麻生ラファージュセメントという会社ができたんです。この早い交渉の段階から参画をさせていただいて、業界世界一、インターナショナルを超えたグローバルな会社の持ついろいろな要因というものを、やはり我々が学習をさせてもらったという、そういう新しい機会に恵まれたんです。
【河村】
本質はいかにいいものを皆さんの市場が求める価格で提供できるかどうかというのが勝負だと思いますので、その原点を彼らは教えてくれたんです。ですから今私は毎年経営方針も出しますが、やはり原点に帰ってほしい。人であれば自分に帰ってほしい。仕事であれば原点の技術というものをきちんと磨いて進化させなくてはいけないと絶えず思っているので、そのずっと戦いですね。これからこの業界はそういうことかなと思っています。ただ建設業というのは90年代、2000年代ぐらいまでの日本を本当に産業としても支えてきた。就労人口もものすごく多く抱えて、そういう業態、業種だったんですね。
【河村】
今この業界が抱える問題というのが、人の確保、資材の確保、機材の確保。世の中で需要がなくなってくると、こういったものがきゅっと縮小されてしまうんです。今ここにきて、災害復旧復興のためにいろいろな材料が、資機材が必要なんです。現実的に今、東北に多くの我々の仲間が仕事をしているんですけども、やはり足りないんです。土木という者に対して、国づくりの原点ですから、東北で大震災が起こって、皆さんサプライチェーンや流通網などと言われますけども、道路が寸断すると、何も動かない。これも現実なんです。ですからそこに絶えず資金を投入して、きちんとした整備をする。
【河村】
それから皆さんの記憶に新しいと思いますが、笹子トンネルでの事故。これももしかしたら防げてるかもしれないんですね。ただやはり管理するコストもかかりますし、これからますます日本は、新しくものを作るというよりも、今まで作ったものをどう長寿命化するか。安全を担保するかという方向に向かって行くんだろうと思っています。私どもにとっては、新しいビジネスの機会だと思っています。
経営者プロフィール
氏名 | 河村 洋介 |
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役職 | 元代表取締役社長 |
生年月日 | 1946年9月9日 |
出身地 | 山梨県 |
座右の銘 | 『如何なる大きな他力より自覚心はそれに勝る』 他力本願では事が成就しない |
愛読書 | 司馬遼太郎 |
会社概要
社名 | 麻生フオームクリート株式会社 |
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本社所在地 | 神奈川県川崎市中原区苅宿36-1 |
設立 | 1961 |
業種分類 | 建設業 |
代表者名 |
河村 洋介
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従業員数 | 98名 |
WEBサイト | http://www.asofoam.co.jp/ |
事業概要 | 1.気泡コンクリートの現場施工 2.地盤改良工事の施工 3.その他工事の施工及び工事用資材(起泡剤等)の商品の販売 |