山下医科器械株式会社 ~上場直後に襲った倒産危機。社長の苦悩と導き出した答え~

Vol.1 幼少期~大学生時代

山下医科器械株式会社 代表取締役社長 山下 尚登 (2015年7月取材)

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【聞き手】

本日は、大正15年長崎県佐世保市で創業、今や東証一部上場の企業にまでなられた山下医科器械株式会社の代表取締役社長、山下社長にお話を伺っていきたいと思います。それでは社長、よろしくお願いします。

【山下】

よろしくお願いします。

【聞き手】

冒頭でも申し上げましたが、大正15年創業でもう90年近い歴史を誇る企業の3代目の経営者ということで、会社の歴史ももちろんなのですが、今日は3代目として会社を率いている社長にお話を色々と伺っていきたいと思います。

-幼少期〜大学時代-

【聞き手】

長男でいらっしゃったというお話ですが、身近にご実家の事業というか、そういうものを子供の頃から見てこられているわけですよね。

【山下】

そうですね。1階が会社で、父母と2階に住んでいました。祖父も一時期は一緒に住んでいましたので、家族で一緒に会社を営んでいました。家業と言いますか、そういうレベルです。生まれた時からそういう感じでした。よく会社のほうに遊びに行って、社員さんと話をしたり遊んでもらったり。兄弟は3人で、弟と妹がいて、休みの日や夕方に一緒に下に遊びに行っていました。昔は木枠で器械が運ばれてきていました。フラスコやビーカーなどそういうものが詰まっていたのですね。それを取り出したりして遊んでいたのです。

【聞き手】

それは見つかったら怒られるのですか。

【山下】

そうでもないですね。手伝いをしているということです。

【聞き手】

そういう感じなのですね。では社長ご本人だけでなく、妹さんや弟さんも皆おうちの家業に近い所にいらっしゃったのですね。そういう姿を見ていらっしゃって、将来は自分もこの会社を手伝うというか、継ぐのだなという意識は小さい時からおありだったのですか。

【山下】

祖父の代からですので父もやっていましたし、長男なのでいずれ私が継がないといけないのかなというのは漠然と思っていました。けれども、継げと言われたことは1回もないのです。もちろん社長になる時はそうでしたが。そういう雰囲気の中で育っていったというところです。

【聞き手】

その中でご自身も成長していかれて、大学は熊本大学の工学部に進学されて、その時もゆくゆくは実家で事業をやるものだと思っていた大学生活だったのですか。

【山下】

そうですね。私が21歳、大学4年生の時に、電子工学の助教授の研究室に入りました。私の家が医療機器をやっているというのを先生がご存じで。「山下、こういうのが出ているぞ」とおっしゃって、何かなと思ったら、CTはこういう理屈だという論文が出ていたのですね。その当時、CTはヨーロッパの方でできつつあった頃なのですが、その論文を見てこういう技術ができているのだなというのを初めて知りました。それが昭和51年くらいのことです。昭和50年代の後にCTや超音波診断装置、MRIは60年代くらいです。そこから医療機器の業界がすさまじく発展していったのではないかな。そういう時代だったと思います。

【聞き手】

そういう時代の流れに乗って成長していく分野だと学生時代から感じていたのですか。

【山下】

そこまでの予測は、学生時代にはできていませんね。まだコンピューターも、私が4年生くらいの時はカードにパンチして穴を開けて、それを何百枚かつくって読み込ませるのですよ。この部屋以上の広さのコンピューターの部屋があって、それを読み込ませてプログラムを入れると、機械に紙が詰まってしまったりするのですよね。全部読んだなと思っても、その中にエラーがあると原因を探さないといけない。

【聞き手】

デジタルがアナログか分からない。

【山下】

アナログですよね。そういう時代でしたので。今のパソコンよりとにかく低い性能でしたから。

社長プロフィール

President's profile
氏名 山下 尚登
役職 代表取締役社長

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