山下医科器械株式会社 ~上場直後に襲った倒産危機。社長の苦悩と導き出した答え~

Vol.3 社長就任までの道のり

山下医科器械株式会社 代表取締役社長 山下 尚登 (2015年7月取材)

[もっとみる]

-社長就任までの道のり-

【聞き手】

ご自身は42歳の時に社長に就任されるのですが、その間の20年間はどういうお仕事をしてこられたのですか。先ほどの新規事業の立ち上げからスタートして。

【山下】

それが2年弱くらいでした。仕事のやり方も分かってきました。当時も色々な建て替えがあって、新規に建て替えがあると、医療ガスの配管を通して、酸素や麻酔のガスなどを吸引の装置を入れるという、当時でもはしりのことをしていました。図面を描いて施工をするのですが、ヘルメットをかぶって現場に行って、ボイドという配管を通す筒をくぎで刺して固定したりするのですね。

【聞き手】

もう完全に現場を回ってらっしゃったのですね。

【山下】

現場監督さんと現場で会議に入るのですが、私はまだ23、4歳くらいですから、おっかなかったですけどね。医療機器の業界とまた違った別の世界があって。

【聞き手】

そういう現場のことから、営業の部分やあらゆる分野をなさったのですか。

【山下】

そこは1年半くらいでした。次のところは、昭和53年だったと思いますが、福岡に事業所を出しました。まず先遣隊で2〜3人で行くと、そこに計数機等を売っている会社さんやメーカーさんがあって、福岡でやってもらえないかと話をいただいて。それで次は福岡だと言われました。当時は山下医科器械のことは、福岡県のお客様はほとんど知らない方ばかりなので、新規開拓をするしかないのですね。ですので、昭和55年から1年半くらい新規で飛び込み営業をしました。会社案内や色々な商品を持ってセールスに行くのです。そう簡単に聞いてはもらえないので、本当に仕事がない辛さを感じました。

【聞き手】

なかなか受注できなかったのですね。

【山下】

数字も上げられないし、やることがないのですよね。

【聞き手】

その経験をされていらっしゃるからこそ、忙しくなって大変だと思っても、仕事がない辛さに比べたら、こんなことは良いほうだとお思いになれるのですかね。色々経験されて、42歳の時に社長に就任されるのですが、どういったタイミングで社長に、という話になっていたのですか。

【山下】

父が70歳になる時だったので、2〜3年前からそういう感じで、代表権のある専務を2年ほど経て社長になりました。

【聞き手】

いよいよ社長にとなった時に、自分の代にはこういう会社にしたい、こういう経営者であろうなどと、何かそういうことは考えられたりしましたか。

【山下】

社長就任の時に、社員総会のようなもので話したのが、「質的日本一」ということです。売り上げ的には超一流の会社はたくさんあるわけですから、売り上げ、つまり量の部分では負けるわけですが、質的に日本一になろうと。業界でもそうだし、企業としても質的な形で日本一になろうと話をしたのですね。それは色々な事業や製品、また会社の仕組みのことです。一番私がうれしいのはお客様のところに行って、社員をほめてもらえることです。「よくやってもらっています」とか「助かっています」と。一番は社員の質だと思います。それが高まることによって、基本方針の1番目の「従業員がその一生をかけて悔いの無い会社であること」につながると思うのです。そういった意味で社風が良いとか、経営も安定しているとか、質的な意味で日本一になりたいなと思っています。

社長プロフィール

President's profile
氏名 山下 尚登
役職 代表取締役社長

あなたにおすすめのコンテンツ

この社長に応援メッセージを送る
この社長に直接提案