株式会社串カツ田中 ~苦難を乗り越え躍進を続ける串カツ屋の“夢実現”の手引き~

Vol.3 串カツ田中 誕生秘話

株式会社串カツ田中 代表取締役社長 貫 啓二 (2016年10月取材)

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―串カツ田中 誕生秘話―

【貫】

結構お店は忙しくしているのにキャッシュが残らないというのは、完全に財務戦略が駄目ですよね。売れていた店で駄目ということは、売れなくなると一発アウトということです。それにも気付かずに、1年で365日も店にいるわけですから、その辺の社長とは情報量が違うわけですよ、ほとんどお店にいますから。言ってしまえば、店長さんと一緒というか。経営者なのに、店長としてお店を切り盛りする能力はあっても会社を経営する情報は入って来ないですし、飲食を経営する友達は東京ではゼロでしたから。もうそのまま結構リーマンショックの時は倒産へまっしぐらという感じでしたね。

田中もお母さんを連れて東京に来ていたので、東京では仕事が無いと暮らしていけませんから、大阪に帰る準備をすればということで、自分が生まれ育った、田中もアパートみたいな所に住んでいましたが、それがたまたま空いているということで、帰る所があるということで。

引っ越しの準備でも始めておいてよと言っていたら、そのレシピのメモ書きが出てきて。今となってはドラマチックに聞こえますが、その時は、「ああ、このメモ」くらいのことで、試食したら美味しいし、どうするか、みたいな。出来る範囲でやってみるかという感じになりまして。せっかくこれだけ10年近く追いかけてきて、もう倒産するならこれをやってから華々しく散ろうぜということで、どうせ倒産するなら一緒だということで。

都心では出来ないということで、今まで一等地ばっかりでやってきましたが、三等地で細々とやろうということで、それなら世田谷に一号店で、物件が空いた所が出まして。居抜きだったので何とか出来そうだなということで、150万くらい、大工さんと一緒に僕も仕事をしましたし。厨房とかはヤフオクとかで買い落して。レジも高いじゃないですか、150万円くらいするので、それも中古で30万円くらいでヤフオクで競り落として、そんなことで設置して、なんとか。家賃も保証金も安かったので、300万円でオープンまでこぎつけたんですよね。

これが駄目だったら、もう3ヶ月か半年で終わる。どっちにしても終わりは終わりだなと思っていて、それでオープンすることになりましたが。オープン初日も、今でこそオープンしたらたくさん入りますが、その時もオープン初日も7時くらいまでは誰もお客さんが来なくて。店にいながら現実逃避ではありませんが、頭がぼーっとして、これで終わっていくんだなと思った記憶がありますね。

田中は本当に串カツが好きなので、ネットで調べて行こうとか、隙間見て行ったりしていたんですが、流行ってもいないし、全然そんなにイケてないしみたいなことで、田中があの串カツを東京の人に食べさせてあげたいみたいなことはずっとその時に言っていたんですよね。なので、それをやることにはもうずっと考えてきたことだったので本望だったんですが、オープンして3日間くらいは、もうこれで死ぬんだなと思いました。お客さんが本当に来なかったので、7時くらいまでね。7時くらいからばーっと来るので、今日1日セーフ、売れて良かったみたいな。翌日、また全然来なくて、やることも無いので仕込みも万端で待ち構えていて、アルバイトもいて。もう厨房の端で座り込んで、現実逃避でウトウトと、本当に強烈な眠気が襲ってきて、本当に現実逃避ですよね。もうこれで終わっていくんだなということを毎日思っていましたね。

それが日を重ねるごとにどんどんお客さんが増えて、半年経った時にはオープン前から二回転分くらい並ぶようになって、売り上げ目標は400万から450万円で、14坪で24席でお客様単価が2400円なので、どう考えても物理的に450がマックスだろうということでやりましたが、最終的には800くらいまで到達して、すごい状態になりまして。人生で飲食業でイニシャルは掛けてないのに売り上げがドカンといきますから、すごく利益が出るということは初めての経験で。これで展開したら会社を潰さなくて済むかなという感じで、半年で2店舗くらいのペースで出していくんですが、なんせ成功したのは世田谷なので、次は尾山台とか、そういう普通の飲食業が出さないような所にばっかりに出していくんですが。

世田谷だったから今の串カツ田中があると思っていて。例えば、渋谷でやっていたら、当たっていたとは思いますが、渋谷で当たったものを世田谷に持って行こうかとはならないですよね、普通。言ってしまえば、目的が無いですから。通る人は家帰る人か買い物に行く人くらいしか無くて、そこにテーマパークがあるわけでもなく、大きなショッピングセンターがあるわけでもないので、そこに出すという考えには絶対ならないんですよ。でも僕らは世田谷からスタートしてそこでうまくいったということがうちの強みになって、多分渋谷で成功していたら、山手線の内側で30店舗から50店舗で終わっていたと思います。あれが結果的には非常にツイてたじゃないですけど、良かったことの一つですね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 貫 啓二
役職 代表取締役社長
生年月日 1971/1/27

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