ぺんてる株式会社 ~大胆な行動が次代を掴む!“文具メーカー“ぺんてるの挑戦~

Vol.1 入社の経緯

ぺんてる株式会社 代表取締役社長 和田 優 (2017年7月取材)

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【聞き手】

本日は、設立から71年、今も多くの方から愛される文具をたくさん作っておられるぺんてる株式会社代表取締役社長、和田優社長にお話を伺っていきたいと思います。それでは社長、よろしくお願いいたします。

―入社の経緯―

【聞き手】

早稲田大学の理工学部に進学されました。就職活動で受けていらしたのはどういったところだったのでしょうか?

【和田】

出身が、今でこそもてはやされていますが当時は出来上がったばかりだった経営工学という学科でした。早い段階の卒業生ということで、どこの企業がいいかという選択肢があまりなかったのが一つ。もう一つは就職難でした。私すら十社以上受けて、全部滑り続けました。最後に目に留まったのが、この赤色ロゴのぺんてるだったということで。まあいいかという気持ちで。

【聞き手】

「何だか知ってるな」という感じで。

【和田】

結構ロゴがカッコよかったので。そんな少し不純な動機で門を叩いた記憶があります。

【聞き手】

入社されたときに、一つの組織に入るのであればトップにまで頑張って上り詰めようという気持ちはありましたか?

【和田】

最初はそのような気持ちはありませんでした。私が最初に事例をもらったのは埼玉県の吉川市。今でこそ市になっていますが、当時は千葉県との県境にある小さな町に工場がありまして、そこでシャープペンシルと替え芯を作っていまして、そこに放り込まれて。同期のみんなからも島流しと言われるくらいの辺鄙な街でした。そこにずっとものづくりで20年いました。社歴が42年ですから、20年というと半分。ですからおそらくここで会社人生終わるだろうなという印象を持ったのが20年の節目のときだったかなという気がいたします。ですから当初からこんな社長をやらせていただくという気持ちは全くありませんし、そんなことを夢に見たこともなかったというのが実感ですね。

【聞き手】

ご自身がその仕事に就いたときに、どのようにお感じになられましたか。

【和田】

3日3月3年というように会社を辞めたくなる時期を呼ぶといいますが、実際には3日3月と言わず、毎日毎日辞めたくて仕方なかったです。職場環境が3K。汚くて暑くてという環境でしたので、大学を出てそこへ放り込まれて、実際に現場実習させられているときはもう毎日辞めたいという気持ち。会社を退社するときにもそんな気持ちで帰った覚えがあります。特に替え芯をつくっていましたので、あれは黒鉛ですよね。ですから鼻からシャツから下着すべてが真っ黒になってしまうと。毎日そんな経験をしました。これはとんでもないところに来たということで、3日も待たないで辞めたいという気がしていましたね。

【聞き手】

辞めたいという気持ちを思いとどまらせたものは何だったのですか?

【和田】

先輩だったと思います。当時そういう工場には、今でこそいませんが中学校を卒業されてそのまま職工さんという形で勤められている方がほとんどだったのですね。特に暑くて汚れる職場だったものですので、そういう人たちが多かったのだろうと思います。そんな人たちは、わかるんですね、やっぱり。私の気持ちが少しふさぎ込んでいるようなときは声をかけてくれましたし、何よりも職工さんというのはお酒が好きでして、私もお酒を飲むほうなので、夜な夜な誘ってくれるわけです。そんな経験をしているうちに、辞めるタイミングをなくしたといいますか。それでも最後は10年目には製造課長をやらせていただいて、工場長をやらせていただいて、というところまでいきましたので。工場ではトップだったので、まあここでいいかという気持ちになったことを今でも覚えています。

【聞き手】

すぐに辞めるのではなく、続けていくという選択になるためには、どういう風に気持ちを持っていかれましたか?

【和田】

私は人懐こさもあったのだろうと思いますが、あまり自分で考え込まず、確かに辞めたいと思うのときは1人なのでしょうけれども、次の瞬間に仲間を探すとか先輩を探すとか、人間関係を常に考えることをやっていれば結構長もちするのではないかと。いろいろな面白い方たちがいるわけですね、自分とは違った。そういう人間の中に入り込むと結構面白い。それが20年いた秘訣かなと思っていますし、だんだん自分を慕ってくれるようになってきますので、それはやはり自分を成長させます。まわりの人たちと比較しながら成長させるということが秘訣じゃないかなという気はしています。

社長プロフィール

President's profile
氏名 和田 優
役職 代表取締役社長

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