【ナレーター】
創業148年を誇る群馬県発の食品メーカー「正田醤油株式会社」。
米問屋を祖業とし、1873年、三代 正田文右衛門が米問屋は次世代への継承が難しいと、醤油醸造業へと事業転換を決断。
その意思を代々受け継ぎ、「おいしいがうれしい。」を基本精神に掲げる同社は、食材の味付けと冷凍保存の簡素化を実現させた『冷凍ストック名人』や、タバスコブランド唯一の醤油である『タバスコ®スパイシーしょうゆPlus』など、新たな発想を取り入れた商品を次々と世に送り出す。
海外展開においても主力拠点であるイギリスを中心に、ヨーロッパ全土への販路拡大を目指し、挑戦を続けている。
伝統を昇華させた老舗企業の商品開発にかける想いと、挑戦の全貌に迫る。
【ナレーター】
3兄弟の長男として生まれ育った正田は、大学卒業後、正田醤油へ入社。当時はBtoCではなく、BtoBの商品開発に注力していた時期だったという。その理由についてこう振り返る。
【正田】
当社は後発メーカーのため、家庭用市場は先発部隊が大体おさえています。当初は家庭用の需要のほうが多かったですが、徐々に業務用や加工用などのBtoBの商売が増え、BtoC(家庭用)の需要が徐々に減っていきました。
その流れを見て、当社は業績を伸ばすマーケットをBtoBに求め、一生懸命に傾注して特化していくことに。結局BtoBのマーケット自体が大きくなり、当社も一緒に成長できたという流れがあります。
ただBtoBばかりだと知名度やブランドなどが弱まってしまうため、その後はBtoCの商品を手がけるようにしていきました。
【ナレーター】
その後、年次や性別を問わずアイデアを募り、納豆に添付する「たれ」など、これまでにないような商品を生み出す。正田自身も商品開発に携わり、人と関わることの重要性を学んだという。
【正田】
人と接する機会は年を取るに従って増えていきます。たとえば結婚すれば広がりができますよね。人生の指針を決める上で参考になるものは、人との出会いがどれだけあるかが大きいと思いますね。
人からの教えなど、常に何かをヒントとしながら、それを自分なりにアレンジして展開していくことが主流になってきているかもしれませんね。
【ナレーター】
これまでの仕事の中で正田が印象に残っているエピソードと、そこから得た学びとは。
【正田】
クレームに対して私が謝りに行くようなことはあまりないですが、誤りに行った際、ちゃんときついことを言ってくださる方がいたんですね。それは、本当にあるべき姿なんだろうなと思いました。
顧客からのお叱りを受け、相手が誰であろうと、自分の立場で言うべきことを言うことが大切なんだと感じたことはありますね。
当社の技術が未熟で、前向きなことも言ってくださいました。「そんなことができないと次のステップへ行けないのではないか」と。顧客からの「目標を高く持ち、誰でもできるようなことをしていても先はない」という言葉が、とても胸に響きましたね。
【ナレーター】
そして2007年に代表へ就任。失敗をチャンスと捉え、後の社内改革へとつながったエピソードに迫った。
【正田】
いわゆる発酵など、今までメインにやっていたものとは違う、惣菜のような事業に挑戦しました。
しかし、あまりうまくいかずに撤退することに。醤油に関するノウハウは、過去の経験からなんとなく出来上がっているものの、ものづくりや事業を組み立てることに対してはあまりノウハウがないことに気がつきました。
メーカーとしてのノウハウを強化しようと考えましたが、ゼロからそれをつくり上げるのはなかなか大変なことです。
そこで友人の叔父さんが主催している『NPS研究会』という、1業種1社のものづくり集団の会があるのですが、そこへ入会し、数々の指導を受けようと決めました。日々、目から鱗が落ちるような指導を受けていました。
在庫が残らないようにするため、注文に合わせて動き出す。そのタイミングをどう合わせていくか。それは工場のラインだけではなく、会社のなかでもそうですし、普通の生活のなかでも起きていることだと思います。
いろいろな教えが私にとって勉強になりますし、経営の軸の一つには確実になり得ました。