【ナレーター】
電子部品やデジタルデバイス、オンライン会議システムの開発など、多様な事業を手掛ける「ミナトホールディングス株式会社」。
70年以上に渡り培ってきた技術力を武器に、「M&A」「新規事業」「海外展開」を成長戦略の柱に据え、現在、9社のグループ会社を擁し、グループ役職員数は500名を超える。
近年では「デジタルコンソーシアムで未来の社会を創造する」というビジョンを掲げ、企業価値の最大化を目指し、事業拡大に積極的に取り組んでいる。
低迷していた企業を立て直すことに成功した経営者の軌跡と、ビジョン実現に向けた想いに迫る。
【ナレーター】
自社の強みについて、若山は次のように語る。
【若山】
当社は技術を中心とした会社をグループとしております。
各社いくつかの事業会社がありますけれども、それぞれが技術的に特徴を持っており、お客様にしっかりと価値を与えられるような製品やサービスを提供しているというところが特徴だと思います。
経営についても、常に他の事業や、企業に対して投資をすることを求めています。
いい機会があれば、積極的に投資をして、その企業の技術であったり、サービスであったり、あるいは会社そのものを、当社と一緒にやっていく。そうすることで、拡大するスピードが早くなりますね。
【ナレーター】
若山の原点は幼少期にある。経営コンサルタントの仕事をしていた父の姿を見て、経営に興味を持ち、経営者を志すようになる。
SBI新生銀行の前身である日本長期信用銀行、外資系証券会社を経て、2000年に楽天銀行の前身であるイーバンク銀行の立ち上げに副社長として参画した。
この挑戦の経緯について、次のように語る。
【若山】
技術革命により、クライアントサーバーシステムというものが立ち上がってきて。決済専業だということと、安価にシステムをつくれるというところにフォーカスした銀行をつくれば、非常に面白いのではないかと。
アメリカではPayPalという会社が当時からありまして、私もその会社のビジネスモデルを日本で展開したいと思っていました。
要はECサイトにお金を払う、あるいはコンシューマー同士でお金を送り合う、こういったものをアメリカではクレジットカードシステムでできるんですけれども、日本では銀行免許を取らないとできないという法律上の違いがありました。
ですので、決済専業銀行としてPayPalのようなお金をやりとりする会社をつくろうと考えました。
システムは他の銀行が何百億、何千億とかけているところを約40億円でつくりました。当時にしては画期的なアイデアであり、それにチャレンジするために、起業を決めたということですね。
【ナレーター】
その後、イーバンク銀行を離れ、経営コンサルティングや投資を個人会社として行い、2010年にミナトホールディングスの前身であるミナトエレクトロニクス株式会社に、株主として参画。
しかし当時は、リーマン・ショックの影響が尾を引き、業績は低迷していた。立て直しを図るために、2012年、企業再生の経験があった若山に白羽の矢が立ち、代表に就任。就任時に取り組んだこととは。
【若山】
株主の一人として、大株主であった創業家や他の会社と共同してミナトを良くしていこうということで、経営者を変えて、立て直していかないといけないということになりまして。
私が企業再生の経験があったものですから、結果的に2012年6月からミナトエレクトロニクスの社長に就任することになりました。
横浜の工場におきまして、しっかりと操業していたのですが、利益がほとんど出ていない状態だったんですね。
プランを練ったときに、当社だけでは何倍も規模を大きくしていくことは難しいということで、投資やM&Aを活用して会社を大きくしていこうと。そういう戦略を取ることを決めました。
経営者プロフィール
氏名 | 若山 健彦 |
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役職 | 代表取締役会長兼グループ CEO |
生年月日 | 1967年3月25日 |
出身地 | 東京都 |
座右の銘 | 切磋琢磨 |
愛読書 | 資本主義と自由(ミルトン・フリードマン) |
社内の構造改革を進めるとともに、M&Aや海外展開を通じて当社グループの売上高・収益力の大幅な伸長を実現している。
会社概要
社名 | ミナトホールディングス株式会社 |
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本社所在地 | 東京都港区新橋4丁目21番3号 新橋東急ビル 6階 |
設立 | 1956 |
業種分類 | その他の製造業 |
代表者名 |
若山 健彦
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従業員数 | 370名(連結) |
WEBサイト | https://www.minato.co.jp/ |
事業概要 | メモリーモジュール、デバイスプログラマの開発・製造・販売、ROM書込みサービスの提供、テレワークソリューション、デジタル関連機器の提供等、多様な事業を展開 |