Vol.1 歴史
歴史
【松村】
今から22年くらい前の大学時代に千葉県の津田沼でファミリーレストラン「サイゼリア」でアルバイトをしていました。今でこそファミリーレストランの雄ですが、当時はマリアーヌ商会という会社で、イタリアンレストランでした。そこで4年間お世話になりました。
夕方の5時にオープンするお店だったのですがオープンと同時に満員でそれが11時くらいまで続く素晴らしい店でした。毎日毎日満員でお客様からも「おいしかったよ」、「またくるよ」、「安いね」などと毎日言われて、こんないい商売はないなと思い、飲食業でやっていこうと決心して現在に至っています。
大学を出てサイゼリアさんにお世話になろうと思ったのですが、他の店も見てみたいと思い、サイゼリアは素晴らしかったのですが、実際は日拓エンタープライズ株式会社というところに就職して、ディスコの企画運営、店長などをやっていました。
そこでは販促をすごく学んでイベント、企画を打って、いかにして集客するかという事をずっと学んできて、本当に自分にとっていい経験になったと思っています。それで結婚を契機にして独立しました。28歳の時です。
【松村】
資本金を集めるために企画書を持って銀行をまわってもですね、まったく話を聞いてもらえませんでした。二言目には、担保はあるのか、保証人はいるのか、そういう事ばかり言われて、私はまったくの無知で、これほど世の中は厳しいのかと分かりました。
そこからは仕切り直して、親族からお金を集めました。そのお金の額では飲食店はできなかったので、日焼けサロンをやりました。当時、恥ずかしながら日焼けサロンへ通っておりまして。
渋谷の店まで行ったのですが非常に態度が悪くて、従業員が何を話しているのかもわからない状態でした。でも、そこにしかないから通っていたのです。ですから相当嫌な思いをしたので、自分でやれば完全に勝てる事業かなと思っていました。
ちゃんとした接客用語を使って、きれいな店を作って、しっかり半個室にして、有線をちゃんと各部屋に置いて、ということをしたら簡単にヒットしました。そうしたら、翌年、またガングロブームが来まして、店舗も4店舗になりました。
その頃になると日焼けサロンは装置産業ですので、カラオケボックスと同じでどんどん値段が落ちていくわけです。最後の方にはどの店も設備やサービスが良くなってきますので、あとは値段の勝負になるので非常にやりづらくなってきました。
2001年にはじめて飲食店として銀座の6丁目にヴァンパイアカフェをオープンしました。これが創業です。日焼けサロンは本当にひどい状態だったので、だから簡単に勝てました。ですが自分がやったことが上手くいけば、みんな、それに習えになりますから、サービスも均一化してきて、差別化はできなくなりました。
あくまでそこはマシンで焼くということだけなので、はっきり言ってサービスのしようがありません。料理や飲食店の場合は創造性もあるし、クリエイティブもあるから差別化できますが、日焼けサロンはまったくできない状態でした。
【松村】
飲食店は水商売というだけあり、職種で言えばどうしても下に見られがちだと思いました。なおかつ従業員が今は若い従業員がいますが、今後数年以内に結婚していくでしょうし、その時に、相手の親御さんに喜んでもらいたいと思いました。また住宅ローンが借りられる等、上場会社になるとメリットがかなりあると思うのです。
僕も田舎出身なのですが、田舎ではやはり、上場会社ということは、新聞に名前が出るわけですから、それは非常に絶大でした。私の両親もそうですが、田舎では上場会社=良い会社だというイメージがあります。会社の規模に関係なく、一方では飲食店=悪い会社というイメージがありまして、下に見られがちなので、そこを払拭したいという気持ちが大きかったと思います。
経営者プロフィール
氏名 | 松村 厚久 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1967年3月29日 |
会社概要
社名 | 株式会社DDホールディングス(旧株式会社ダイヤモンドダイニング) |
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本社所在地 | 東京都港区芝4-1-23 三田NNビル18階 |
設立 | 2002 |
業種分類 | 小売業 |
代表者名 |
松村 厚久
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従業員数 | 6,087名 |
WEBサイト | https://www.dd-holdings.com/ |
事業概要 | 飲食・アミューズメント事業(カフェ・レストラン・居酒屋・ビリヤード・ダーツ・複合カフェ等)の経営・企画・運営、ホテル・不動産事業の経営・企画・運営 |