Vol.1 歴史
歴史
【山本】
30歳の時にインテリジェントウェイブに移りましたけども、そもそもインテリジェントウェイブができたことは知ってたんですね。その時、私自身は東京にはいなかったんですね。前の会社の名古屋にいたので、その話だけは知っていた。それが1984年。私の上司だった方、役員の方たちもインテリジェントウェイブに移ったので、それも知っていました。ただ名古屋にいたので、縁がなかったということだったんですけども、そのうちに「大阪支店を作るから、移れよ」と言われたのが最初ですね。
創業で1年経たないうちに大阪支店を作っていたので、東京のほうがまだまだ安定していない。ガタガタというか、安定していなかったので、そういう状態だったら大阪を閉めたほうがいいのではないかということで、実際には半年くらいで大阪を閉めたんです。それで東京にまた戻ってきました。組織拡大に従事することになったのが、ちょうど翌年ですから、1985年くらいからかな。その辺が、私が入った前後の状況の話ですね。
【山本】
本来の目的の、アメリカ型のコンピューターソフトウェア会社になるという目的もあって。ただそれっていうのは日銭を稼ぎながら、やらないといけないので、日銭を稼ぐほうの部門を結構見ていました。ある大手の会社さんの仕組みを作りに行って、1年くらいそれはやってたんですけども、ある程度システムが落ち着いて終わったので。そうしているうちに、先ほどの本来のアメリカ型のソフト開発会社の土台ができつつあってですね、そちらのほうの仕事に入らないと面白くないので、無理矢理そっちの仕事に入ったんですよ。
アメリカ製のパッケージを日本に持ってきて、それはカード会社向けの仕事をやるということだったんですけども。ただ土台になっているのがアメリカのパッケージなので、日本と金融の仕組みが合わないんです。合わないものを使っても使えないので、実際には中身を半分以上直してるんですよ。そうこうしているうちに、それをまたアメリカ向けをベースにするとつまらないので、全部作り直してしまおうというのがあってですね。作り直したパッケージというのが今、主力になっているパッケージです。
【山本】
今度は、またちょっと違う業種でですね、信販会社の仕事というのも取りにいって、取れて。色々とお客さんから信販業の内容を聞きながら、我々は設計をしていく。そこまではしましたっていう感じかな。一緒に働いていた部下の人間たちが「全部山本さんが何でもやるからつまらない」みたいな話があったんですね。「じゃあ、いいよ、私はここでやめますから」と。そこでちょうどタイミング的に営業の部門で、人がいなくなったので、「じゃあ、営業に移るか」というのがあって。
営業以外のことも、そのうちに上場するというので、上場の資料の準備を、本来はそういう部門があって作るのですけども、なかなか作り切れないというのがあってですね。 2001年に上場していますから、2000年ぐらいからその資料を全部作っていたので。85年からちょうど15年くらい経っている時ですから、過去の色々な変遷も踏まえながら、上場資料の「IIの部」というのを作るんですけども。そこに記述をいっぱいしていく中で、ルールも作らないといけない。こういうコンプライアンスで働かせますとか、そういうところも全部自分で作ってですね、それが一番面白かったですね。
経営者プロフィール
氏名 | 山本 祥之 |
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役職 | 元代表取締役社長 |
生年月日 | 1955年11月4日 |
出身地 | 函館市 |
座右の銘 | 『風林火山』 山本勘介が同じ姓でもあり言葉通りに対応してきた |
愛読書 | 特にないが、高杉良、箒木蓬生が好きです |
会社概要
社名 | 株式会社インテリジェントウェイブ |
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本社所在地 | 東京都中央区新川1-21-2 茅場町タワー |
設立 | 1984 |
業種分類 | 情報通信業 |
代表者名 |
山本 祥之
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従業員数 | 492 名 |
WEBサイト | http://www.iwi.co.jp/ |
事業概要 | クレジットカード会社向けの決済システム開発に加えて、証券会社向けに情報基盤の構築や、情報セキュリティ対策製品の開発、販売を主要な事業として展開。 |